ガーナトップ青年海外協力隊ブログ>その16なんかちょっと語る

ガーナから一言
「死というものにやっぱり出会う。」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
さて、今までの諸先輩方の協力隊記録を読むと「死」というものに触れているものが多々あります。いうまでもなく発展途上国のほうが死というものにあう確率は高いわけで、そういうわけで自分も出会ってしまいました。
ただ日本にいたって死に会うこともあるわけで・・・どうなんでしょう?
自分の学校のElectrician。電気関係の全般をあずかっていた人が先週亡くなりました。原因は病気だそうで、詳しく聞くのは憚ったので聞いておりません。
その方には自分のうちの電気関係(コンセント)のトラブルを直してもらったこともあり、あまり話したことはなかったですがそれなりに顔見知りの人でした。その人が死んでしまいました。まだ3学期が始まったばかりなのですが、2学期の元気に動き回っていたことしか知らないので変な感じです。年齢は40くらい。
本当に死というものは隣にある。日本にいても同じなんだけどね。しかし発展途上国では本当にパタッと死んでしまう。事故ならともかく、病気で倒れて1ヵ月後に死んでしまうことなんてあるだろうか。医療関係はもっと国際協力があっていいのではと思います。
できれば「死」に出会いたくないものでした。

あまりそのことについては触れていませんでしたが東南アジアで起こった津波。あれでも「死」はあったようです。奇跡的。関係者の中ではそういわれたらしいですが、JICA関係者では誰一人死者は出なかった。それで自分も安心していました。しかし最近、知り合いの隊員から久しぶりにメールが来て、津波でカウンターパートが死んでしまってへこんだ。みたいな話を聞きました。
自分はなんて楽天主義者なんだろう?そう思いました。JICA関係者が死んでないからってそれにかかわる人たちが死んでいないわけがないのに・・・

よく考えれば首都に帰るたびに道の脇で事故っているトロトロ(ワゴンバス)。各種病気。などなど少なくとも日本よりも「死」に近いところにいる。
それだけでも協力隊ってすごいのかな???
生きて帰るぞー!!!
「死」はなきゃいけない。だから「生」は尊い。
だけどできればないほうがいいな。


ガーナより一言
「ガーナのお葬式。・・・長い」

さてガーナで青年海外協力隊員をしております。近頃、同僚が死んでしまい、今日そのお葬式に行ってきました。
ガーナのお葬式がどんなものであるか、それを説明します。
ガーナのお葬式。服装は基本は黒。女性は黒いドレスに頭に黒い布を巻きつけます。男性は短パンのようなものを履いてその上から一枚の大きな黒い布を巻きつけます。そうすると短パンは見えなくなって大きな布を一枚巻いている状態になります。これはけっこうかっこいいのですが、自分は持っていないのでワイシャツとスラックスで行きました。
黒のほかに葬式で許される色として赤があります。人によっては赤いシャツを着ている人もいたくらいですから、赤がメインでもいいと思われます。葬式では赤と黒が基調となります。黒のドレス、黒の布を巻きつけている場合でも赤を入れるのが普通みたいです。途中で赤い布を購入して、自分は進められて赤い布をくびに巻きつけネクタイ?としました。ほかの人も腕に巻きつける。頭にまきつけるなど赤い布をどこかにアクセントとしてつけていました。
日本の最初の仮面ライダーをガーナ人に見せたら、「何で葬式中なの?」って聞かれるかも・・・
ほかにも車に、学校の看板に、赤い布をたらし、葬式であることを示していました。
そんな格好で朝の6時に集合。7時出発。葬式開始8時半。この時間は俗にいうアフリカンタイムですので1年以上住んでいると気にしない。8時半には多くの人が集まっていました。死んだ人は学校のエレクトリシャン、電気技師だった人で40歳くらいだと思ってましたがもう40後半だったそうです。それでも父親よりも早く死んでしまったようで・・・
その人に対して集まった人は300人くらい???日本の大きなホールがいっぱいになるくらい集まっていました。ちなみに場所は外です。外にテント、いすが用意され、そこに座って・・・何をしていたかはこのあと。ガーナは昔の日本と同じで近所づきあいがありますから近所からほとんど来る。それに仕事の仲間、親戚が加わるとこのくらいになるみたいです。聞いたところによると面識がなくても違う近所の学校の先生も来ていたらしく、そのくらいの範囲で来るみたいです。
さて、葬式でいったい何をするか?したことといえば本人の遺体と対面。四角にみんな座っているんですがその前列の人と握手(100人以上はしたかな?握手をして回るのが礼儀らしいです。)。そんなもんかな?あとはひたすら座ってます。いろいろな人の話やらなんやらがあったみたいですが、テントで見えず、現地語わからず。日本だと小さな会場でやってますから聞いてないといけない雰囲気がありますが、外で多く人間が来ているのでボケーっとしてる人がほとんど。午前中はボケーっと4時間座ってる。故人のことをこんなに思い続けているなんて不可能だと思います。ガーナ人は何をするということなく、ボケーっとすごすのは得意だと思われる(いつもしてる)のでまあ、問題ないのでしょう。4時間後、遺体は棺に納められて出棺。そのまま近くの墓地へ。行く人と行かない人とさまざま。うちの学校の先生はみんな墓地に行くよ。と聞いたのでいってみたのですが大半の先生は行かずに休んでたみたいです。墓地のほうも場所におさめて(つまり土葬ですね)神父さんとそれに従う歌を歌う人たちと話をして歌を歌って。しかし不思議なものでそれが終わる前にみんな戻っていきます。基本的に故人との別れは出棺でおこなわれているのでしょうか?墓地でみんな無関心です。ここで一人残っていたら置いていかれそうになってあせりました。
それでやっと終わり?と思ったら、そこからご飯を食べに行って(近所の学校へ。学校同士なので付き合いがあるのでしょうか?)、ちょっとお酒も入りまして、帰るのかと思ったらまた戻る。校長が来るまで待って家族に挨拶。そして寄付をします。家族から食べ物とドリンクの返礼・・・これが数が足りなくておおもめ。1時間も2時間もやって、挙句の果てにドリンクは回収され、配られず・・・
それが終わってやっと帰れる。と思ったら、運転手がどこかに消えている。結局車の中で1時間も待って帰宅。帰ってきたときは5時でした。
11時間。いったい何をやっていたのやら。ほんとに95%ボーっとしていただけです。大半のほかの人も一緒。でもこれがアフリカンタイム。別に驚くべきことじゃありません。
以上ガーナのお葬式でした。

追伸 もう2度といきません。


ガーナより一言
「誰かに期待する自分が悪いのだ。」

ガーナで協力隊員をしております。
4月はバケーション。しかしガーナは旅行に行くようなところは数少ない。というわけでガーナの協力隊員はバケーションの間に仕事をしてしまいます。(ケニアなどは仕事をせずバケーションはバケーションするらしいです。)
私のほうも協力隊はあと7ヶ月。私も俗人ですから何かしら日本に帰って自慢できるものをと思ってしまいまして、というわけで基礎計算力問題集を作りました。
基礎計算力が低いのは昔からの隊員の悩み。ちょっと前の隊員は公文式から問題を持ってきてやらせようと思っていたみたいですが、著作権の問題とかでもめるのは嫌なので一から作ってしまえ。と思ったわけです。
それに加えて生徒はTextを持ってない。などという悩みも隊員は持ちます。持ってないなら作っちゃえばいいじゃん。という安直な発想を加えて基礎計算と簡単なCore math部分の問題集を作りました。最初は計算ドリルという話だったのですが、そんなただ問題を並べただけではなく、解説つきの教科書兼計算ドリルという非常に欲張った問題集を作りました。
しかしまず内容の構築(これは何とか終わっていた)、へたくそな英語で解説をつくり、問題を作っていく。自分ひとりでは不可能に近い。というわけで多くの人のヘルプを借りました。
最初のほうはまだよかったのです。自分の指示も細かく、相手もしっかりやってくれたから。しかし日がたつにつれて、正直言ってもう泣きそうでした。やっても、やっても終わらない。ヘルプ頼んだある人は仕事を期限までにやってくれない。やってくれてもそのままでは使えない。結局、自分が一から作ったほうが早いのではなんて人もいる始末。そんな風になるから自分の指示もいい加減になっていく。使える人には正確な指示が必要。使えない人は頼まないほうがよい。その区別をしている暇がなくなってだれにでもこんな感じで。と仕事を頼む。それがまた悪い循環を生む。
それに加えて仕事をできる人間が引き抜かれる。あまりの終わらなさに何人も離脱していく。
・・・・・・・・
そんな中、読んだ本の一説を思い出しました。
「誰かに期待するからいけないんだ。」
やっぱり自分の仕事は自分でするに限る。頼むにしても期待してはいけない。その仕事を手直しするのは当たり前だと思ってやればよかったのだ。離脱しても引き抜かれても気にしてはいけない。期待していた自分がいけないんだ。
そう思うとちょっとは楽になりました。というわけで160部の製本はほとんど自分で。誰にも期待しない。金貸すのと同じだ。
「あげるつもりで貸しなさい。」

何とかその問題集は完成しました。自分のチープな英語で作り、内容確認は十分にできてないので欠陥だらけだと思いますがそれでも無から有を作ったって事は大きなことだと思います。これから協力隊で使っていけるもとができたのですから。改善していけばいいのですから。それも理数科教師だけではなく、青少年活動やクラフト関連の人でも使えるし。

最後にこの問題集の宣伝を。
基本的にすべて手でできるように作ってあります。つまり計算機なしでできるようになってます。しかも解説がついていますから先生がいなくても、自主学習でできるようにできています。範囲は足し算筆算という本当の基礎から始まって高校で習う基礎数学のいくつかのトピックを扱うところまで。
これはすべての理数科教師隊員にただで配りました。発展のために。
あとは高校から隊員を入れても無駄。もっと小さいころからの正しい学習を。
との意味をこめて作っています。理想としてはこの問題集を持った生徒が親になってその子供にこの問題集をもって教える。そこまで考えて作ってみました。これが隊員によって改変され、すばらしいものになり、安価で供給され、ガーナの基礎教育を変えてくれたらいいな。なんておっきなことも考えちゃったりして。


ガーナより一言
「自分はいったい何様であるか。」

ガーナで青年協力隊員をしております。高校の数学教師です。
おととしの12月にガーナに到着したのでもうガーナ生活は1年と5ヶ月になります。

4月、ガーナは高校は休みであります。そういう時は基本的に首都のアクラに上がり、日本人と一緒になって日本人の習慣や言葉の中で暮らし、リラックスし、その中で学校の仕事の補足であったり、何かイベントの準備をするのが普通です。それに新しい隊員の新歓なども行われます。
自分はもう1年と5ヶ月もガーナにいますからそれなりにベテランであります。もう古株から2番目ですね。というわけで・・・もううんざり。
一年に3回協力隊員は赴任、離任を繰り返しております。もう何回出会いと別れをしたかわかりません。ここまでくるともう新隊員には興味がもてなくなっている自分がいます。正直なところ、この前(自分が一年たったとき)の新隊員にはまだ興味がもてました。もちろん、まだ一緒にいる期間が一年あるという普通の理由からかわいい子がいたら手を出そうなんて下心まで含めてまだまだやる気十分でしたが、ここまで来るともういい。

理由はいくつかあります。
まず人数が極端に多いこと。もう疲れた。ガーナは自分が来たころの40人から70人に増えております。それによって多くのことが変わりました。隊員宿舎も居づらいし、なんか雰囲気がおかしい。今までとは違う。一番に思うのはイベントに対する参加。なんか義務化している。協力隊活動で教室型隊員の義務は授業だけであり、そのほかの活動はエキストラ。やりたい人がやりたいようにやるはずのものです。しかし今の隊員の雰囲気が出なくてはいけない雰囲気。それは明らかにおかしいのですが・・・そんなことを言う気も起こらず・・・
次にただ知識を与えるだけであるということです。今までは自分よりも古い隊員だらけで何でもいろいろ教わることが可能であった。しかも年上が多かった。余計にいろいろ教わることができました。新隊員は若いし、年上の人でも余裕がないから何かを教わるどころではない。自分は隊員宿舎にいて名前を呼ばれる。
「スギタさーん。」
何かと思えば
「これはどこにあるんでしょうか?」
「これ調子悪いんですけど。」
「これどうやってやるんでしょうか?」
・・・自分でやれ!
初めのころは自分もよく思っていました。旧隊員はどうして仕事を引き継いでかえらないんだろう?と思ったものでしたが、自分がベテランになったら、最低限のことは引き継ごうとは思うものの大体は自分でつかむべきものである。と思うようになりました。百聞は一見にしかず。というのもあるし、正直、時間の無駄。教えてる時間は自分にとって何にもならない時間である。実験の仕方など自分たちで悪戦苦闘すりゃあいいんだ。何から何まで教わる必要はない。それに他人にそんなことを教えているほど自分に余裕がないし、自分はすごくない。教えない自分が何様?というよりは偉そうに教えている自分が何様?という感じになる。よく同期やそれに近い人に
「先輩隊員面している。」
と怒られますが、言い訳をさせてもらえばしょうがない。だって自分下積み長かったんだもん。それによってありとあらゆるイベントに精通しているし、物品場所などもよく知ってる。隊員宿舎のコンピューターからプリンター、コピー機などにもほかの隊員より詳しい。それをただ教えているだけでそう怒られてもねえ。あとは興味のない人に話しかけないだけで、それだけなのに怒られても困る。地味ーに何もいわずにやってたら全部わかるんだから、やってたらいいねん。それを教える必要などない。

もううんざり。ガーナにもうんざりしているのに日本人にもうんざりするとなるともう救いようがありませんな。


協力隊員たちへ

やりたいようにやったらいい。
どうやったって所詮協力隊活動など自己満足だ。
誰も評価しないし
やったところで報奨もない。
2年間でたいした成果などだせる分野はごくごくちょっとだ。

教育は百年の大計だ。
結果なんか出るわけない。
だからこそ、
こうしたいからこうした。という完全な自己満足を得るべし。

流れに流されるな。
惰性で進むな。
自分の意思で
自分のやりたいことを
やりようにせい!!!

以上


ガーナより一言
「協力隊にきて後悔しているか、否か。」

最近、ある人に指摘されました。
「協力隊に来てスギタは後悔しているんだ!」
うーん、難しい質問ですな。というのもとりあえず後悔という言葉は自分の中では触れてはいけない言葉だったような気がするからです。だって後悔したってどうしようもないもん。それに後悔ってのは終わったあと冷静になってからするものであって現在やっていることに対して後悔も何もないと思う。今までの活動がほめられたものがないのならあと7ヶ月、後悔しないようにすごせばいいだけだからね。

ただ少なくともいえることは、協力隊ってのはすごくないってこと。確かに日本という国を離れ、現地の人になじんで2年間暮らす。ということは容易なことではありません。しかしながら実際にやっていることといえばたいしたことはやってない。協力隊をやっている自分たちがそれを一番よくわかっている。なんとなく健康に生きている。ということが活動みたいなところがあって生きて揉め事を起こさずやっていれば、少なくとも怒られることはない。自分たちがたいしたことはないなんて誰だって宣伝したくないからみんな黙っていますが、俺は馬鹿だから言ってしまう。たいしたことない。
生きていることが仕事。そんな馬鹿な話はない。そういう中で2年間も暮らしていて、周りは勤勉などという言葉を辞書に持たないガーナ人。日本に帰ったときのそのギャップ想像できますか?自給いくら、こういう結果を出しなさい。などという日本の社会との差。そういうことが怖くなってこういう文を書いているわけです。別に後悔というわけではない。
上記のようなギャップに苦しまないために協力隊で何かをしなくてはいけないと思う。生きているのが仕事でその上は本当に個人によってぜんぜん違う。日本並みに忙しく自分を律することだってできるはずです。人間は弱い生き物でそんなことをできる人間はいないかもしれませんがそれでもそれに近づくことはできるはず。
後の7ヶ月、そんな風に生きたいな。なんて思う自分でありました。


ガーナより一言
「やりたいようにやるアンド引継ぎ」

ガーナで青年海外協力隊をしております。高校で数学教師をしております。

今まで一年半弱、協力隊員をしてきて思うわけですよ。
「協力隊活動ってやりたいことをやりたいようにやったらいい。」
って。義務といえば教室型隊員は授業をやる。それだけのことだと思います。
しかしガーナの協力隊、人数が増えてきてちょっと雰囲気が違う。新しい隊員が山ほど増えてきている。ということもあるのでしょう。また随時人間が変わっているのですからかわっていくのは当然といえば当然。しかしこの変化は危うい。そんな気がしてならないのです。
とりあえず「問題集を作る」のは義務化。実験ツアーに出るのも当然。出ないことでなんとなく肩身が狭くなっている気がする。
「どうしてでないんですか?」
ときかれます。一言で言ってしまえば出たくないから。ほかにやることがあるから。そういいづらい雰囲気になってきている。
要するに今まで旧隊員がやってきたものを新隊員が引き継ぐのが当たり前。そうなってきている。これは明らかにおかしい。この活動は理数科分科会と言うエキストラの部分ではあるけれどやっぱりおかしい。協力隊員になるときにいわれているはず、「後輩の負担になるようなことを残していかないように。」
今回のことは明らかに負担になっている気がする。

自分も多くのことを先輩隊員から引き継いだ。しかしそれは引き継いでくれ。といわれたものではなく、自分から引き継ぎます。といわれて引き継いだものだ。自分の意思でやってきたものである。しかし今は自分の意思はまず関係ない。まずイベントありき、引き継ぎありきになっている。

自分も最近まで思っていた。引継ぎをしっかり行うべし。積み重ねを行い、年々進歩をしていくべし。
しかしそれが義務化されている。そのことのおかしさに来たばかりの新隊員は気づかない。彼らは隊員はやりたいようにやったらいいってことを知らないから。

「やりたいようにやる」と「引継ぎ」。矛盾している。この矛盾がどうせしばらくしたら表面化し、また隊員は立ち止まる。
結局、協力隊ってのはそういうもののような気がするな。自分たちだってそうだったもん。


ガーナより一言
「屋根が飛んじゃうのかー」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
さて、結構前にあった話でしかも面白いんですが、なんとなく書く機会がなく、ほったらかしになっていた話を書こうと思います。というのも普通の日記も書こうかな。と思ったらであります。
さて何があったかというと、題にあるとおり、屋根が飛びました。といっても自分のうちではありません。隣にある女子寮の屋根が飛びました。
ガーナでは別に台風もハリケーンもありません。しかし雨季に入って雨が降るようになり、それとともに風も吹くようになりました。
その日は自分がマラリアになる前ですから3月某日。ガーナにおいていつもどおり夕方になり天気が悪くなってきました。そして5時半ごろ雨が降り出し、風もすごい勢いで吹き始めました。ああいうものって人間の本能に問いかけてくる怖さというものがあります。自分は結構平気なほうですがガーナにいた中では一番恐怖を感じましたね。日本の台風レベルといってもいいくらいではないかと思います。それくらいの雨と風でした。ま、一般にはスコールと呼ばれるもんだと思いますがとにかくすごかった。
そしてその中、変な音がしました。そして隣の生徒が騒いでいる。見てみると外に出ている。この雨と風の中どうしたの?と思って自分もちょっと出てみると・・・屋根がない。ガーナの屋根は日本のようにかわらではなく、トタン屋根。しかし木で形を組んで釘でしっかり止めてあるのですからそんなに飛ぶわけはないのですが飛んじゃった。
仕方ないので生徒を自分のうちに避難させ、しばらく・・・
ガーナの雨はそんなに長く降りません。ガーナでは雨具が要らないくらいです。ただ避難して待っていればいいから。しばらくすると雨は弱くなり、そんな状態で生徒はもう出て行きました。うーん、明らかに日本よりは頼もしい。と思いました。
雨がやんで被害を見てみると女子寮の屋根、飛ばされて電柱に引っかかってました。うちの電線が切れたり、直径10センチ以上の木の枝が折れていたりと被害は甚大でした。でも屋根が飛んだのは町でそこだけだったみたいです。
そのあとの対処もすごかった。
その日は金曜日だったんですが女子寮が壊れたため次の週、一週間休みなりました。先週一週間、中間休みだったにもかかわらず・・・ガーナってばそんなところです。
そしてその休みの間、何もすることがないので首都に上京、マラリア発病。そんな流れだったのです。
ちなみにその屋根は5月第2週やっと直りました。何のための休みだったのか、マラリアから回復して帰ってきたら何も直っていませんでした・・・ガーナってばそんなところです。


今日の一言
「人間死んだらただのたんぱく質だ」

葬式というものにいってきました。24歳の自分ですが葬式は2回目です。
自分は別に家で動物を飼っていたこともなく、前に行った葬式も年に数回しか会わない祖父だったのでなんとなく死というものをどう受け入れていいのかわからない感じがします。そもそも葬式でどういうときに悲しみを感じでいいのか?それも良くわからない。
冷静に見てみると死んだ情報を聞いたとき、その死んだ人を最初に見たとき、出棺の時くらいでしょうか?周りが泣くのは?人間ずっと悲しんではいられませんから気持ちを切り替えるのでしょうが、そのタイミングが自分にはわかりませんね。
人間死んだらただのたんぱく質だ。遺体と対面したって別に悲しさは変わりません。(ドライか?俺?)死んだときは悲しい。でもそれで終わりです。遺体と会おうがその人を2度と見られなくなろうがかわらない。・・・それはまだほんとに近くにいる人を失っていないから言える言葉かも知れませんね。

人間死んだらただのたんぱく質だ。固くなって「人間」ではなくなる。それは遺体と対面したときに思いました。服の上からでもシルエットが不自然なのです。
別に自分がなってしまえばただのタンパク質。周りには申し訳ないがそのときにはもう何も思えませんからかまわないけど、知っている人間がタンパク質になるのを見るのはつらいですね。
誰よりも長く生きて全員をあの世に送ってから自分が行くのと、誰よりも早く死んで誰の死出も見送らない。どっちがいいんでしょうか?
自分は後者がいいな。でもそんなに早く死にたくないな。周りの皆さん、75くらいまでみんな生きてください。自分は70くらいで死にます。


今日の一言
「今週の文章はダークですな。余裕がない。」

今週の文章はダークです。正直言ってだいぶ愚痴ってます。というのもいろいろ疲れた。余裕がなくなった。という2点に尽きると思います。
それで汚く、ブログに書いております。
これに書くと実際の現場の人には
「黙って耐えてやってるな。」
なんて思わせておいて実は全世界に向けて愚痴っている。アー、なんて汚い男。
そんな汚い自分をお許しください。


今日の一言
「孤独に関するシンリ」

人は孤独であることが何よりも強い。いや、孤独は人を強くするから強くなるのであろう。
母親は子を守らねばならない。言い訳は許されず後ろは存在しない。ゆえに母は強い。
それと同じ状態で孤独であり、後ろが存在しない場合、強くならざるを得ない。

よく考えれば、今仲良くしている人間は最後に帰るところは私のところではない。私は現在をごまかす代役でしかないのである。私はそこには帰れない。

家族のところに帰ればいいではないか。
家族のところには帰りづらい。うちは・・・

親友のところか?親友は帰るところではない。

孤独。それを自分で認めるとそれはそれで面白い。青白い炎が自分の中で燃え上がるのがわかる。決して赤ではない。青白いのだ。その炎に触れると凍ってしまうような熱さを感じる。その青白い炎は誰にも消すことはできない。
赤い煌煌と燃え上がる派手な炎ではない。だからこそ消えないのだ。静かにゆれることなく燃え続ける青い炎。それこそが最も強い火なのだ。


孤独であるが故の不安定。その不安定を自ら楽しみ、その不安定さを心地よいと思う。
それは安定を生み、不安定が生み出す安定は決して「最も安定」ではないが「最も不安定ではない」といえる。

「最も不安定ではない」この状態こそ、強いというのではないのだろうか。


ガーナより一言
「ガーナとしてはすごいけど・・・やりすぎ」

ガーナで青年海外協力隊員として理数科教師をしております。
最近、自分が所属しているガーナの学校でスクールプリフェクト、生徒会長の選挙がありました。
いろいろな学校に隊員は配置していますからそういう話もします。学校によっては選挙によって決まった生徒が先生たちが気に入らないから変えてしまう。なんて話も聞いたことがあります。そんな学校がある中、うちの学校は去年はしっかり公平に選挙が行われまして、今年はどうなのかな?と思っておりました。
さて今年、ほかの仕事をして職員室に帰ってみると
「緑のペンを持っているか?」
と聞かれる。
「うん、もっている」
といって貸した後、何をするか聞いてみたらなんと・・・選挙の投票用紙一枚一枚に先生がサインするという。2000枚くらいあるのに。冗談じゃないとペンをとりあげました。そうじゃなくてもその紙には一枚一枚学校のはんこが押してある。
「無駄だよ。だいたいはんこが押してあるじゃないか?」
といってみると反論が。
「いや、今はプリンターの技術が発達して印刷ができるから・・・」
ガーナの議論ってだいたいこんな感じなんだよねー。意味がわからん。だいたいはんこは青なんです。お前らプリンターで青いインクもってねーだろ!!!だいたい生徒会長の選挙でそんな大掛かりな不正をするやつがいたらみてみたいわ。
しかも先生が用もないのに10人くらいで一つ一つ教室を回って投票させる。不正ができるもんならしてみろ。サインをするくらいならはんこおさんでもいいわ。しかも開票のときに確認しないくせしやがって。
とまあ、文句言いたい放題いったわけですが、これはガーナではすごいことです。これだけ不正がないようにできる学校というのはないでしょう。でも・・・これがガーナって言う国なんだよねー。すごくてもなんかずれてんだよねー。あーーー。


今日の一言
「結婚する女性に求めること」

ヒット数が上がっているのは恋愛関係のネタのせいか???なんて思っているので自分のエゴ丸出しの更新をしたいと思います。

結婚する女性にもとめること
私が死ぬまで
いや、永遠に
「女」であり
「恋人」であり
「妻」であり
「母」であり
「パートナー」で
いてくらはい。

本日以上


今日の一言
「恋愛に関する考察」

うーん、どうしてもわからない。大体いろんな人に聞くんだけど、恋愛はいいものであるという。しかしねー、自分にとってどうしてもそうとは思えないのでそんな文を書こうと思う。

正直言って恋愛感情は邪魔以外の何者でもないと思う。最近特に思う。そう思う一番の要因は思考の邪魔をするということである。なんか集中しているときにふとその人の顔が頭の中をよぎる。それだけで集中は失われる。
それに普段、何気ないときに心占めている割合というものもあると思う。これは人によって違うとは思うがそれなりの人というのは仕事を離れても仕事のことを考えている。考えている。とまではいかなくても気にしている。だから風呂に入っているときにふとアイデアが浮かんだりするのは考えているとまではいかなくてもそれについて気にしているから思いつくのである。その気にしている部分が恋愛に使われる。それは大きな損失以外の何者でもない。
自分の場合、経験があるが恋愛がない場合、心の安定の部分に大きな部分が占められている。どこどこに気を使うとか、生きる方針みたいなものを気にして生きている。ところがそこに恋愛が入るとそこの部分を恋愛にとられる。それによって自分というものが安定しなくなっていく。
大げさに言ってしまえば自分の根底そのものが安定したコンクリートからちょっと変化しやすい樹脂に変わってしまうようなそんな状態になる。そう思うと邪魔以外の何者でもない。
まだある。これは自分はよくわからないが友達が言ったせりふだ。
「一度幸せを覚えてしまうと、それがないとき、それを知らない人より不幸を感じる。」
らしい。あるときはいいが、ないときは一層不幸を感じるらしい。じゃあ、ないほうがいいんじゃない?なんて気にもなる。
だから人間は結婚すんのかな?恋愛に煩わされない落ち着いた生活をしたがるのかもしれないのね。あと年をとるとコントロールがうまくできるのかも。いや、経験の問題だろうな。

と悪口を書きたい放題書いているが、それでも恋愛はやめられない。異性を求めるというのは、動物だからしょうがない。ただ人間は種族の保存ということがメインではない。そこも不思議でしょうがないが・・・
たぶん孤独がみんな嫌いなんだろうけど・・・

最後に。この文章は恋愛でうまくいかない自分のひがみのようにも感じる。
今度うまくいったときにこの文章を読み返してみたいものだ。
いつになるかは未定・・・少なくともあと半年はまちがいなくなさそうだ。・・・かなし。


ガーナより一言
「学校で見られる日常の風景」

ガーナにて青年海外協力隊員として高校で理数科教師をしております。
最近になって、3学期がはじまりました。ガーナでは新しい学期が始まると日常の風景として、ありとあらゆる学校で見られることがあります。それは決して自分たちにとって気持ちのいいものではなく、もちろん、ガーナの生徒も先生もできればやりたくないし、そういう目にあいたくないにもかかわらずやっぱり同じことが毎回起こる。そんなことです。

こういう風なことは大体、日本でも同じですね。「お金」のことです。
そう、新しい学期になると授業料の回収で生徒と先生の真剣勝負が日常の風景として見られるのです。ガーナではもちろん銀行振り込みなんてものはありませんから生徒が持ってきてそれに対して領収書を渡す。というのが基本スタイルです。
隊員が入っている学校は進学校なんてところはほとんどありません。だいたい安い授業料で学校のランクは中から下というところがほとんどです。うちもいうまでもありません。最近は学校がいろいろ発展して下から中に上がっているみたいですが、それはこの際、「日常の風景」には変わりはありません。授業料としては13万セディがうちの値段です。学校の授業料は学校によって違うみたいです。この値段が最低料金でここに寮を使っている生徒は増えますし、コンピューターの授業は別で取ったりしているみたいですが、基本的にこの13万を払うか、払わないかで真剣勝負が行われます。(ちなみに9000セディ=1ドル=110円とすると13万セディは約1500円です。ガーナでも非常に安いほうだといえます。すごい進学校だと5倍も10倍もするところもあるみたいです。)
まず学期が始まるとSchool feeを出せ。との一言から始まります。生徒だって言われるのはわかっているだろうに休みが終わって実家から帰ってくるとき、持ってこないのです。持ってこないのか、親が持ってないのかは知りませんが。
というわけでガーナの学校は学期が始まっても生徒の大半が来ません。来ている生徒に対しても授業料払え。と毎回のように言います。学校も経営かかってますから当然といえば当然でしょう。
自分が授業しているときにも回収係の先生がやってきて、授業料払ったか?領収書みせろ。といってときに授業が中断します。最初のころは来ている生徒も少ないのに、そんなのが来ると払ってない生徒は逃げますから、あっという間に残りは5人。(40人クラス)なんてこともありました。近頃は罰(気のムチでたたく)をするか、授業を受けさせずに帰らせる。なんてこともやっているみたいです。
この真剣勝負、いつまで続くのか?というと学期が終わるまで続きます。
中間休みが始まる前に実家からもってこいよ。の声。中間休みが終わると持ってきたか?の声。テスト前になると払ってない生徒にはテスト受けさせない。との声。結局、ずーっとやってるんですけどね。こういうところもガーナです。


今日の一言
「喜ぶべきことなのだろうけど・・・」

よくわかりませんけど、自分、話しかけやすいらしいです。なぜでしょう?
そのことについていろいろな人に聞いてみました。どうして?って。それについてまとめてみました。
「第一印象はちょっとごついお兄ちゃんだからそうでもない。でもちょっと話してみるとどうやら話しかけやすい。」
「ただ慕われてるってことじゃない?なぜかはわからない。」
「親しみスマイルが話しかけやすいんじゃない?」
などなどいろいろ聞きました。別に愛想良くしているつもりもないし、スマイルなんてしている気はさらさらない。でもどうやらしているみたいです。
んで何でも「はいはい」答えるし、頼まれるといやといわないし、それでいて気分に波が少ない。突如切れたりしないし、いやみも言わない。誰にでもこっちからは話しかける。そりゃ、話しかけやすいな。

うーん、これは喜ぶべきことなのでしょうか?これはとにかく疲れる。ちょっとはほっておいて。Leave me alone.ってこともあるのですがそれは贅沢ってもんかな?


今日の一言
「感情論だけじゃなくて普通の日記も書こうかな。」

最近、ちょっとただ思っていること書きすぎ???という気がしてきました。ガーナという土地にいてそこである事柄でも面白いような気がするのに。
もう1年半以上いる自分にとってはなんでもないことですが、普通の人にとっては面白いかも。と思うのでしばらくはそんな普通の日記も書こうかな?なんて思います。

うーん、続きがない。これで終わりかな・・・


今日の一言
「心、いついかなるときも穏やかに。」

うーん、何もないけど5月病によって心の状態はいつもと違います。
「安定」という面に関してはいつもよりもよい。いや、むしろ悪い。
そんな状態です。これがよいのか悪いのか判断がつかない。
しかし穏やかであるような気がします。少なくともこれを書いている現在2005年5月23日午後7時49分は。

心境としては
宮沢賢治
アメニモマケズ

これを一切の波紋を立てずに読める。そんなこころ穏やかさが今ここにあります。
こんな状況が続くわけはない。しかし続いてくれるに越したことはない。


今日の一言
「野茂リーチ。」

やりました。野茂日米通算199勝目。200勝まで後ひとーーーーーーーーつ。
去年のうちに絶対達成すると思っていたにもかかわらずまさかの4勝。ガーナにいて彼のピッチングが見れないからなんともいえないまでもずっと野茂を応援し続けているノモマニアとしては悲しいことでした。
ガーナにいてわずかな娯楽のひとつ。野茂の結果。それが良かったときの喜びといったら
It’s beyond description.
って感じでしょうか?ほんと長かった。ここ一ヶ月やきもきしていました。そしてやっとここまで来ました。あと1つ。勢いに乗って次の登板で達成してほしいと思います。

最後に。
野茂英雄の200勝のビデオを撮ってガーナに送ってくれる人募集。たぶん特集も組まれると思うからそれも募集。誰か頼むーーーーーーーーーー。


ガーナより一言
「最近は商人をやってます。」

ガーナで青年海外協力隊員として理数科教師をやっております。
新しい学期(ガーナでは3学期)が始まりまして、自分が今、やっていることと言えば・・・商人をやっています。
教師なのに承認をしている。どういうことかと申しますと・・・話は長くなりそうですがお付き合いを。
ガーナではまず教科書というものは貴重品であります。日本のように全員が全員持っている。なんてことはありません。自分も120人の生徒の数学を担当していますが、教科書を持っている生徒は見たことがありません。持っている生徒も貴重品だから持ってこないと思われます。多分持っている生徒は10人以下でしょう。そのため、隊員が黒板に書くことを生徒たちはノートに写す。それが生徒の教科書になるのだからしっかり書くように。なんてことを隊員になる前に言われます。自分の場合も同様です。しかしですね、自分は数学を教えています。数学では解説、例、問題、解答というのが基本ですがこれを全部が全部しっかりやるとひとつの問題が発生します。それは問題を解く絶対数が足りなくなるという問題です。それを何とかしなくては。と思い立ったのが半年前。
何をしたか。というと
「教科書がないなら作ってしまえ」
との安易な発想のもと教科書を作り出したのは半年前。著作権の問題など違う場所でもめたりしたし、ガーナ人専用の教科書を作りたかった(ガーナの教科書はあるのですがヨーロッパのを参考に作られていてレベルがあっていない。そして高い)ので一から自分で作ることにしました。1年間、曲がりなりにも隊員を続け、教え続けていますからガーナ人のできないところはだいたいわかっている。
計算機で解くから根本の基礎がわかってない。分数とは何ぞや。ってこともわかってない。とにかく、数学というよりもまず算数がわかってないのです。そこだけ徹底してやらせるとガーナ人のプライドが許さないらしいので難しいところも入れたりして、とにかくガーナ人使用。いや、自分の生徒使用の教科書を作りました。この悪戦苦闘話はまた今度。
それを根性で前回のバケーションの間に作りまして、今回、生徒に売りさばいているわけです。一冊5000セディ(50セント強。60円ってとこです。)非常に安価で売りさばいているわけです。というわけで商人してます。と書いたわけです。値段は材料費分です。労働代は自分でやったので入れてません。
なかなか買わないのでは?との心配をよそにバカバカ売れてます。本格的に学校が始まって1週間、すでに3分の2の生徒80人強が購入しました。安価でいいものを作ればそりゃ、売れるか。と胸をなでおろしています。
ちなみにこの教科書は計算ドリルも兼ねていまして毎日生徒にやらせています。これも生徒はやってきます。いろいろ工夫もしているのですが(これもまた今度)ちょっと意外。ガーナ人も勤勉にやらせればやるのか?とここに来て新しい発見もしています。
イヤー、苦労して作った甲斐があった。商人として仕入れたものがバカバカ売れるのはうれしいもんですな。


今日の一言
「なんか書くことない・・・というか」

うーん、なんとなく書くことがない。理由はいくつか思い当たる。
まず仕事が忙しい。またなんとなく生きているリズム、および環境が変わっている。それに慣れていない。というか、それに戸惑うというか、昔を懐かしむというか、そんな感じ。簡単に言ってしまえば5月病。もう6月なのに治りません。って感じです。

うーん、書くことない。も間違ってるな。書くネタはないわけではない。書こうと思っているネタは一週間分くらいは何の問題もなくある。でも書く気がおきない。

文を書いているときはそれなりに落ち着いた時間でなくてはいけない。それに自分のことを冷静に考えなくてはいけない。
現在そういうことができる状態ではない。ということなんだと思う。

特に特別なことがあったわけではない。理由はわからない。

不思議だけど「5月病」としかいいようがないな。


今日の一言
「ダイエットに関する話」

近頃はほんとにラジオを聴いております。そんな中、ちょっと面白いな。と思ったダイエットに関する話をここに載せたいと思います。

ダイエットをするにあたって大事なのは基礎代謝。最近よくこの名前を聞きますが、いったい何かと言うと、生きていくうえで必要な代謝のことです。要するに心臓とかを動かすのに使うカロリーのことです。何をしなくても使っているカロリーといっても過言ではないと思います。この基礎代謝はなんと普段使っているカロリーの70%をしめるそうです。
70%、これは非常に大きいことは言うまでもありません。
さてこの基礎代謝、いったいどこの部位が一番カロリーを使っているかというと「筋肉」だそうです。ま、あたりまえといっちゃ当たり前ですね。組織そのものよりも何かを動かすものの方がカロリーを使うでしょう。

さてここまでの知識を持ったあなたに質問です。もし筋肉が減ったら基礎代謝はどうなるでしょう?言うまでもなく、減りますね。つまり、普通に暮らしていて使うカロリーが減ってしまうわけです。
食事を抑えることによるダイエットは実質これに当たります。筋肉を落として体重が減ります。筋肉は重いから効果はそれなりに出るでしょう。しかしそれによって基礎代謝は減るのです。体重が減って、満足し、前の体重の時と同じだけの食事、カロリーを取ったらどうなるでしょう?前までは増えも減りもしなかった体重ですが、基礎代謝が減っていますから今までと同じ量食べると太ってしまうことになってしまいます。今までと同じ体重まで戻っても筋肉は減って基礎代謝へってますからもっと太ってしまいます。
実はこれがリバウンドの正体。ストレスでいっぱい食べてしまうから。というわけではないのです。

食事をただ食べないだけのダイエットは、ただ苦労して太る体を作っているだけ。なーんて無駄なんだ・・・筋肉減ったら元に戻すの大変だぞー。

ちなみにそのラジオでは「ながら筋トレ」を進めていました。テレビ見ながら、ラジオ聞きながら、何かしながら筋トレするといいみたいです。無理に時間とろうとすると難しいですからね。

ということでやせたいんだったら体動かしましょうってことでした。


ガーナより一言
「ガーナの生活。(1年半終了後)」

正味6時間は学校の生徒のため。
あと2時間は飯作ったり、食ったりする。便所も含めていいな。

おきているのが16時間だとすると残りの9時間は自分のためだけに使える。
余計なことをしなければね。

余計な事をしないために「隠居宣言」をしました。

というわけで9時間を自分のためだけのために使う。

なーんて贅沢なんだ。

それでいてテレビとかそういう無駄なアイテムひとつもないからね。DVDも持ってない。パソコンにゲームも入ってない。

本当に贅沢に使っています。


ガーナから一言
「ガーナ人がだめなのか?高校生がだめなのか?それとも人間がだめなのか?」

ガーナで青年海外協力隊員として高校で数学教師をしております。
ガーナでは今の時期が最終学期になります。ということは生徒を教えてもう1年近くになるということです。しかし・・・だめですねー。
何にも身についてないというか、なんというか・・・

ガーナ人に勤勉をやらそうとしましたが、一週間も持たない。
生徒はちょっとでも気を緩めると調子に乗る。
数学自体も、いや、勉強に取り組む姿勢も、ただ問題の答えさえわかればいい。他人の答えを写してでも、カンニングをしてでも答えさえ合えばいい。という姿勢も何の変わりも感じられません。
ガーナはだめだなー。
・・・なーんて思ったのですが、ちょっと待てよ。と。

日本で先生をしたことはありませんが、日本だって一緒かな?
宿題をまめにやってくる生徒がどれだけいるか。カンニングをしようと試みる生徒がどれだけいるか?別に日本だって変わりはない。
高校生はだめだなー。
・・・なんて思ったのですが、またまたちょっと待てよ。と。

別に高校生じゃなくても一緒か、大人になれば責任とかそういうものが出るから違うかもしれないけど、特に責任のないようなことは大人になっても3日で終わっちゃうときは終わっちゃうもんな。大人になったってとりあえず今日を何とか乗り切るために生きている人がどれだけいるか。

結局、どこでも、いくつでも、人間というものは一緒ですね。
違うのは個人であってひとつのガーナ人とか、高校生とか、そういう風にくくるのは間違ってますな。
ただ個人としてだめなのが多いのは、ガーナ人だな。


今日の一言
「自分でも思うんだから周りも思ってるだろうな」

われながらよく思います。
「よくあきもせず毎日毎日よくネタがあるものだ。」
と。しかもブログに載せているようなネタをぽんぽんと書いている。しかも平均1500文字弱、書いている。それをもう5年以上もやり続けているんだからわれながらたいしたもんだ。
男で毎日日記を書いている。というと女性の中ではえーっと思うかもしれませんが、女性が書いているようなことを男が毎日書いているとは思えず、書いていてもプライベートなことというよりは自分が書いているように日常思ったことなどを記録として残しているか、自分の頭の整理に使っている。多分、その程度のものであると思われます。
「そんなことを書いてて気持ち悪い」
なんていわれたことも1度だけですがあります。しかしその人は俺のページを読んでそういったわけではなく、話に聞いて言っただけなので別に。だいたい毎日書いている(わけでもないんですけど)、一日一ネタの割合で更新していくためにありとあらゆることを書き続けていく必要があり、それが自分にとっていろいろな文を書くことにつながって面白いのですが、読むほうにとっては何じゃこの文は?と思うこともあるでしょうね。だからあるネタひとつ読んで判断されても自分にとっては「何いってんの?ありとあらゆることかいてんだから。」とそう思うだけであります。

しかし本当に我ながらよく書いている。
しかも地味ーに書き続けているところが俺らしくていい。やる人がやれば他人のいろいろなページを見て周り、ホームページ仲間を作って自分のページを宣伝したり、知り合い全部に宣伝してみて頂戴。といいまくるとかしているみたいですが、メールをしている友人とかにも教えず、たまーにその話をしているときに見たいといった人にだけURLを教えている。そんな地味さがたまらなくいい。
2年弱もやり続けているのに定期的に見てるんだろうな。っていう人が自分はほとんどわかっていない。なんてのも最高。
青年海外協力隊関係のネタであるにもかかわらずまったくそれ関係に知らせてないところも最高。
他国の同期でも知っている人が2人。なんてのも最高。
同じ生活班の仲間にも知らせてないところも最高。
ガーナにいてやっているのにガーナの有名なホームページとまったく係わり合いがないところなんてもう最高。
こんなページですが、読んでいる方、これからもよろしく。