ガーナトップ青年海外協力隊ブログ>その12活動半分終了

ガーナより一言
「産業を興せ」

ガーナで数学教師をしております。
最近は授業をしながらいろいろな話をしています。その中で今、一番したいと考えている話があります。それは「産業を興せ」という話です。
ガーナには本当にほとんど産業がありません。普通の人はガーナといえばチョコレートと思うでしょうがガーナにチョコレート工場は首都に1つしかないのです。原料のカカオはつくっています。しかしあとは輸出しているのです。チョコレートは産業ではないのです。ガーナは自動車社会です。しかしトヨタなど外国の車を使っているだけです。自国で自転車すら作っている気配がありません。ぱっと思い当たるのは水。ただフィルターを通しているだけなんですがその水。あとは石鹸。キーソープと呼ばれているものです。自国の産業といえばそんなものです。
ガーナでは人口は1900万人。今はもうちょっといるのではと思います。これだけいればもちろん優秀な人間は出ます。国連のコフィ・アナンはガーナ人です。しかし優秀な人間はみんな外国(主にヨーロッパ)に出てしまってみんな帰ってきません。確かにガーナはまだ発展途上国。インフラ整備すらままならない国です。不便です。しかし帰ってこない理由はそれだけではないような気がするのです。産業がない。帰ってきても仕事がない。もちろん給料も安い。これではだめです。
だからまず何かしらの産業をガーナ人の手で興すべきなのです。外国資本の会社で雇われて働いているような人間はだめです。これは専門家の意見などからも明らかです。援助慣れしてしまってお金くれるのが当たり前だと思っているのでただ金をもっとくれ。とだだをこねるだけです。
だから高校生の生徒に何かしらの産業を興すアイディアを話してやりたい。しかしいいものが思い浮かびません。ガーナ人のみで始めるということは資本金が少量で始められなくてはならないのです。
ある隊員曰く、「流通会社」といっていました。ガーナでもコーラなどはトラックを使って運んでいます。それをもっといろいろなもので全国ネットのしっかりしたものを作る。宅配便のようなものも考えているのでしょう。しかしトラックを買う資本があるか?外国が買い与えてはだめです。ちょっと前の援助ものだけ与えるではそれを管理しきれません。自分たちで買うからこそ自分たちで管理するし、その気持ちが起こるのです。(昔の援助、特にヨーロッパからの援助は物だけを買い与えるというものがあった。しかし使い方がわからなかったり、壊れたら修理できないことであったり、失敗の援助であった。その援助のせいで援助慣れし、もらうのが当たり前になってしまったのかもしれない)
なにかいいアイデアはないものか。昔の日本は学歴がない人でも成功した。ガーナでそういう人間が出来てこないものか。その種だけでもまけないか。と考えている自分でありました。いいアイデア募集。何でもいいからおくってちょ。
でもとりあえず外国に行って勉強をしてと思わせないものがいいな。(車の整備とかはあまりよくない)
成功例としてはカシューナッツの会社とか(実を取って焼いて剥くというだけ。普通の家一軒も土地は必要ない)水の会社だと思います。


今日の一言
「わかりやすいように書く」

近頃、日記を書いていて思います。この単語はどうしたものか?と。
今はパソコンを使って日記を書きます。そうすると明らかに自分が書けない字とかが変換されて出てきます。中には読めない字とかも出てきます。たとえば
欠伸
辺鄙

また違う風に読まれてしまうような字
質が悪い

などこれはいったいどうしたものか?と考えてしまいます。これは日記ですから自分の文であるべきです。と思いました。漢字一つとっても文責は自分です。
というわけでこういう字はひらがなかカタカナに変換しちゃいます。それでいいのか、悪いのか?日本語は難しい。

追伸 欠伸(あくび)、辺鄙(ヘンピ)、質(たち)がわるい。です。読めます?


ガーナより一言
「いじられキャラもいつの間にか・・・」

えー、ガーナで協力隊にきまして最初のころはいじられ役で大変だ。大変だ。と書き続けました。それによって隊員だけでなく、事務所の人にまでいじられ役であることがしれ、だいぶ軽い扱いを受けることもありました。まあ、でも別に頭にくることもなくはなかったですが別に気にせずやっておりました。しかし最近、ふとそんなキャラでなくなっていることに気づきました。14年度の1次隊のほぼ全員が「スギタ」と呼び捨てにし、その流れでなんとなく全員がそんな雰囲気だったのですが彼らが帰ってからというもの、スギタと呼ぶ人間は半分以下になってしまった感じです。そしてこの11月の終わりには14の2が帰ります。そうするともう隊員で「スギタ」と呼ぶ人はホントに数人になってしまいます。ほとんどが「スギタさん」・・・
文脈を読むとなんか寂しいみたいですね。
うーん、寂しくないといったらうそになりますが、呼ばれなくなったことが寂しいのではありません。いじられなくなったことが寂しいのではありません。(それむしろうれしいことかな???)なんか自分がベテランになっていって他の隊員をみて学ぶことよりも教えることの方が多くなるのかな。と思うとひっかかるのです。こんなハンチクな人間でも教えなくてはいけないのか。そしてそれによって学ぶことが減るような気がして。いつまでもずっと他人から教えを請える身であり続けたい協力隊活動なのでありました。


ガーナより一言
「君とさんの違いが意味する所は」

ガーナで協力隊員をしてもうそろそろ1年です。中堅というところでしょうか?少なくともガーナの事はだいたいわかるようになりました。
そんな中、協力隊員間で気づいたことを書こうと思います。
えー、男性は基本的に「君」と「さん」で呼ばれます。ちなみに自分は来た当初、「君」で呼ばれていました。他の同期隊員はみんな「さん」だったのに何で自分だけ「君」なんだろうなって気にしたこともちょっとあります。まあ、でもいじられキャラだったし、しょうがないかとも思っていました。
そうなんですね。頼りないというかしっかりしてない感じの人はどうやら「君」と呼ばれるということに気づきました。ただ本当にただ自分より若い人を「君」と呼ぶ人もいますが同じ年の人でもたいして変わりがない人でもなんとなく頼りなさそうな人は「君」ですね。一般的に。

追伸 言葉遣いはまた難しいところで。まず来た当初はみんな先輩隊員なので新隊員は敬語を使います。つまり例外なく「さん」です。旧隊員はなんか威厳がある人には敬語。明らかに年下には普通。といったところでしょうか。仲良くなればあだ名になったりしますし、そこは変わった人の集まり協力隊員例外もいるので何ともいえませんね。それでも年齢的にはだいぶ若い自分も後輩隊員からは「さん」で呼ばれていますね。


ガーナより一言
「いかようにして暮らすのか?」

ガーナで協力隊員をしてもう11ヶ月になります。前にも書きましたが、これだけ過ごせばだいたいガーナのことがわかるようになります。最初のころあったガーナに振り回されるということがなくなります。ガーナの習慣やガーナの流れというのがなんとなく見えてきます。協力隊の期間が2年なのはだいたい1年でその国のことを知り、2年目で活動のメインをする。ということで2年になったのではと思います。つまり2年目になると自分が何をしなければいけないのか?何がしたいのかが見えるようになるということです。
先輩隊員の話を聞くと1年たつとあとはあっという間である。とみんな言います。上記の理由からなのではないかと思います。
さて自分の話をしましょう。自分はこれから協力隊活動として何をしていくのか?今、見える漠然としたことを書いていくと、まず1つ教育分科会活動。これは今、どうなるかわからない会なのでとりあえずその建て直しに動くことになるかも。それともそのままつぶしてしまうか。どちらかになるでしょう。でもそこで行われていた実験ツアーだったり問題集だったりはやるでしょう。
次に数学の基礎の発展。ガーナで授業をしてて何が一番困るかと言ったら基礎力が高校生でありながら全くないことです。掛け算九九の5の段から9の段まで怪しい。という状態が自分の学校です。というわけで基礎力の改善のために、計算ドリル、またはそれに準ずるテキストみたいなものを今、考えています。また小学校、中学校へもいこうと検討中です。ちょっとこの前いってきたんですけどね。
あとは通常の授業、ノートチェック、エキストラクラスくらいでしょう。とりあえず協力隊活動はこんなものです。
問題はですね、「他に何をして暮らすのか」です。協力隊員には時間があります。少なくとも日本よりは。周りの話を聞く限りだいたいみんな8時とか9時には寝てしまうみたいです。自分もそうだし。それでも5時6時に起きますが睡眠時間は8時間から9時間。自分の中では寝すぎだと思います。そんなに寝るのだったら絶対にまだ何か出来ます。自分の場合は他にも朝、昼のご飯は30分とらないし、晩ご飯の時間は作って食べて1時間かからないし、通勤時間も5分。授業自体も週15時限(1限40分)なのでなにかやる時間は十分にあります。
これまでも文学少年のように本を読みまくったり、英語の勉強したり、たまに絵を描いたり、筋トレしたり、ホームページを書いたりといろいろやってはいますが、まだ何か出来ます。1年間。
自分がそもそも協力隊員に来たのは自分の勉強をするためですからもっと何かしなくてはと思うわけです。
1年という期間、余裕を持って勉強できるというのは人生でこれが最後かもしれません。この期間をいかようにして生きるかがこれからの人生を左右するといっても過言ではないかもしれません。それゆえに悩むのです。メインで何をしようか?
とりあえずあと1ヶ月悩むことにします。そしてこの1ヶ月で今、自分がやりたいと思っていることが全部出来ているかどうかをチェックしたいと思います。増やす前に。
さていかようにしてあと1年暮らそうかな???


ガーナより一言
「底の丸いきね」

12月に入りました。そろそろ新年が見えてまいります。ガーナにいるとお餅なんてものはたぶん食べれないでしょう。あー、餅くいて。
しかしガーナにはお餅に似た食べ物があります。「フーフー」と呼ばれています。キャッサバとプランテーンと呼ばれるものを混ぜて日本のお餅のようについてつぶして作ります。出来上がりも似た様なものです。日本のお餅よりもだいぶ粘り気は少ないですがまあ、基本的に炭水化物をつぶして作るのでだいたい同じといっていいでしょう。(キャッサバもプランテーンも炭水化物)
しかしこれについて専門家の方が興味深いことを言っていたのでそれを記したいと思います。
ガーナの首都では最近、戦後の日本のように家の状態が変わってきました。言うならば昔の土間のようなものがあった家からそれがなくなったマンションみたいなものができるようになりました。しかしガーナではフーフーを作るのは日常です。そうするとマンションではどうしてもうるさくドスドスいってしまいます。これはこれでしょうがないのかな?とアクラの隊員の家に行ったときに思ったのですが、ところが専門家の話を聞くとそのドスドス。不思議であるとのこと。
日本のお餅をつく道具。うすときね。うすは言うまでもなく底が丸いです。これは力の分散などから考えても当然のことです。しかしガーナのフーフーをつくうすは底が平です。その専門家はガーナに来る前、ミャンマー、マレーシア、タンザニアなど多くの国に行ったそうですが今までかつて底の平のうすを見たことがないそうです。だから力が分散されずドスドスいうのです。(丸くもちょっとは言うと思うけどね)そこでガーナの7不思議。どうしてうすの底が丸いんでしょう?味に違いがあるのかな?これは今度、家具デザインをしている隊員に尋ねてみたいと思います。うーん、不思議だ。


ガーナより一言
「協力隊ってのは善良な人が多すぎるな。」

えー、本日は11月29日。昨日と今日、平成14年度2次隊の皆さんが帰りました。また一つ、先輩隊員になりまして、なんか頼りになるというか、甘えられる人がいなくなったことは寂しいものです。
先週末は、会える最後のチャンスなので金曜日、26日に授業を終わってから首都アクラに上京しました。まあ、いろいろとアクラで用事はあるのですがメインの目的は、今まで世話になり、感謝があるのでお見送りです。前に見送りで痛い目を見ておりますがそれでもめげずに繰り返してしまう自分のお人好しさには冷静に考えるとちょっと・・・
さて金曜日に8時間かけ、上京。日曜日には任地に帰ってこなくてはならないこの過酷な日程。しかし今回はやってよかったような気がします。
それは最後に分かれるときに先輩隊員のある人が寂しそうな顔をしてくれた。ただその1点に尽きます。自分と別れることにちょっとでも寂しいと感じてくれることはうれしいものです。特に今までの帰った隊員の場合、日本に帰る喜びからか、ガーナのヘンなところにもう腹を立てなくて済むせいか、皆さん非常にうれしそうな顔をして帰ってました。だから別れるとき、羨ましい、ちょっと腹立つ。と思うことがあっても寂しいと思うことはありませんでした。(その場はね。帰ってからしばらくすると思うけど)しかし今回は別れる、そのときに寂しい顔をしていた。それだけで今回の強行日程(たぶん1キロくらい痩せた)でも悪くなかったな。と思います。
さてここで思うのは、別れるときに悲しい顔をする人っていうのは、それだけでいい人のような気がしますよね。現にその人はホントにいい人でした。
自分がガーナに来る前にいろいろなところに行って挨拶をしてきました。しかしその中でちょっとでも寂しい顔したか?というとそんなところは全くなかったような気がします。それは自分のこれからやることに希望を持っていたから・・・。それに2年という期間ですからすぐ会える。あっという間だ。という意識があったから・・・。かな?何で分かれるときにそんなに寂しくなかったんだろう?よくわかりませんね。でもなんかちょっと冷たい気がしますね。
やっぱり別れるときに悲しい顔をする人は、感受性が強いというか、素直というか、純粋というか、そんな感じでいい人のような気がします。
そもそも、こんな強行日程で見送りをすること自体、結構、すごいです。自分だけでなく、多くの人間がそれで集まるのですから協力隊ってのはいい人の集まりですね。
そして何より思うのは、そこに下心がない。(ような気がする)
協力隊員同士の付き合いは、非常に特別なような気がします。普通、結構近くにいる人間同士の付き合いっていうのは、友人でもありますがライバルでもある。ということが多いと思います。学生でも社会人でもそうです。ライバルであるからそいつには負けたくないとか、切磋琢磨みたいなところがあると思います。給料とかの結果もでますしね。そのちょっとした敵対心。使える奴、使えない奴みたいなこともそこから決って、付き合いもなんとなく決っていきます。それがない付き合いなどというものは基本的に日本ではないような気がします。あるとしたら小学生時代の友人との大人になってからの付き合いくらいですかね。でもそれは近くないですよね。
しかし協力隊にはそれがありません。そもそもライバルである必要がない。だって何しても差がつかないもん。みんな学校なり何なりに配属されます。そこでがんばるだけです。それに対して評価というものは何一つ結果として出ません。もらっているお金はいっしょ。エキストラの報酬はない。身分もみんないっしょ。年齢も協力体の隊員間では重要視されません。先輩隊員であれば年下でも敬語を使われたりします。
いってしまえば小学生のときの純粋な付き合いに近いような気がします。男女関係ない、みたいなものは小学生とは違いますが、あとはなんか純粋。そんな気がします。お互い見栄を張る必要ないし自分でいればいい。猫をかぶる必要はないし、やりたいことをやりたいようにやったらいい。別に何も損も得もない。同じ人間同士でヘンな気を使う必要は全くない。2年間という期間の制限もあるからでしょう。
そしてそもそもボランティア。根本的に悪い人間はこんなことはしません。根はなんだかんだいっていい人です。口ではうそぶいていてもやっぱり悪い奴はいない。とそう思うことが多いです。自分が何か教えてください。とか、これお願いできますか?とか言えばその人にとって何も得がないのにみんな教えてくれたり、やってくれます。
昔、水泳の選手をやっていたころ、選手で悪い奴はいないな。と思いました。何かに懸命に取り組み、物になっている奴の中には悪い奴はいない。協力隊員もそれと同じような気がしました。
しかしみんないい人過ぎて危ういな。と思うのもホントのところです。感受性が強くて素直で純粋。それが厳しい日本の資本主義に戻れるのかな?と不安になります。いい人間に囲まれればいいけど、だめだったら・・・

追伸 書いててイマイチ言葉が足りないような気がしますが、なんとなくわかってもらえたでしょうか?
協力隊員同士で結婚することって結構あるみたいです。それはヘンピな場所で暮らし、その価値観があうのが理由と言われてきました。でも実はそれはお互い飾り気のない姿を見ているから。その人のことが本当にわかるから。かも知れないなってことです。
追伸の追伸 年頃の女性も化粧しませんしね。


今日の一言
「異性と同性の見方は違う。」

まあ、当たり前といったら当たり前のことなんですが、異性と同性では大きく違います。それは同性に対する見方、接し方と同性に対する見方、接し方が違うということです。
自分は男性という立場から具体例を挙げるとしましょう。
自分が今の場所へ来たとき、だいぶ頼りないキャラでした。それが演技だったのか地だったのかはよくわかりませんが・・・そこで男性と女性の見方が大きく違いました。男性はあっという間に
「こいつは使えそうにないな。」
以上。
でした。まあ、自分でもそうですが男性に対する見方は、その人間は使えるか使えないか。であります。これは非常にきつい言い方ですが、自分なりに言い換えさせてもらえれば、その人間を面白いと感じるか否か?そして尊敬できる何かを持ち合わせているか否か?ということが重視されます。それを持たない人間にはたいして興味を持たないのが本当のところです。
しかしながらそんな頼りなさそうなキャラであった自分に対する見方は違いました。それは異性だからなのか、女性独特の観察眼なのか知りませんが、少なくとも本当に頼りないか、何か隠しているのか?という詮索がありました。
男性の評価が1週間から1ヶ月という期間だったのに対し、女性は3ヶ月近く見ていたような気がします。ま、それは人によってですけどね。でも女性の方がよく見ているということが事実です。不思議なもんですが・・・
自分でもそれなりに自分の事を詮索されているな。と感じれば少しは違った面も見せることになります。それによってまた評価が変わるので面白い。
そんなこんなしているうちになぜか話しやすい人間が女性の方が多くなってしまいました。まあ、頼りないキャラに対する女性本能みたいなものもあるのでしょう。自分は基本的に誰とでも話しますが、男性隊員で仲がいいと言えるのは同期とその一つ下くらい。あとは全体的に女性との方が仲がいい。(気がする)それはただこっちが思っているだけかもしれませんが自分が話しかけやすいのは現在女性の方が多い。不思議なものです。しかも穏健派、強硬派、どちらの女性とも仲がいいからまた不思議なものです。
女性曰く、
「それは異性だからだよ。」
だそうです。仲がうまくいかないような人でも異性だとうまくいく。そんなことがあるのでしょうか?自分は別に同性だろうが、異性だろうが好き嫌いで人と付き合わないことにしているので・・・ただ仲がいいのは好きな人ばかりですけどね。


ガーナから一言
「質素」

うーん、基本的に由緒正しき貧乏家に生まれた身でありますので贅沢という言葉はあまり味わった気がないような気がします。何が贅沢かという議論は別にして。(例えば値段が高いものを食べるのが贅沢なのか、自家製の漬物を食べるのが贅沢なのかは別の話。ここでは前者の贅沢の話です)
というわけで大学時代、一人暮らしをしても質素だったような気がしますが、ガーナに来てから余計に質素になったような気がします。というか、贅沢など出来ない。というところが本当の所かもしれません。物がないからね。でも質素極まりない生活だな。なんて思います。朝、昼は現地食、パン、夜の残りのどれかを食べ、夜はまた自炊する。外食などというものはめったにしない。(首都に帰れば別ですが)前に日本人会に隊員はうまいものばかり食べている。という批判を受けたことがありますが冗談じゃない。普段は現地食を食べ、自炊といってもガーナ米、アメリカ米を食べ、野菜も限られたものしか手に入らない。自分ひとりで贅沢なものをつくろうとも思わない。そんな状況でたまのアクラでおいしい外食ばかりするのを批判されたらたまったもんじゃありません。それに地方隊員はお金の使いどころが他にない。ガーナはケニア、タンザニアと違って観光どころが非常に少ない。他の国は2年あっても観光どころに行きつくすことは出来ないそうですが、ガーナでは行くところを探すほうが困難です。(北の方は禁止になっているからなおさら)
普段の生活では食べ物限られている。テレビない。インターネットない。電話ない。修行中の坊さんか?みたいな気さえしますね。年3回の長期休みも旅行どころがない。首都に上がって焼肉食べるのが贅沢です。
うーん、天然質素。これがガーナ協力隊の本質ですな。

追伸 これはアフリカでも国によって違うみたいです。しかし旅行どころがないガーナ隊は休みにすることがない。というわけで問題集作ったり、実験ツアーしたり、休み中の活動が活発みたいです。いいのか、悪いのか、よくわかりませんね。


ガーナより一言
「冬ってのは大事だよね。」

ガーナに住んでおります。11月12月になりました。・・・暑い。
スキーがしたい。雪合戦がしたい。なべが食べたい。
やっぱり冬は大事だよね。

・・・ていう意味で大事というわけではありません。寒い時期というのは人間にとって非常に大きな意味を持つ時期です。その時期は食べ物が取れない。ということを意味します。だから冬というものを生き抜くためには先を考えて生きなくてはいけません。よく見ると先進国はだいたい冬を持っている国です。そうなんです。ガーナが、アフリカが大きく発展してこなかった理由は「冬がない」なのです。1年中何かしら食べ物がある。先を考えて生きなくていいのです。
だからガーナに来て良く感じます。先を考えていない。論理的思考ができないと。その場で考えてその場で何とかすればいいのです。だから生徒は怒ると逃げます。そのあとずっと授業に締め出されたり、点数が大幅に減らされたりすることも考えなしに。
数学でも解くためにいくつものステップがあると出来ません。だって冬のある時期までに収穫しなくてはいけない。そのためにはいつまでに植えなくてはいけない。いつまでに収穫しなくてはいけない。という一歩一歩がないから。
時間を守らない。予定を守らない。というのも言ってしまえば冬のないせいです。だって決められた時間までに食糧蓄えなくていいんだもん。予定を守ろうが守らなかろうがいきていけるんだもん。その場で生きていればいいんだもん。そういう習慣がないに決ってます。
解決策。ガーナに来て詰め将棋を教える。そういう協力隊員をだすのもいいのではないでしょうか・・・


今日の一言
「文を書くときに点が気になる」

さて毎週のように文を書いていると気になることっちゅうのが出てきます。それは「、」です。他にも段落とかいろいろ気になることはありますが一番気になるのが「、」です。
どういうときに付ける「、」が一番気になるかといえば漢字が続いたときに読みやすいように入れる「、」です。別に内容的には「、」ではないけど読みやすいように入れる「、」、これはいったい正しいのでしょうか?他の人は読んでてどう思うのでしょうか?
例を挙げると
結構、気になったりする。 結構気になったりする。
自分の文は半口語ですから結構という言葉が出てきます。この結構のあとに点を入れるか入れないかは気になるところです。
突如、大雨が降る。 突如大雨が降る。
これも別にいらないんじゃない?という気もするんですがあったほうがいいよね。
7時間、車に乗って。 7時間車に乗って。
うーん、ないと読みにくいような気がするよね。
・・・の後、車に乗る。 ・・・の後車に乗る。
これは普通に入れるか。
夜、日記を書く。 夜日記を書く。
これも普通に入れるな。
現在医者である。 現在、医者である。
なくてもいいか。

とりあえず自分は読みやすいように入れています。しかし普通に本をよんでいてないのも見受けられます。どっちが正しいんだろ。日本語って難しいな。


ガーナより一言
「覚えるしかないというのはさっぱりわからないから。」

ガーナの高校で数学教師をしております。
アフリカなどの理数科教育の問題点の中にただ暗記している。というのがあります。道を追って進むのではなく、解き方をただ覚える。だからちょっと数字が変えられるとできないのです。
これはただそういう習慣があるからではないか?と思っていました。しかし今日、教えていて思いました。
「どうして覚えるか?」
それは
「さっぱりわからないから」
です。
よく考えると彼らは掛け算九九すらあいまいであり、分数、小数など数学というか、算数に大きな問題を持っています。その状態で連立方程式を解いたりするわけです。そうすると一つ一つのステップがすべて新しいことのように感じるかも。そうするともうどうしようもない。ただ丸暗記するしかない。ということになるのではと思いました。
大学でただ丸暗記して単位とったりしましたよね。それの基礎版。基礎版から質(たち)が悪い。
その辺がまず改善すべき、点なんでしょうね。


ガーナより一言
「どっちが幸せ?」

ガーナで協力隊員をしております。
どういう流れでこんな話になったのか、覚えていませんがスタッフルームで失業率の話になりました。
「日本では約5%の人が失業しているんだ。」
「ガーナでは30%、ひょっとしたら40%の人が失業しているよ。」
「でも日本では1億3000万人の人がいるんだよ。」
「えいっ!」(ガーナのビックリしたときのセリフ)

さて計算してみましょう。
130000000×0.05=6500000
650万人。
ガーナの総人口1970万人。失業率35%として
19700000×0.35=6895000
689万5000人。

ガーナの方が多い・・・

しかし思います。失業率が35%で仕事がない国。でも貧しいながらもそれなりに生きていけます。日本では失業率が5%でも20歳以上の3人に1人が軽うつであるとか言われ、自殺者が3万人を超える国。どっちが幸せなんでしょう。ガーナ人には絶対うつ病なんて言葉はないでしょう。自殺という言葉さえあるのかどうなのか?
そう考えると先進国のように発展するのはどうなんだろう?なんて思ってしまい、じゃあ、別に発展しなくていいなら、何で自分はこんなところに居るんだ?なんてことになってしますのでここで思考の停止。

話は変わって、失業率の話をしていて思ったのですが、ガーナ人は先進国には何でもあると思っています。そして行きさえすれば何とかなる。と。
思い出すのは漫画「スラムダンク」安西先生の大学時代の教え子、矢沢君の手紙
「バスケットの国、アメリカ。僕はここの空気を吸うだけで高くとべるとおもっていたのかな」
ガーナ人は間違いなく先進国の空気を吸うだけで豊かな暮らしが出来ると思ってますね。

誰か教えてあげて。


ガーナの日常

女性も立ちションをする。


女性も立ったまんま小用がたせるということです。しかし日本の女性協力隊員に聞いてみたところ、「私たちはできない」とのことでした。
人間なんでも訓練次第ということで。


ガーナより一言
「腹立ったので授業早めに切り上げてやった」

えー、授業をやってて生徒と話をしたわけですよ。んで話の流れはあまり覚えていませんが生徒が
「日本でもあんまり数学が出来ない人もいるらしいじゃないですか」
みたいな事を言ったわけですよ。別に愛国心があるわけでもなんでもないですが、非常に腹が立ちました。確かに分数が出来ない大学生とかいって話になったことはありますよ。それでもね、ガーナ人のように高校生にもなって掛け算九九ができない奴なんかいませんよ。確かにここは新学校じゃありませんよ。でも日本では新学校じゃなくても掛け算九九くらいできるっちゅうねん。
ガーナ人の一番腹が立つのがそういうところなんですよね。自分たちがだめだ。自分たちでなんとかしよう。という意識がない。自分たちは悪くない。物がないから発展しないだけ。援助くれないから発展しないだけ。物ください。隊員を入れる理由もどっちかというと物に焦点がいっている。
自分たちがいかに井の中の蛙で自分たちがいかにだめだめであるか、わかって欲しいんだよね。日本人は毎日勤勉に働いている。朝っぱらから夜まで。というとガーナ人はだって仕事がないんだもん。という。日本人は自分たちで仕事を起こしてきたの。自分たちじゃなくても海外からとってきたの。国内産業も自分たちで作ったの。あんたらみたいにボケーっと待ってないの。授業が終わってから1時間も2時間もボケーっといすに座ってないの。受験生は深夜まで勉強しているの。ガーナ人が電気がないという。昔の人は朝起きて勉強してたの。
発展しない理由は人間にあるの。勤勉に働くという習慣がない。自分たちで未知を切り開くことを知らないこの国が発展しないのも頷ける。
と怒りをぶちまけてみました。
以上


ガーナの日常

論理的思考ができない。

これは協力隊員の中でもしばしば話題になることなのですが、具体例を挙げて説明しましょう。
例えば三角形の一つの外角を求めるとしましょう。その三角形が二等辺三角形なら一つの内角がわかれば全部出ますよね。まず他の内角の角度を求めて外角を出す。というのが解法です。
このくらいなら何とか解けるのですが、これがいくつものステップになると出来ません。要するにステップバイステップが出来ないのです。ちょっと複雑になるともうどうしていいかわからない。わかるところからちょっとづつ先に進むしかないのにそれが出来ません。
会話をしていてもたまに全く関係ないこと(たまにじゃないかも)で話が止まったりしています。
そういうことも日常なんだと思います。日常、そういうことをしなれていないと出来ないものなんだ。ということを実感するガーナ生活でした。


ガーナより一言
「豊かな国は睡眠が多い?少ない?」

最近は生徒に何らかの話をすることが多くなってきました。今日は日本の受験生の話をしました。日本では朝7時に学校に行って勉強して、塾にいって勉強して、夜も12時ころまでは勉強するんだよ。という話をしてやりました。それは一般的な話で自分はしてなかったとはいえないんですが・・・
ガーナのように夜の9時10時には寝静まらないよ。とそういう話をしました。ガーナ人は受験生でも7時間も8時間も寝やがってこのヤローという話をしていて思ったのですが、何で豊かな国のはずの日本の方が睡眠時間が短いんだろう?
睡眠が嫌いな人って言うのは聞いたことがありません。人間全般にとって睡眠は心地の良い物であるのは間違いないです。その心地のいいものがなぜゆえ豊かだと思われている日本の方が少ない。受験生だけではなく、社会人もそうだ。睡眠絶対に少ない。
日本は発展しようとがんばった。そのために睡眠を削ってもがんばった。豊かになろうとして。でも豊かになったはずの今も睡眠は少ない。豊かになろうと思っているガーナ人は悠々と寝てる。援助している国が働き、援助されている国が眠る。削った分の睡眠がガーナにODAで来ていると思うとなんかちょっと納得いかない自分でありました。
日本は発展したけど心が貧しくなったといいますが、こんなところでも貧しくなっている。それでいいのかな???


今日の一言
「尊敬する人、野茂英雄」

うーん、今年はメジャーに行ってから一番無念の年となりました。野茂英雄投手について書きたいと思います。
何を隠そう自分の尊敬する人は野茂英雄投手であります。自分のメールアドレスはnomo_heroです。というわけで野茂投手のすごいところを書いちゃいます。
一、初志貫徹
一、志高い
一、学ぶ心
一、余計な事はしゃべらず結果のみで語る。
一、冷静
一、勤勉

とりあえず自分があげるとなるとこんな感じになりますかね。
解説を入れますと、まず初志貫徹。トルネード投法を続けたところ(今年は故障の関係でセットにしましたが)や日本に戻ってくる大リーガーが多い中、彼はメジャーを続けています。今年はまだ来年のチームが決ってないですがたぶん大リーグだと思います。ただ日本の野球がゆれているのでひょっとしたらひょっとするかもしれませんが。
志高い。はまあ、いうまでもなく、大リーグに行ったことですね。日本の野球を引退という形で行ってあれだけマスコミにたたかれました。しかしあの結果ですからホントにすごいことです。
学ぶ心。これはボストンレッドソックスに行ったときに年下のペドロ・マルチネス投手に教えを請いたのは有名なところです。あの時もすでに何年もエースを張っていたのですからその姿勢はすごいです。
余計な事はしゃべらず結果のみで語る。今年のようにだめでもしゃべらない。良くてもしゃべらない。まさに背中で語る男です。そんな男になりたいですね。
冷静。彼の冷静さは驚きです。一番はやはりドジャースをトレードになる4年目のドジャーススタジアム最終登板。あの時は地元であるにもかかわらずノックアウトされた野茂に大ブーイング。しかし彼は冷静にマウンドを降りました。あの時は今でも忘れられないほどくやしかったっすね。
勤勉。すでに37歳(36歳だったかも)にもかかわらずまだ現役バリバリです。(今年はだめだったけど)去年などは大リーグの先発投手の部門、すべてでトップテン入りです。(投球イニング、三振、防御率、勝利数など)去年のドジャースは大リーグで最低打率、最低得点。その中で16勝。あれがもし打つチームならサイヤング賞すら狙えたかもしれない年でした。ちなみに野茂投手は日本のときも最後の年を除いてエースでした。大リーグでも1年目ドジャース13勝。2年目16勝。3年目14勝。この年までは毎年エースです。4年目6勝(ドジャース⇒メッツ)。この年と今年だけはだめだった。あとは5年目12勝(ブリュワーズ)。6年目8勝(タイガース、チームが弱かったため8勝ではあったがチーム内ではエースだった)7年目13勝(レッドソックス、ペドロはシーズンの大半故障)8年目9年目16勝(ドジャース)本当にずっとこの10年、この大リーグで7年間エース(1年目は1年目ですので)先発ローテーションを外れたのも4年目と去年と今年のみ。(去年と今年は故障者リスト)怪我すらほとんどなかったということです。この勤勉さは驚嘆に値します。

これだけ書けばいかにすごいかわかるでしょう。こんな男になりたいですね。


今日の一言
「最近、ちょっと癒し系!?」

女性の人で癒し系の人ってなんとなくこんな人ってイメージ湧きますよね。では男性で癒し系ってどんな人なんでしょうね。
2枚目って癒し系って気がしないよね。スマートって言うのと癒しって一致しないもんね。つまり癒し系は3枚目だ。
あとは喧嘩っ早い人はだめだね。平和主義者じゃなきゃ。
あとは優しい人。なんかいうこと聞いてくれそうな人って感じ。気が効く人。
あとは聞き上手な人。やっぱ女性に対して癒し系ですから聞き上手じゃなきゃ。
そんで何でも話せそうな人。そうするとちょっと頼りになるような気もしなきゃいけない。
でもちょっと天然ボケが入っている人って気もする。
なんかあんまり何でもできるって感じじゃなくてどっちかって言うと不器用型?そんなところが癒される。

・・・俺か?

失礼しました。
ちょっと思ったりして。
禁じ手でした。

追伸 日本を離れて1年。だいぶ感覚がずれていたらごめんなさい。


ガーナより一言
「来てもらうとうれしい」

うーん、何でこんなにうれしいんでしょうか。理由は良くわかりません。でも家に訪ねてきてもらうとうれしいものですね。特にガーナで地方都市で日本人一人で暮らしていると。今まで自分も他人の任地訪問をしたことがありますが1度として嫌な顔をされたことがない。みんなうれしそうな笑みで迎えてくれました。たぶん自分もそんな笑顔で迎えたんでしょうね。
日本にいる時、自分のうちにたずねてきてもらってうれしかったかな?さほどうれしかった記憶はないな。まあ、嫌な気もせず、たいしてうれしくもなくってとこだったでしょうか?
ガーナで協力隊員していると、他の隊員がたずねてきてくれるとうれしい。これほど訪問がうれしいっていうのは日本では体験できないことでしょうね。
協力隊に来てよかった。(ホントかなー???)

普段ならどうしてだろう?って分析するけど今回はしない。それほどうれしいのです。


今日の一言
「旅ってどうなの?」

―はーい、質問。
―はい、どうぞ。
―「旅」ってさあ、何が面白いの?
―へ???なに、君は旅が嫌いかね?
―うーん、別にそういうわけでもないけど、特に好きでもない。旅がどうしてそんなに人々を魅了しているのか、よくわからない。だから何が面白いの?って聞いたの。
―旅が面白い理由ですか、そりゃ、まあいろいろあるよね。
―例えば?
―食べ物、風景、人との交わり、生き物、療養、とかかな。そこにしかないものを普通、見に行くよね。
―ふーん。でもさあ、最近日本なら無理して旅しなくてもそれなりにいろんなもん、食べられるよね。
―本場の方がおいしいの。それにその場の空気や雰囲気が味をあげるの。
―ふーん、なんか余り科学的じゃないね。本場の方がおいしいはなんとなくわかるけど・・・。でも友人が前、松坂牛を食べに松坂に行ったけどあんまりおいしくなかったって帰ってきたよ。自分も名古屋に住んでて名古屋コーチン食べたけど別に普通だったよ。
―それはたぶん、味がわからないんだよ。もっと年をとったらたぶんわかるよ。
―ふーん、そんなもんなんだ。じゃあ、風景はさ、写真見ればいいじゃん。生き物もそうだ。
―写真じゃ感動は出来ないの!
―なんで風景、景色見ると感動すんのかな?たしかに一度、金閣寺を生で見たときは感動した。すごかった。写真じゃわからないすごさがあった。でもー、ガーナでガーナ人の普通の生活見ても野生の象をみてもあんま、感動しなかったよ。
―君が感動しない、冷たい人間なんだよ。
―みんな感動すんのかな?だって生活っていったって観光じゃないからね。これからその生活をするんだと思ったら珍しくても感動なんかできないよ。象だって檻がないだけで歩いて葉っぱ食べてるだけだからね。そりゃ、なんか戦っているとこだったりしたらわかんないけどさ。ふつうじゃ余り感動しないんじゃない。
―俺はその場になってみないとわからない。
―次は人との交わり。それを求めて旅に行くの?別にどこでも人との交わりは出来るじゃん。
―旅の出会いはなんかいいじゃん。その場限りかもしれないしそれから続くかもしれない。その新たな出会いって奴が新たな経験とかを生むんじゃないですか?
―地元でもなんか新しいこと始めれば新しい出会いあるじゃん。英会話始めたってテニススクールに通ったってなんかすれば新しい出会いあるじゃん。別に旅じゃなくたっていいじゃん。
―旅はなんとなく独特なの。そういうのとはまたちょっと違うの。うまく表現できないけど。
―ふーん。じゃ、療養のための旅。温泉とかってことだよね。
―それだけじゃなくて心の療養とかあるんじゃない。仕事に疲れた。とか。淡々としていて新しいことがないみたいなときとかさ、旅に出て新たな空気を感じて心を洗うのよ。これがメインで食べ物とか景色とかそういうものを見に行くのが「旅」・・・かな。
―ふーん、別に心を洗わなくてはいけないような状態になったことないや。あるかもしれないけど自覚したことない。たぶんあっても家で2,3日無気力やって回復だね。自分の場合。だいたいさ、療養って言ってもさ、旅って疲れんじゃん。心が療養されても体が疲れちゃったらしょうがないじゃん。
―体の疲れも充実した疲れならすぐ取れるの。心が洗われていればなおさらよ。
―ふーん、人生って世知辛いんだね。
―難しい言葉を知ってるね。うん、せちがらい。
―じゃあ、結論としては人生の世知辛さがわからないと旅の面白さはわからないってこと?
―そうだと思います。
―でも同い年くらいの人でも旅好きだよ。別に人生世知辛くなさそうな人でも。
―わかった。たぶん、君は旅が怖いんだ。何が起こるかわからない旅に恐怖とはいかなくても怖さを感じているんだ。だから旅に対して肯定的になれない。それがたぶんそんな感じを生んでいるんだよ。
―うーん、そうかもしんないけど・・・
―きっとそうだ。それを払拭するためにも一人旅で東南アジア辺りに行ってきなさい。
―うーん、旅するならその前にやっぱりやることがあるような気がするな。今しか出来ないことって旅じゃないような気がする。
―たしかに未来でも旅は出来るけど、今しか感じられないことはあると思うよ。でもそう思うならいいんじゃない。ある日、突然旅にいきたくなるかもしれないし。まだ人生長いし。定年迎えてからいったっていいわけだし。ま、でも「旅」って奴はさ。さっきも言ったけどその場になってみないとわからないわけ。そういうスリルもあるのかな。それに人生一回きりだからこの世で見れるものは出来るだけ見ておきたいじゃん。経験できることは経験しておきたいじゃん。ま、そんな感じでみんな旅好き。嫌いって人はまあいないよ。
―うまくまとまったようなので本日は以上。
―以上でおしまい。


1年目
ガーナ人についてのレポート

不思議なことなのだが、基本的にガーナ人の大人はだめなのが多い。基本的に「お金」である。大人がこうなので子供も平気で「お金くれ。」という。
自分の中で一番気に入らないのは彼らがお金をもらって当たり前だと思っていることだ。日本人関連の会社の仕事をしているガーナ人がベースアップを毎年とんでもない額を言ってくる。とか森林のプロジェクトの専門家のところで働いているガーナ人が上から下までベースアップを要求してきて仕事にならないなどがいい例である。しかしこの問題は私たちにも責任がある。過去に物をあげるという援助を繰り返した結果、彼らは援助慣れしてしまったのである。また宗教的にも貧しいものに豊かなものはあげると思っている。彼ら自身で何とかしようというところがない。だから彼らには勤勉さがない。
お金ついて彼らの頭にあるのは白人のところに行って掃除でも何でもしてお金を稼いで、それでガーナに戻ってきて車などを買ってお金を儲ければよい。と大半の大人は思っている。だから自分もしょっちゅう、「日本にいきたいんだけど。」とか「結婚して日本につれてって。」と言われる。
ガーナ人はそもそも黒人を捕まえて白人に売っていた民である。だから彼らはプライドが高い。日本や他の先進国にいけばそれなりにやっていけると思っている。先進国が発展しているのは物があるからで自分たちがだめなのは物がないからだと思っている。だから物があるところに行けば自分たちはできると思っている。ことあれば「知り合いは日本にいる。日本で働いている。」といっている。そもそもガーナからそんなに簡単に日本にいけるわけがない。ガーナの人口1900万人から2000万人。自分の感じだと10人に一人は知り合いが日本にいるといっている。100人に一人日本に言っていたって19万人。そんなにいるわけがない。たぶん、友達の親戚のお兄ちゃんとかも入っていると思われる。それに日本に行く資格が取れるのなど非常にまれであると思う。だから行くような人はガーナでも非常に優秀な人であると思う。少なくとも日曜日の日中にボケーっと椅子に座ってはいない。勤勉であるはずである。時間を守るはずである。うそはつかないはずである。逃げないはずである。予定を予定通りに行うはずである。
しかし問題は海外に行ってしまう優秀な人材はそのあとガーナに帰ってこないこと、つまり人材流出である。国連事務総長コフィ・アナンさんも同様、ガーナには帰ってこない。いろいろ話を聞いたところでは便利な生活になれてしまい、ガーナの不便な生活には戻りたくなくなってしまうらしい。愛国心というものがないのか。と思う。
・・・とここまでガーナ人の悪口を書いたがなんだかんだいってガーナ人は平和主義者だし、親切だ。これは世界に誇れ、世界でまれである。それにガーナ人でもすごい人はいる。ある隊員のいた場所の近くに住んでいた女性はピュアウォーターを毎日勤勉に売りさばき60万セディためたとか、ある隊員のいる任地の生徒は自分たちでクラブを立ち上げ毎週何かしらの活動を行っているらしい。掃除をしたり、保健の話を聞く会を催したりと。(ただし話をするはずの人が来なかったらしい)そのための準備ならなにやら本当にしっかり行っているらしい。またある隊員のカウンターパート(女性)は勤勉で将来は学校を作り、一貫教育をするということを考えているらしい。
ガーナでは女性、特に主婦はやはり生活を支えているだけあって勤勉であり、考えも現実的でしっかりしている。海外に行って一山当てようとは思っていない。ガーナこそ女性社会にするべきでは。とさえ思う。それに自分の生徒を見ていて思うのだが、高校生くらいの生徒はまだまだこれからではないか。と思う。
そのために何かできることはないかと考える残りの一年でありたいと思う。


ガーナより一言
「当たり前のだけどいい学校はいい環境だ。」

最近、思った自分の所属するガーナの学校について書きたいと思います。
自分が協力隊で派遣されたこの学校、自分が来る前に校長が変わりました。それによって学校は非常にいいほうに進んでいます。その校長は非常にやり手の人で他の隊員がいる学校であるようなずっと授業が始まらなかったりとか、新しい先生を連れて来れなくて先生がたりないとかそんなことはありません。最近のSSCE(日本のセンター試験のようなもの)も結果も去年よりも良くなっています。自分に提供された家(基本的に家は派遣先が隊員に提供しなくてはいけない)は水も電気も止まらない非常にいいところです。だから正直に書くとあまり隊員が必要とは思えないのです。もし隊員がいなくても問題なくやっていくでしょう。他のガーナの学校には先生が足りない、授業が出来ないなど学校として成り立っていないようなところもあります。そういうところにこそ、隊員を送るべきでは・・・と思うのですが、そうはいきません。そのような学校は隊員を受け入れる環境が出来ていない。家が提供できなかったり、何か問題を抱えているのです。
考えてみれば当たり前で、隊員が問題なく不自由に暮らせるようなところを簡単に提供できるしっかりした校長の学校は、学校自体の組織運営もいい加減であるわけがなく、隊員が不自由なところは校長がだめなのだから学校も良くないところに決まっています。時間を守るとかそういう当たり前の事も含めてです。
なんかそこにちょっと矛盾があるかな。と思いました。

追伸 もちろん、何とか家だけ確保して隊員を確保している学校もあります。しかしそういう所では隊員は何かしらあるみたいです。・・・