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ガーナ初日12月9日
アムステルダムで一泊のあとガーナについた。
出発の日の前日から話を進めていくことにする。

出発前日は朝の9時に家を出発。そのあと東京についていっしょに来ていた母親と一時分かれ、とりあえず明日の集合場所である水天宮駅のTCATにいって思い荷物をおいた。本が入っているだけでも重いのにそのでかい荷物も重い。2年行くのにこれだけって感じだけどね。結局、70リットルのバッグに服、衛生用品、雑貨。小さいバッグに本一式。あとはパソコンというとりあえず前任者からいろいろなものを譲ってもらえばいいや。アンド本はアマゾンドットコムで買えばいいや。の考え方のもとこれだけの荷物。まあいざとなったら送ってもらえるのでまあいいでしょう。

そのあと千葉にいる友達のところに会いに行った。その友達は高校のときの友達で唯一連絡をとっている友達である。
その友達は・・・
子供ができてしまって結婚するらしい。当初、自分の話をしにいったはずで会ったのだがその話がメインになった。自分はガーナに行ってしまい子供を診ることができないし、結婚祝いもできない。結婚式は落ち着いてから、自分がガーナから帰って来たら行うらしいからよいとしても自分の親友が結婚するのに何もしないというわけにはいかない。それで急遽、結婚祝いに空気清浄機約2万円をプレゼントと子供の祝いに風水の本。みたいなそんな感じのものをプレゼントした。自分の話は特にしなかったが自分はただ会いに行っただけだ。別にこれで2年間あうことはできないがこのままずっと会わないわけではないので別に顔が見れればそれで良かったのでまあ、いいでしょう。
しかし2年たつとどう人は変わるのか、あまり変わらない人もいればすごく変わる人もいる。彼はすごく変わるほうに所属する人間であると思う。
どんな風に変わっているのか、あいつがパパということでさえ、想像がつかないがまあ、結婚するのに対して正直、祝いよりも驚きの方が大きかったがとにかくめでたい。

その友達と会ったのが1時半、船橋にて。そのあとはまた水天宮に戻り、明日派遣される協力隊仲間と飲みに行きました。最後の日本の飲み会・・・とのことでしたがこの最後という言葉、良くないよね。
だって帰ってくるから。最後じゃないから一時最後であるだけだから。みんな最後最後使うから縁起悪いななんて思いました。8日派遣は結構人がいるんで最終的には30人くらい、そんな人数で飲み会。・・・
特に感想はないな。あ、そうだ。仲のいい子もそこにいたんですが飲み会の中で唯一からまなかったかもしれない。なんか向こうもばれたくないのかな、とにかく絡んでくることはなかったですね。
彼女に対する思いはどうだったのか、これも書いておくか、今、ガーナの任地だけど・・・
そんなに恋っていう感じではなかった。すごい胸がドキドキというわけではなかった。でも彼女という人間を知れば知るほど惹かれたのは事実。正直、結婚してもいいかも。と思える女性である。とだけ記しておこう。それだけ、いい女であったと思う。連絡はとり続けるとは思う。


飲み会をを9時半で切り上げたあと最後に神奈川の登戸に住んでいる友達の所に行ってきました。最後の最後までちょろちょろ自分は動いていましたがこれが最後。この友達は小学校時代から顔見知りで中学校のころは非常に仲が良かった奴だ。
彼女といっしょに出迎えてくれましたが自分はさっきといっしょで顔を見にきただけですからね。特にいつもどおり。がんばって来いよ。くらいは言われますがあとは別に。一言、いい彼女でしたね。
この友達は2年たっても変わっていないでしょう。そこがそいつのいいところというか、面白いところ。もし変わってしまっていたらちょっと寂しいかな。まあ、また2年後何も変わらない会話をするんだろうな。

そこで一泊。朝の7時に出発しまして最後に日本の文化、満員電車にもまれ水天宮へ。荷物が荷物だけに厚着をしていたので暑い暑い。大変でした。
集合場所TCATに着いたのが8時半過ぎ。
自分たちの出発の一時間前はマレーシアやタンザニアの出発でしてすごい人数が出発していきました。時間が遅くてたいして見送れなかったけどね。この日は朝からフィリピンとか出発してましたからみんな疲れてましたね。

さて見送ったあとガーナ班のミーティング。男5人質素なもんです。見送りもまあちょっとだけ。そんなところがガーナ班のステキなところです。ガーナ班は午前最後でこれが終わると午後班がでる。みんな午後班は最後まで見送るとちょっと見たいなところもあったみたいでバスの見送りをせずかえる人もいましたね。
公用旅券(パスポート)と航空チケットをもらってとりあえずアムステルダムでの話をJALの人から聞きましてそれでみんなとお別れです。まあ、もう結構いなかったんですけどね。

自分は最初から最後までそうだったのですが、ホントちょっとどっかに買い物行ってすぐ帰ってくるわ。そんなイメージでみんなと別れてきました。ホントにちょっと行って帰ってくるわ。そう思っているからです。そのちょっとが2年間という間であるだけ。だから別に感慨深いこともないし、特に涙を流すこともありませんでした。
ちなみにガーナ班、誰一人涙を見せていませんでした。というか、NTC訓練が終わったあとも誰も泣かなかったらしく、今回のガーナ班は冷酷な人が多い・・・かな。
とにかく自分にとってこれはちょっと行ってくるわ。っていうものです。それにたいして賛否両論あるとは思いますが、特に深刻になる必要のないものってことです。やることはしっかりやってきますよ。
最後に友達とやったメールは、天下取りの下準備にいってくる。だからね。

さてTCATから成田まで、長かった。そのあといろいろ手続き。母親とも合流しまして最後にとろろそば食って出ました。別に母親ともいっしょですからね。

そんでいざアムステルダムへ。時間は13時間かな?とりあえずテレビ見てましたね。JALは席毎にテレビが着いてまして快適だったかな。ライオンキング見てましたね。前にミュージカル見に行ったことを思い出してましたね。

ホント、ガーナ班は緊張感なく、もうちょっと緊張しとけよって感じですが・・・
アムステルダムについて、いるはずのJALの人がいません。探し回ったけど結局いない。自分たちでホテルに行くバスにのって自分たちでこなす。書いてしまうとあっさりだけど結構歩いているの大変だった。別に手続きとかが大変だったわけではなくて、重い荷物持って歩くのが大変だったってことね。
時間が5時についてホテルには7時かな?やけにいろいろ歩いたもんだ。

そのあと空港内を歩きにちょっと出まして、そこで絵葉書を一つ。とりあえず家族に書いておきました。別にいいと思ったんだけど、一枚友達がくれたので・・・次に送るのはいつのことやら。

んでバーガーを買って持って帰って食べました。実はホテルはヒルトンホテル。そんなものを持ち込んでよかったのかは微妙です。
そうそうバーガー屋で
Joy your meal.
といっていました。自分は
Join your meal.
に聞こえ何いってるんだろう?とさっぱりわかりませんでした。そもそも文法的にはおかしいんですけどね。
ちなみに英語はよくわかりません。とにかく聞けない。何行ってるかわかりません。向こうでというか、こっちで苦労するのは間違いないでしょう。

次の日。出発は2時。朝は早く起きてしまってすることはない。だらだらして朝飯食べて(ヒルトンだっただけにおいしかった)準備してまた空港をぶらぶら。
ホント飛行機旅は待ちが多くて嫌いだ。
そんで出発。いよいよガーナへ。特にこのへんはおもろいことはなく。しいて言うならアムステルダムの空港のトイレ(小用)には蠅の絵が書いてあります。必ずそれに当ててしまうね。それがリアルに書いてあるからまたおもろいね。
あとは飛行機の中で飲んだハイネケ(ビール)がおいしかったね。

んでKLMの飛行機でガーナへ。ここまで来ると飛行機にのる周りは黒人さんだらけ。別にどってことないけどね。乗ったのは7時間かな?9時間かな?
とりあえずガーナはイギリスの標準と同じ時間です。日本との時差は9時間。
首都は経度0度です。飛行機ではひたすら寝てました。ご飯はおいしかった。
ガーナの印象は、アムステルダムは寒いでしたがガーナは暑い。蒸し暑い。もっとからっとしているもんだと思ってましたが、そうでもない。話を聞いたらこれから乾季に突入するみたいでちょっと雨が残った感じなので蒸し暑いみたいです。

ここではJICAのスタッフがきてまして手続きは何もしませんでした。荷物チェックもせず素通り。うーん、JICAはこっちではすごいんだね。
んで結局、今日のとまる場所、首都のアクラのガーナのドミトリに着いたが8時。そのあとちょっと明日の話を聞いて、解散。荷物の整理をちょっとやって、今に至る。というわけです。
ここには先輩隊員も結構いまして、アクラに住んでいる人、後は13年2次隊で来て変える人がいるので休みを利用して上京し見送りにきている人たちが10人弱。
現在の時間は日付が変わって0時20分。
日本は9時20分か。みんな活動してるんだろうな。自分はこれから寝ます。
どんな2年になるのか、とりあえず今日は日本人に囲まれていて日本語だけなんで何の不安もなく、過ごしてます。

こっちでひけないことは、英語の勉強、体づくり(6つの腹筋)、そして日記(日本語と英語)以上で行きたいと思います。


12月10日
ガーナの空はなぜか青がうすい。昼間は雲もない良いお天気であった。
そんな自分たちを迎えてくれたのは信号を車で待っている自分たちにものを売る若者たちであった。
意外と面白いと思いました。日本でも渋滞でやったら儲かるのでは・・・

えー、朝っぱら8時から活動です。基本的にこっちでは今のところはやね、早起きをしています。なれないところで疲れているのか、ただすることがないのか、またわかりませんが・・・
まず思ったのはとにかくここは色が少ない。緑の自然が多く、白い家と土の茶色。その色の少なさをカバーするのが女性の服。ここでは女性の服は非常にカラフルでしかもデザインがきれい。シンプルな周りの仲にカラフルな女性の服。非常にいいですね。
なんかガーナはそういうカラーの感覚などそういうものが非常に優れているらしいです。その代わりといってはなんですが理数系の感覚がどうなのかってかんじらしいんですが・・・
その話を聞いたのが大使館への表敬訪問。日本でも長野市長鷲沢さんと長野知事康夫ちゃんに会ってきたのですがこっちへ来てもいろいろな人に会わなくてはいけません。そういうわけで大使館に行ってそんな話を聞いたのですがもう一つ、すごい話があったのでそれを記したいと思います。それはインターネットについてです。
ここで2つのサーバーがありまして一つはガーナドットコム、もうひとつはアフリカオンライン。
問題があったのはガーナドットコム。ガーナドットコムに契約していた人は今、ネットにつなぐことができないらしいのですがその理由というのがすごい理由でして・・・
それは、建物を地主の許可を得ず建ててしまったらしく、怒った地主が封鎖してしまったらしい。
大使の感想は「昭和初期と現代のすごさが混在しているみたいな土地でして・・・」だそうです。
自分もそう思う。

あとは髄膜炎の注射を受けました。髄膜炎の抗体を手に入れた。

ガーナではというかたぶん、ほかのアフリカでもそうだと思いますが医療はとりあえず金があるかないかが重要になります。ここではまず受付をして、金を払ってって言う紙をもらいそれに払った領収書をもって診察を受けるというのが普通。というか当たり前。日本のように最後が金だと持っていない人もいるだろうし、逃げてしまう人もいるんでしょう。
あとはこっちの医療関係者は愛想が悪いです。というかいたわる気持ちなどさっぱり持っていません。鼻高々で見てやって終わったらすぐ帰れ。これがこっちの基本です。

あとはそうですね、いくつか思うことがあるのですがそれはまずスタッフが日本の感覚ではないような気がしましたね。なぜかというと予定を変えまくるからです。これはできないから明日ね。とかそんなことも。日本人のスタッフすらですよ。それでも変えるんですからガーナ人相手だとどうなることやら・

あとは買い物行って、今日は首都の白人などが使うのが普通なでかいところに行きました。ここでは物価が高いですね。早々その前に両替に行きまして、こっちのお金はセディ。1ドルが今日は8850セディでしたね。すごい札束を持つことになるので大変です。まあ、首都ですからしょうがないですが任地へ行けばこんなにお金は必要ないでしょう。まあだいたいコーラ1リットルが9000セディだったかな。日本の感覚にするとたいした額ではないのですが(150円)こっちでは結構な額です。一日はたらいて1万セディ。が普通。ですからね。そういうわけでお金は難しいですね。こっちの感覚を早くつけたいですね。

えー、こっちではタクシーは交渉で値段を決めます。日本のようにメーターがついてないので。乗る前に決めて乗る。これが当たり前です。その交渉もがんばりで変わります。まだなれないのでちょっと高めで乗りましたが・・・

最後に思ったことですが、日本のことをすべて忘れてしまいそうだと思いました。すぐこっちの文化に夢中になってしまうそんな気がしました。基本は日本である。それを忘れないように生きる。これもまた難しいことのような気がしました。
以上


12月11日
ガーナ隊5人で一個しかないトイレットペーパー。そして昨日今日の断水で迎えられた自分たちですが、今日はJICA事務所に行ってオリエンテーション。あとは飯を食べて、かかりつけの医者に行って、健康診断をするところを見て、また戻ってオリエンテーション。主に健康管理についてと安全管理について。健康管理のほうは主にマラリア。安全管理のほうは住居についてかな。

(途中でやめた)


12月16日
今日、クマシというガーナ第2の年に移動した。今まではアクラというガーナの首都で9日間暮らしていた。そこではドミトリーという協力隊員連絡所で暮らしていた。そのため、普段暮らすのは日本の仲間がいたため、特に困ることはなかった。ただ卵が黄色くないとか、トイレットペーパーはあまりガーナは使わないとかタクシーは交渉次第で値段が決まっていないとか1ドル9000セディくらいで札束の厚さがすごいとかトカゲが靴から出てくるとか、常に水を持ち歩いているとか、辛い料理とか土日は下痢で苦しんでいたとか、ガーナの文化の変化の荒波に飲まれながらも何とか一週間暮らしてきた。オリエンテーションで安全対策などいろいろやりながらしかし今日から現地語学訓練のため、ここクマシに移動してきた。明日からそれは始まるがそのために今日からガーナ人宅にホームステイである。一番厄介なのは言葉なのはいうまでもない。
アクラからクマシまで車で5,6時間これからはJICAとしばらくわかれ、CEDEPと呼ばれるところに所属する。自分はチュイ語と呼ばれる語学を学ぶためだ。しかしそれも明日から、今日はホームステイ先のコフィさんと対面した。どうやらもうJOCVは7人目らしく、手馴れた感じだった。迎えに来たのは一番最後だったが・・・そういうわけで今日からは一人一人別々になる。現地語を習う学校は同じだけどね・・・
さて、話が行ったり来たりしているが、まあしょうがない。家に連れて行かれる前に飲みに連れて行ってもらい、ナナという友達を紹介してもらった。久しぶりにのむビールは非常にうまい。今月は禁酒しなさい。といわれているからなおさらだ。すきっ腹にビン2本、結構きいた。しかしお酒のおかげで話には困らなかった。英語はわからないことも多々あるが、特に気にすることはないのではという感じだった。3ヶ月たてば聞けるようになるという言葉をとりあえず信じてみよう。
帰ってきてコフィ婦人と対面。非常にふくよかな女性である。ご飯をたべて自分の部屋へ。何から囲うか、とりあえず蚊帳のセットがうざい。扇風機の風が弱い。鍵とかの勝手がわからない。夜危うくもらしそうになった。さてガーナの人間は非常にフレンドリーである蛾ゆえ、特に困ることはない。ただ食事は食卓にみんなでと思っていたがコフィさんのところは子供はいないため、部屋の隅にあるテーブルでいつも2人座って食べているのをその1つの席に自分が座っているのでコフィ婦人はいっしょには食べない。いいのだろうか。あとはコフィさんはあまり話しかけてくれなかった。こっちがしゃべっていたからかな。何か失礼なことをしたかもしれない。大丈夫かな???あとはガーナではすごい量の食事が出てくるといったがそうでもない。食べろ食べろといわれる過程で少し残すのが満足しているのサインと教わったがそ南ア漢字でもなかった。どうなんだろう?コフィ夫妻が学習したのかな?
とりあえず現地語を懸命に習うことから始める。その言葉が混ざる当家がいい。夜寝づらいのも時期になれるだろう。あとマラリアの薬も飲みだす。予防薬、結構強いのがあるらしく副作用が心配です。
とりあえず当初の目標どおり、明るいこと、社交的であること、観察することをメインでがんばります。日記も英語も。


12月17日
昨日からホームステイが始まったわけですが、今日から現地語学訓練が始まりました。しかしですね、自分はコフィさんにお世話になっているのですが、コフィさん、仕事に行くのが非常に早い。朝6時に起きたあと、シャワーを浴びて、飯食ったらもう出発。結局、はもみが書かず、被疑も反らず、セデップ事務所に到着。そのあと気づいた。お金も水も持って既定内という事実。ま、しょうがないね。んで出るのも早ければ、つくのも早いのは当然で。7時半前には到着。とけも忘れてきていたので後からわかったんだけど授業始まるのが9時で1時間半以上待っていました。日記書いたりしてたのでちょうど良かったんだけどね。授業の最初は文化の紹介。特に新しいことはなかったかな。だいたい聞いたことがある内容だったと思う。そのあといよいよ現地語開始。挨拶がほとんどでしたね。でも20~30の文を習ったがタメ、頭はいっぱいいっぱいでしたね。チュイ語万歳!
語学訓練の合間、昼ごはんを食べに外に出て、ストロベリーという店に入ったのですが、底に入る目に話しかけられまして、先生が出てきて追っ払ったのですが、あとから聞いたら泥棒だったらしい。見ため、だいぶ怪しかったね、たしかに。あんまり、人の区別が黒人なのでできませんが怪しい雰囲気はわかるもんだね。んで終わってかえって5時。ホームステイって客?居候?何か手伝ったほうがいいのか、悪いのか。子供はいないので日ましている人はいません。飯まで結局現地語の宿題やって終わり。そのあとは部屋で寝ました。どういうわけか、疲れているような気がする。メチャ、寝てるもんね、こっち来てから。
さて考察、基本的にガーナ人は声が大きい。よく自分がいないところでコフィ夫妻は話しております。テンポよくしゃべっていると、というか、早くしゃべっていると言い争いに聞こえるんだよね。本当に言い争っているのかもしれないんだけど・・・コフィ夫妻は今まで6人のJOCVを迎えたことが会ってみんなよいといってたらしいし、そもそもこれだけ言ってるってことは良い夫婦だかrなんだろうけど、どうなんだろうとひっかかった自分でした。あとはホームステイって微妙ですな。どのくらい自分の部屋にいていいのか、何をしていいのか、してはいけないのか。やってもらっていいのか、自分でやらなくてはいけないのか、アフリカだからなおさらわからん。難しいね。奥さんの英語、特にわかりません。
シンリを読むと日本人を迎えたところでマイナスポイントはちょっとしかない。飯作ってやって部屋与えてやれば、あとは適当に暮らすだろう。それも10日間。十分な謝礼がいっているらしいので短期アルバイトだと思えばいいだろう。夫婦には子供もいないしちょうどいいし、何かしらこのあと、恩を売っておけばお得があるかもしれない。日本に招待してくれるとか、基本的に大変なのは奥さんで引き受けるのは旦那だしな。喧嘩するのもわかる気がする。
以上


12月18日
日本でて、10日あまりがたちました。先週の土曜から体調を崩して以来、いまだだめです。腹の調子が全くといっていいほど良くならない。必ずよる腹痛で目を覚ます。食べているものが辛いすごい色のものばかりなせいか、大の色もすごい赤いレンガ色をしています。同僚に聞いたらプロポリスを飲んで体調を整えているとか、うーん、文明の力なんかどうでもいいやなんて思っていた自分はまだまだダン。と思いました。さて今日も現地語学訓練、こっちのほうはすこぶる良好で楽しいです。やっぱり現地語を話すと受けます。それが楽しくて楽しくて。こらは使えると本能がいっているんでしょう。そのあとはガーナ第2の都市クマシ見学です。ここは一番の商業都市らしく、大阪に行ったことはないけどこんな感じなんだろうな。と思いました。SYとアクラよりも人がいるのではと思いました。
そこで歴史資料館みたいなところと、軍事見学所みたいなところに行きました。しかし、ガイドさんがしゃべっている英語、さっぱりわかりませんでした。聞いたら誰もわかってなかったらしく、来た意味が会ったのか疑問でした。そのあとは帰宅。近くにホームステイしている仲間の音お産に送ってもらって途中で降ろしてもらって歩いて帰りましたが・・・この展開は間違いなく道に迷う展開ですね。1度だけそのルートをいっしょに帰った(昨日)のですが途中で話にのめりこんでしまって未知を覚えていないことが判明。日本でもしょっちゅう道に迷うんですから当然でしょう。しかしここでは日本と違ってやばいのは言うまでもなく、夜になって野生動物が襲ってくることはないにせよ、夜、野宿はやばい人たちに見つかったらしゃれにならないっすからね。日本よりも冷や汗を多く流しながら家探し。一度帰ったときは歩いて15分。そんなに遠くはないことは間違いないのですが、とにかく輪K去らない。しかし途中で現地の子供たちに会いました。馬頭らいいのは当たり前でいろいろ話しかけてくれましたが自分、家の住所とかなにも聞いてなかったので現地の子供にちょっと笑われながらもなんか仲良くなりました。ただしお金持っているか?って聞かれたけど・・・なんかでもすぐ仲良く慣れそうなそんな気がしました。何とか家に意地で帰って(まだ暗くなっていなかった)安心。そのあとは洗濯したいって言ったら洗濯機なんてものはなく、水桶が出てきましてあとは勝手に洗え。とあまりの量と手際の悪さに手伝ってもらって終了。次は自分でやりたいと思います。あとは別に今日は。ホント道に迷うのはやばかった。

追伸
ガーナの扉は日本とは違いまして両方にノブがありません。鍵だけってのがありまして鍵をまわすとドアが開く。つまり鍵でまわすことがノブを回すってことで。その場合、鍵がノブってことです。わかるかな???
つまり自動オートロックみたいなものでうっかり鍵を持たずにでてドアを閉めてしまうと入れないってこともあるんだよね。いつか閉じ込められる気がする。

以上


12月19日
ガーナの夜も乙なもので今までは夜になると蚊対策をしてご飯を食べてチュイ後の勉強をして寝る。それもたっぷりと。それが今までのといっても3日間だけど、日課だった。今日はたまたま暑かったので夜、ご飯を食べ、誘われるまま、外へ。ガーナの夜は思ったより涼しくて、時間的に星は2つしか見えなかったけど(夜じゃなくて夕方だね。なんか今は乾季でハマターンと呼ばれるサハラからの砂が飛んできてよく星は見えないらしい。ガーナの空が最初白いと思ったのもそのせいらしい)近くを見ていたら光る何かを発見。歯たるである。感動した。蛍のは見たのはたぶん初めて、もしくは小さいころに見たくらいかな。蛍って言うとなんとなく浴衣と川のイメージだったけどしかしあのへんに水があったかなと気になるところだけど、まあいいや。とにかくガーナという土地で感動できたことがうれしい。星を見ようと思って蛍を見つけたのもなんか良くて、そういえば昨日ラジオで「蛍の光」が流れててビックリしたっけ。そのつながりもまたよし。バイオリズムの上昇を感じるよ。これからしばらくいい日が続きそうだ。
さて今日という一日もいつもの飛騨。朝早く行って時間つぶして授業受けて、昼飯食ってちょっとつれまわされて帰って話して飯食って寝る。変わったこともあったけどそれはあと、今まで書いてなかったことについて書いていく。
まず「気持ちの違い」。現地語をぺらぺらになるつもりで勉強しているかどうか。英語はそのつもりである。その気持ちの違いが現地語を楽しめているかいないかを決めていると思った。それなりにでいいや。と思っているからこそ気楽にできる。うーん、難しい。何かを行う上でどのくらい気持ちを込めてやるかは非常に難しい。というのも全部100%の力を入れてできたらいいんだけど全部が全部ってわけには行くまい。そうありたいもんだね。やるからにはだいぶ力を入れているのは事実だけど、英語がスムーズでない以上、現地語もちょっとはしゃべれんとな。

次、授業中、先生が時計見ると集中力なくなりますな。
次、先生と生徒の発音が明らかに違うのに先生は頷く。先生って大変ですね。
次、ガーナ人はホントに頭の上にものを乗せて運ぶ。そのバランスにビックリ。
次、いつでもそうだけどポジションが難しいですな。突っ走って特攻兵をするか、1人の大人としてどっしり構えているのか両方できるけど地は前者かな。
次、人間は学校で資本主義を学ぶ。勉強できる奴はますます勉強し、先生に気に入られ、また勉強する。わからない奴はわからないことがもとで次もわからない。金持ちがますます金持ちになる資本主義じゃない、コレ。
次、人間はずっと緊張してはいられないものなのか、自分も一日しなければいけない事が終わって自分ひとりで部屋に戻るとお気楽モードに変わる。効率とかそんなことをいっさい考えずダラダラやる。良くないよな、終わってもビシッと勉強して寝る前に御気楽になるのがいいよな。

やっと今日の変わったこと。今日帰って来たらジュリアという子と話をしました。(ガーナでは普通の名前とクリスチャンネームがある。普通の名前はフォシア)昨日一度会ったのですが特に話をしなかったのですが今日は暇そうにしていたので結構いろいろなことを話してしまいました。向こうは22歳。たしか8月24日が誕生日だそうで今まであまり干すとファミリーと話す機会がなく、そのため喜んで話していたし、何より彼女の英語は聞きやすい。それに比べて親戚のおばちゃんの英語さっぱりわからない。同じガーナ人なのに不思議。一番の驚きはガーナでは女性は男性にアプローチをかけてはいけないそうです。ひたすら待つ。が基本らしく、寂しい。あと印象に残っているのはすべてのガーナ人はヨーロッパに行きたいと思っている。しかしその理由は日本人のように観光とか語学留学ではなく、お金を稼ぐためだそうだ。一日100ドル稼げばこっちでは90万セディ。一人なら余裕で一か月暮らせるな。物価の差って言うのは大きいな。
自分、何も持ってきていないので折り鶴プレゼント。そんなものしかないな。彼女と友達になれてよかった。バイオリズムの上昇はそのおかげかな?NTCでは下がったりしたからな。あげまん、さげまんを信じてしまいそうな今日でした。


12月20日
さて今日は土曜日。語学のほうは休みで一日ホームステイ先で過ごしました。といってもですね、午前中は8時ころまでぐっすり。そのあとは自分の前任の大久保さんがいらして、そのあと飯食ってジュリアとすごすという本当に単純な生活を送りました。ガーナは本当に時間がゆっくりで忙しい日本とは大違いです。
最近よく見る夢に「ガーナにいけなくなりそうになる夢」があります。本当に何かやっててガーナ行きの集合の時間に間に合わなくなりそうになって目が覚める。深層心理ではガーナにきたくなかったのかな。なんて思ってしまいます。もっと心の準備をしてくるべきだったのかな。ちょっとそこまで買い物に位の勢いで軽く来ましたのであれなのかも。とりあえずでも英語と腹痛で苦労しているだけでそれほど困ってはいないけどな。っていう感じなんですが、まあまだこれからなんでね。この夢は何かほかの事を表しているのかもしれないし、まだなんとも。
午前中は大久保さんが来てくれました。前任で短期派遣で10ヶ月間、仕事をこなし、後任の自分にいろいろ託したり、教えていかれました。家の鍵だったり、物だったり。授業や学校については結構ひどい感じでしたね。ガーナではたたかないとだめみたいです。ただし道具で。手でたたくと問題らしい。よく基準がわかりませんね。でもホントビシビシやってください。といわれました。甘いとだめらしいです。うーん、難しそうだ。今から結構不安です。さてさて結局2時間ほど、家のこと、学校のこと、その他のことなど話して大久保さんは帰っていきました。お疲れ様でした。25日までいるらしく、何かあったら電話します。そのあとは機能できた友達受理あと話しました。バイオリズムが上がっているせいかおなかの具合がだいぶよいです。今まで実はおならというものが出なかったんですね。全部、みでした。しかし、今日は久しぶりにおならが出まして、体が良くなっていることを示しているんでしょう。さてさて最近女にもてるのか、もてないのか、前よりは明らかに女っ気があるわけで。ガーナまで来てもあるところがすごいですね。昔のないときが懐かしい。とにかく受理あの英語は聞きやすい。とにかくその一言につきます。だからいっしょにいると楽なんですね。おかげでガーナの文化がだいぶ見えてきました。そうそうアルバムを見せてもらいまして、写真を一枚もらいました。うーん、あまり写真がないような世界なのにもらっていいのかなって感じ。午後に会ったときは結構いい服を着て出てきたし、ちょっとドキッとしてしまいますな。しかしまだ黒人さんの美しさはわかりません。月曜日にはアクラに行ってしまうらしいので話せるのは明日まで。また問題ないでしょう。あとは今、所属しているセデップのスタッフが訪問に来ました。自分、英語はわかりませんが、音楽でのってたり、明るい人間な感じなのでよく話しかけてくれるので、英語がわからんでも問題なし。いろいろ話して帰っていきました。こちらは普段の生活はチュイ語を使っています。そのため、普段は何行っているか、さっぱりわかりません。しかしタクシーなどチュイ語ではない言葉はそのままなので(つまり外来語はそのまま)玉に英語かなあ。なんて思うんですけど違うんだな。非常に言語は苦労してます。もし英語が聞けてしゃべれたら、全く苦労せず、悩みなく暮らせるでしょう。本当に3ヶ月間で聞けるようになるのか怪しいもんですが、とりあえず過ごしてみるしかないですね。
ジュリアとはデジタルゲームといっていいのか、日本ではゲームウォッチみたいなものかな、手とリスみたいなあんなゲームを彼女が持ってまして、それをやらしてもらいました。聞いたら携帯にもついているらしい。本当に昔の日本と現在の日本が同居している国ガーナです。
しかし、本当に時間の感覚がおかしくなるくらいゆっくりです。ホームステイ先の倒産も何もすることない。ジュリアも今、クリスマス休み中、聞いたら、月曜日にアクラに行く。それ以外予定は友達と会うくらいだそうです。うーん、ホントに暇なんだな。とか思ったんだけど待てよ。と思いました。自分は、自分の親父は家族は、友達は、休みに何をしていただろうと思いました。NTC訓練が恥じます。いや、名古屋から長野に帰ってきた7月の終わり以来、休みに何をするかはだいたい決まってました。長野では毎日、休みみたいなもので毎日友達と会っていたし、NTCには行ってからは休みって言えばすごい貴重なもので何かしてましたからね。普通の休みの感覚が全くなくなっているらしい。自分。休みって言えばすることなかったときはなかった世ね。やっぱり。注わけでこういう休みは普通かな?と思いました。
多く誤算の話では平日フリーでいもあれば土、日も休み。結構な時間はあると思う。週15時間授業だが同じ授業を3回するので予習は週5時間。で良い。化学でどうなるかわからないけどとりあえずそんなに大変でもなさそうだ。安心である。暇な時間に何をするかは非常に重要なことでそれでこの2年間が有意義なものであるか、否か、決まりそうだ。授業以外の活動も楽しみだ。言語だけだな、大変なのは。それだけしっかりやってあとは3ヶ月間はゆっくり考えよう。
以上


12月21日
本日、日曜日、朝ゆっくり起きまして、そしたらお祈りの時間が終わってしまったらしく次のイベントから参加です。初トロトロに乗りました。誰だよ、と炉とろを小型バスって行ったのはただのワゴン車じゃん。(うーん、でも席は多い気がするからやっぱり小型バスかな?)と思いつつ、盛りました。のってすぐお金を払うのが普通らしいのですが、とにかくぼろです。いつかとまりますね、ありゃあ。さてホストファミリーのお母さんに会いに行きました。すごい金持ち宅でビックリしました。すごいでかい屋敷に良い置物。コンポまであって驚きました。そこでは2歳の子供がいまして自分をみて硬直して泣き出してました。うーん、2歳で肌の違う色の人を見るとびびるよな。やっぱり。さてそのあとビールを飲みまして上機嫌。思ったんですがガーナ人によって全然英語が違いますね。わかりやすい人はごくまれですけどいます。そんな感じでバーでちょっと人と話してマレーシアに行ってたらしいその人は英語がわかりやすかった。そのまま帰りまして午前中、終了。ちょっと睡眠のあと、ナナが来まして、湖につれていかれました。途中トロトロが黒い煙を出しながらとまっていて、あんなんに巻き込まれたらしゃれにならんな。と思いました。湖について天気があいにくで曇っていまして、はれていると24の村が湖の周りに壮大に並ぶらしいんですが見えなかった。残念です。今までの隊員は見えたらしいので非常に残念。しかし歩いているとガキがよってきました。英語はちょっとしかわかりませんがなんとなく子供はかわいいですね。記念に写真を撮ったりしました。もちろん、コフィさんとナナともね。かえって本当終了。そのまま寝てしまいました。飯食ってそのまま一日終了。やばかったのはジュリアですね。どうしようってかんじ。明日にはアクラに行くという。会えなかったのはまずかった。しかしですね、女性を呼びに行くというのは動きづらいもんですよ。特に文化がわからないですから、一歩間違うととんでもないほうに進みかねないからね。日本でも家族のいるうちに呼びに行ったことなんてあったかな。くらいしかないし、そりゃあ行きづらいですな。どっかで電話番豪雨を聞いて新年にはあったほうがいいな。日本人うそつきって言う印象を与えかねない。難しいですね。同性だったら楽なのに。異性だと怖さがありますよね。こっちの人は積極的だと聞きますのであまり深入りは避けたいと思います。
さて今日の気付いたガーナの文化のコーナー。どうしてガーナの車の大半はフロントガラスが割れているんでしょうか。間違いなく石が飛んでくるからなんでしょうけどそれだけ多きい石が飛んでくるってことなんでしょうか、ガーナ恐るべしです。あと空手のうけがよくありません。なんとなく笑われてしまいますね。なんでなんでしょう。(これは後々わかったことだが、こっちでペプシのCMで空手のコメディがやっているかららしいです。どんなかは見たことありませんけどね。)
あとはCOMEとGOの使い方がよくわからないです。基本的にほとんどCOME。でも一度女の子を呼びに行ったとき、「Come in,I am coming.」って行ったんですよね。でも鍵は閉まってて開かなかったんだよね。たぶんGOだったのかな。わかりません、。
今日はそんなもんかな。と思いつつ、もう少し。ガーナに来て10日以上が過ぎまして、日本に帰りたいかどうかと聞かれたらどうでしょうか。日本では少なくとも言葉で苦労することはありませんからね。そういう面では全くないとは言い切れませんね、。しかし基本的にはそんなことは頭にないですね。ありのままを受け止めているというか、こういうもんなんだな。と過ごしています。大学行ったときもそうだった。昔は昔。今は今とバスッと切れてしまうんですね。そんなところがいいね。自分。オブロニ、オブロニ(チュイ語で白人の意味。ガーナでは黄色人種も白色人種も同じ)と呼ばれながら何とかなってますからね。ただ学校で生徒シバくのだけは憂鬱だな。なんかうまくやりたいけどいうこと聞かないんだろうな。まあ、もうちょっと時間があるので考えます。
追伸
ガーナ人は遠くても雑音があっても話ができる。すごい。


12月22日
今日は月曜日。久しぶりに仲間と会いまして、日本語最高とまでは思わなかったけど意思の疎通が楽なのはいいですな。
授業の法は相変わらずですけど一言。目線が一人に対して90%行っているのが気になりました。仲間の話では優秀な人を一人見つけて、そいつだけ育てればよい。見たいなことを言っていました。ガーナの教育ってそんなもんなのかと思いました。
そのあと今回は自分たちで帰りましたが、今はクリスマスシーズンで料金が高いし、乗りにくいし大変。結局、タクシーをチャーターして帰りました。値段はそれなりに日本陣には痛くも痒くもないんだけどね。
さて別れたあと家に帰るまで歩くんですがその途中で怪しげなおっさんに話しかけられまして話を聞くとアクラまでかえるという。でもお金がない。母が病気らしい。・・・うーん、怪しい。お金がないと言ってとりあえず断ります。そうするとそのおっさん、通りがかる車に話しかけます。その車に乗っていた女性は5000セディを渡しました。怪しくない、信用できるのか十も今押し財布を開くとちょうど5000セディしょうがないけどあげました。うーんどうなんだろう。こっちではいい人、悪い人の区別もつかない。・・・微妙です。もし日本できちっとした身なりの人に財布を落としたんだけど、といわれたらどうでしょう、交番とか知らないところで。うーん、微妙。その人が間違いなくいい人だったら渡すとかいわれるともし自分が大金持ちだったら渡すよな。5000セディって0.6ドル70円くらいか、うーん、全部で25000セディ欲しい。3ドル弱。300円か・・・渡してもよかったかな???
さてまた変える途中に話しかけられまして名前はトニー。25歳のコンピューター技術師。彼の英語は非常に舌が丸まっていてわかりづらい。そんな中、友達になりまして明日も話そうと言ってました。リップサービス旺盛なくになんでどうでしょう。正直、そういうのは話半分で聞いてますな。自分。そんでそのあとはコフィさんに連れられパーティへ。100人くらいいるところに一人オブロニ(黒くない人)はつらい。ガーナでは明らかに白人扱いですからね。コフィさんはいろいろなところに行きまくってほったらかし。一つわかったのはコフィさんは暴れん坊だ。間違いなく。そのあとパーティで名前が呼ばれて表彰されたりしてたんでやっぱりすごい人なんでしょう。もっといい家に絶対住めるよね。長屋の一番端っこで2部屋にキッチン。それに別つきのトイレとバス部屋があるだけだもんね。でもこの長屋、結構裕福な人が住んでいるらしく、(ジュリアもそう)まあ暮らしていくならこのくらいがちょうどいいのかと思いました。大学の関係者の宿舎か何かなのかも。大学のパーティだっていいてたな。そういえば、パーティで一番感じたことは言葉は正直、全くわからなかったけど、ガーナ音楽は良いってことだね。だいぶガーナ音楽のノリが好きです。
パーティの盛り上がり、雰囲気、人間を見て、同じ人間だと思いました。ホントに言葉がわかったら何も変わらない人間だと思いました。
そう考えた自分はまた思ったのは自分がここに来たのは偶然ではなく必然だったのかな。とも思いました。酒によっていたのもありますが、なんとなくそんなことを思ってしまう夜でした。
帰ってくるとまだ8時。すごい遅い時間のような気がしていたのですがそんなことはなく、いつも6時にフリーになっているからな。そう感じるのもしょうがないかと思いました。イヤー、疲れたね。
今日の気づいたことのコーナー
・ガーナ人は男同士で手をつなぐのを気にしない。よくおじさんに握られます。
・顔の区別は、日本人はみんな黒人さんの顔が同じにみえるっ中話でしたがそんなことはなく、結構区別つきますよ。自分だけでしょうか?
・腹の調子が悪かったのは水のせいではと思いました。そんなに水を飲む習慣はないからね。冷蔵庫で冷えた水をそのまま飲むのはやめようと思いました。
以上


12月23日。朝。6時に起きまして、時計を見ると今日は12月23日。時差を考えると、あーみんな休みを満喫したころだな。なんて思いました。こっちは寒さなんて言葉はなく、毎日扇風機かけて寝てんもんね。最近、ちょっと寒いなんて話なんですけど暑い中の寒いは寒いじゃねえ。と突っ込みを入れたい今日このごろです。シャワーを浴びて飯食っていつものように9時からなのに7時半につくように出ます。道混むからね。クリスマスシーズンで非常に移動が大変な時期だそうです。それを午後、思い知ることになるんですが・・・
昨日タクシーをチャーターして2人で24000セディで帰ってきたことに対して高いと注されまして帰り方を教わりました。ちょっと歩いて乗り合いタクシーに乗れ。という話でした。なんかよくわかんないけど決まったルートしか走らない、バスのようなタクシーが時間関係なく走っているらしい。ちゅうことでそれにのってあるところまで行ってからタクシーという話になりましてあるところについたらナナをさがしてナナがタクシーを取ってくれるってことでした。それなりにわかったのでそれで帰るつもりでした。でもよく考えるとJICAの決まりで寄り合いはいけないって言われたような・・・犯罪にあいやすいから。
授業は相変わらず目線は相等か立ってますがまあ別に(自分に来てはいない)昨日全く勉強してませんし、そろそろやる気も落ちてきている。だって量が多いんだもん。なんて言い訳してみますが実際はなんとなくちょっと体がだるかっただけ。んで3時間目からマーケットに行きました。人の多いこと多いこと。しかもガーナのマーケット道が狭い。しかも暑い。ますます具合が悪くなった感じ。自分は偽アディダス財布と帽子を結局買いました。金を隠し持っておく財布が欲しかったので・・・えー、しかしすごかったというか、驚いたのは、こっちでは値段が決まっておりません。全部交渉でさげるのが当たり前なんですが、帽子最初25000セディといわれて20000でって言ったらだめだったんですが隣にいたセデップのエリザベスがあれは10000セディだよって言ったらその値段になりました。一度行って戻ってきてその値段ですからどのくらいオブロニだから吹っかけられているのかと思うとちょっとひっかかりますな。
家への帰りも結局ナナが見つからずあるところまで寄り合いで行ってそこからタクシー7000って言ったのに対し5000って言い返したら即OK。なんなんだ、お前らはとツッコミを入れたくなったのはいうまでもなく・・・
帰ってくるとコフィ婦人がいない。入れない。すると近所のが木戸もと遊ぶ羽目に。かわいいんだけど疲れるんだよね。ちゅうか、疲れているんだよね。写真とって暮れと頼まれたのですがカメラ持ってないと断りました。昔、遊びまわっていたころを思い出すね。公園で遊びまくってたな、俺。
あとでわかったことなんですが自分、家に入る鍵を持ってました。明日も遊ぼうよと誘われてしまいました。どうしよう。話半分で、いつもどおり。
晩御飯は剣家でした。この食べ物の話は聞いていたのですが、とりあえず素人にはきつい。という話を聞いていたので、ちょっとひるみました。この食べ物はコーンから作るらしいのですが出来上がったものを文字で表現するなら、歯ざわり舌触りの悪いソーセージがすっぱい。みたいなそんな感じ。それをてで握りつぶしてやわらかくしてペッパーとトマトとたまねぎのスープに漬けて食べる。別に味は聞いていたほどつらくなく、それなりだったのですがとにかくペッパーがつらい。つらくてしょうがない。まあでもそれなりにおいしかったですよ。
本日23日。何が一番、困っているかといったらホストファミリーへのプレゼントです。何も用意してこなかった・・・どうしたものかと悩んでしまう本日です。とりあえず折り紙してみましたが、白い紙しかないんだもん、よく考えます。
以上