ガーナトップ青年海外協力隊ブログ>その9ガーナに慣れてきたな~

今日の一言
「なぜ文章を書いているか?」

最近は文学少年のようにいろいろな本を読んでいるので、それ をもとに思うことが多くある。読んでいる中にある本を読んで どうであるとか、そういう批評本であったり、この人がこんな 文を書いているからこんな人だ。みたいな話がある。そんな本を読んでいると、このホームページを読んでいる人が自分という人間をどのように感じているか?ということが気になってくる。
ホームページを書いてもうどれくらいになるのか?自分の中では記憶に無いが、文章を書くようになったのは中学3年の時の話であるのでもうかれこれ9年くらいになる。そんな文を書いているうちにいつしかこのまま、自分ひとりの中に閉じ込めて
おくのはなんとなくもったいないな。なんて思うようになり、ホームページを始めたのであった。
文を書くというか、要するにただ日記をつけているだけなのであるけれど、この主な目的は、自分の頭の中の整頓。それにあの時、こう思っていたという記録を残す。その2つである。
それを何年も続けていくうちに文を書くことに抵抗がなくなり、高校では誰よりも早く作文を書けるようになっていた。書くときはそれなりに頭の中で筋立ててから書き出すということも自然にできるようになっているので、今でも3か月分の報告書
を書くとなっても一日あれば十分である。頭の中を整理して書いていくので意見の集約などができるようになり議論の場で強くなった。いつしかコンピューターを使うようになったため、タイピングがうまくなった。などなど良い弊害は多く、これを
やっていて後悔したことは一度もない。

しかしこの文をホームページに載せてはいるものの感想というものをもらった記憶はなく、これを読んでいる人がいったいどう思っているのか?それに関して自分はいっさいわからない。
「何でこんなこと言ってんだ、バカヤロー」
と思われているかもしれないし、
「へー、そうなんだ。」
と感心しているかも知れないし
「そうだ、そうだ」
と同意を得ているかもしれない。
一ついえることはこのホームページを読んでいる人は少なくとも自分を知るようになっているということである。このホームページはいつしか自分を知らせるという役目を持つようになっていたのである。
普通、その人を知るということはお互いに知り合うのが普通であって、向こうのことを良く知っているが向こうはこっちのことを知らないというのは親友の恋人とかそれくらいのものであろう。しかし文章を書いている人間の事はそこに人間としての
何かが出ているのであってその人のことを知ることになる。特に自分の文は自分の心を書いているのだからなおさらである。
ガーナに来るときに、あまり会っていない友人が余りに親しげで驚いたことがあった。それはホームページのおかげであったと今思う。
自分を知らせる。これは決して悪いこととは思わない。しかしそれでも自分の事を知らせたくない人間というものも存在するのは、人としてしょうがないことであると思う。
自分の事をいじって遊んでいるような人にはやはり読んで欲しくない。
なぜかといわれるとよくわからないが・・・
その人が嫌いである。とかそういうことではなく、その人の中の自分のイメージが余りにかけ離れているから、その後の反応が怖い。ということであろうか。 
それとも最初から相手にされないような気がするからか、そこのところはよくわからない。

文章を書くということは、多くの良い点を生み出したのはいうまでも無い事実である。それについて後悔はない。もし後悔することがあるとしたら自分を知らせる。ということからくるのではないかな。なんて思った。

以上


ガーナより一言
「人間が好きか?」

寂しく思うことについて前書き、そこにコミュニケーションという言葉を書きました。今日はそのコミュニケーションというものについて書こうと思いまっす。
日本という国においてこの言葉を意識するときは、ガーナにいるとき、まあ外国にいるときに比べて少ないような気がします。あえて気にするときといったらコンパが終わったときとかデートが終わったときとか、初対面の時とかもそうか、まあ特別な場合に限るのかな。それでも結構ありますね。
それでも英語という使い慣れていない言語でコミュニケーションをとることに比べれば、まあ少ないと思います。普段、使う言葉ができないというのはやはりコミュニケーションというものに大きな影響があります。
聞くほうは半年たって何とか聞けるようになりましたがしゃべるほうといったら、全然だめです。取り合えず簡単な表現しかできない。言い方が一通りしかない。言い換えられない。微妙な言い回しができない。などなど問題点を挙げだしたらキリがないほどでつくづくもっと英語を勉強するべきだ。なんて思います。
でも今日のテーマはコミュニケーション。一般的な日本語でも英語でもかかわることを書かなくてはいけないでしょう。
この協力隊に来て周りの先輩隊員を見ていて思うのは以下の3点。
「人間が好きである」
「感情表現が豊かである」
「笑顔が多い」
彼らは本当に人間が好きだ。と思う。だから彼らはタクシーの運転手ともよく話しているし、くだらないことをよく言っている。そのときにでているのが笑顔である。これは要するに感情表現が豊かということにつながると思う。やっぱり言葉が多少、不自由でも笑顔でしかも人間好きでガンガン話しかけられると向こうも悪い気はしないものでなんとなく楽しい雰囲気になるのである。
これがコミュニケーションなのか。と自分は思った。
社会とかそういうものにでてしまうともっと洗練されているというか、そういう風になっているので上記のままというわけにはいかないが、人間と人間がコミュニケーションをとる。ということは上記の3点なのではないか。と思った。
人間が好きで、その人のことが好きだから話しかける。好きなものをみて苦い顔になる人はいない。笑顔で言葉が不自由でもなんとなくやっていく。そのうちに言葉もわかるようになって仲良くなる。これが正しいコミュニケーションの基礎である。
日本でも同じことだ。その人のことに興味を持ち、笑顔で接することによってコミュニケーションは進んでいく。その人のことがわかるようになって仲良くなっていく。
人間づきあいが下手な人はこういうことを意識しましょう。
追伸
人間が好きか?と書くとどうしても漫画スラムダンクの豊玉戦での「バスケットは好きか?」を思い出してしまいますね。
も一個、追伸
自分の場合は別に人間が好きか?と聞かれるとどうだろう?って感じですからね。先輩隊員のように根本的に人間が好き。というわけではないので彼らのようなコミュニケーションをとるのはちょっと難しいかな。なんて思いました。
こういうコミュニケーションがしたいと思わないのも自分の場合は問題でそこで寂しくないにつながったりするのかも・・・
それに言語能力の発展にもつながってくるんでしょうね。
以上


今日の一言
「お人好し」

ガーナに来て7ヶ月。少ない日本人との付き合いの中で思うのは本当に自分はお人よしである。ということだ。
昔、母は父は本当にお人好しだ。という話をしていたことがあるが、その血をしっかり受け継いだらしい。基本的に何を頼まれてもNoといった記憶がない。基本的に理不尽な要求にまで自分に余裕があれば何も言わずに引き受けている。

まあ、自分がちょっと働くだけで周りが幸せになればいいや。くらいの簡単な気持ちでいるからそんなことができるのであろう。やっぱりこういうことも一晩寝ればいやなことは全部忘れられる自分の気持ちの切り替えの速さから来ているのではと思う。そんな精神構造を持つ、自分というのはいいのか、悪いのか、なんて疑問に思うことなく過ごしていた自分にそれを疑問に思わせることが起こる。

明日につづく


ガーナより一言
「たった一つのことが・・・」

自分がお人よしであるということは前に書いた。それを疑問に思うことがあった。それについて書く。

7月23日。今日は金曜日。そろそろガーナにおいても長期休みに入ろうとしている。そのために今日は通常授業最後の日であった。今週が終わると来週が復習週(という時間がガーナには存在する)、その次の週からテストが約2週間にわたって行われ、ガーナでは、これで年度末になる。9月からは新しい年度になる。そのために今日の授業はばたばたと忙しかった。金曜日は朝7時半から3時限連続の2時間教えた後、お昼の11時20分から1時まで教える、自分の中では仕事の多い日である。しかし今日の仕事はそれだけではなく、その後7時間、車に乗って首都のアクラに帰らなくてはいけなかった。
何のための上京かというとお世話になった先輩隊員が土曜日に帰国するためにそのお見送りのために上京したのである。上京は、実は先週末もミーティングのために上がっており、今回の上京も日曜日には帰ってこなくてはいけないのでこの2週間で全部で少なくとも28時間は車に乗ることになる。別にお見送りは義務でもなんでもないが、その先輩隊員は自分の近くの州都に住んでいて、それなりにお世話になったし、帰る前にいろいろなものを自分はもらった。それに対する感謝の気持ちがあるので最近忙しかろうと、自分の中では当然のことという感じの上京であった。
その上京で何があったか書く前に自分の協力隊におけるポジションを書いておく。自分はたびたび書いているがいじられ役である。自分でも協力隊に来るまで知らなかったがこれほどいじることが自分にいっぱいあるのか。と驚いた。例えば髪の質が天然の超くせっけだったり手足が非常に小さかったり、年齢は若いのにふけて見えたり、最近の一番のいじられるポイントは何でこんなごつい男にえくぼがあるのか?ということであった。
理不尽といえば理不尽ないじりであるが、普通にバカな話をしていて話がまとまらず行ったりきたりしているときに自分の話題が出て、きっちり落ちて話がまとまる。ということが流れであったのでそれはそれでいいか。と自分では思っていたのである。
ちなみに今回帰る人はそのいじる人の代表者であり、彼女が帰ると変なことを言われなくてすむから楽になるんだろうな。なんて思う反面、寂しくなるのかな。何てことも思う。
何はともあれ、そんな感じで話は上京してからの話に移る。
金曜日、授業が終わってから上京する。家を出られたのが1時半、その後1時間待っての出発(ガーナでは車がいっぱいにならないと出発にならない。このときはステーションに着いた直後に車がでて次の車に自分は一番乗りで乗り込んだ。)になったので、なんだかんだいって首都アクラに着いたのが9時半になった。
アクラについてみると半分に切った5メートルくらいの竹があった。そういえば帰る前に流しそうめんをやる。といっていたのを思い出し、本当にやるんだ。と思った。
その先輩隊員とっては最後の夜であるのでなんだかんだといろいろ話した。そんな中、明日はてんぷらもやろうということになってなぜか
「スギタよろしく、全部準備しといて」
ということになった。こんな理不尽はいじられ役の自分にはしょっちゅうでそれはただの冗談であることも多々あるのでどうするのかな?なんて思いながらも別に自分はどっちでもいいや。と思っていた。
自分は2時には寝たがもっと先輩隊員たちはもっと遅くまで話していたらしい。
次の日24日(土曜日)、自分はガーナに来てからは早寝早起きをしている。そのため、遅く寝ようが何しようが朝6時には目が覚めるようになってしまった。というわけでこの日起きたのも6時である。ほかにも早く起きた昨日話にあまり入っていなかった先輩隊員にてんぷらの話を聞いてみると
「やらなくていいんじゃない」
とのこと。自分もたぶん本気ではなかっただろうなんて思って周りにもとりあえず
「てんぷらはやらないよ。」
なんて宣言しておいた。しかし8時ごろ起きてきた、それをやるといっていた先輩隊員に入ると
「えー、やらないの。・・・やって」
とのお達し。どうやら本気だったらしい。本気であるということは結構大きな問題である。自分てんぷらなど作ったことがない。しかもアクラに上京すると誰かが作ってくれたものに便乗して食事にありついているため何の野菜が手にはいるかなどさっぱり知らない。それに上京してきたのはお見送りのためだけではなく、お金をおろしたり、書類の整理をJICA事務所でしたい。という理由もあり、それは土曜日の午前中しかできない。(土曜日の午前中しか銀行はあいていない。事務所も土曜日は何時までやっているかわからない。基本的には休み)それをやりつつ、買出しをして、やったことのないてんぷらをするという非常に無理な予定となってしまった。
どうしようかな。なんて考えていると救世主登場。アクラに住んでいるシニア隊員が来たのである。シニア隊員は普通の隊員には認められていない車の運転ができる。それに事務所の近くに行く用事もあるらしい。それに流しそうめん、なんていうイベントごとは大好き。というわけでお願いして車を出してもらえることに。
そこに事務所に用事がある、料理ができる先輩隊員を捕まえて、問題は全部解決。後はやるだけ。
買出しの費用は、帰る先輩隊員から徴収するというは気が引けるしその話題を出すとその先輩隊員が出すといいかねないし、別にお金に困っているわけではないので何も言わずに自腹(お人好しだね)。その貸し出しが終わって帰ってみると11時半。そこからてんぷら準備開始。今の時期はスイートポテトがアクラでも手に入るのでイモテンとナステン、インゲンテンにかき揚げ。というラインナップ。これに流しそうめん。というメニュー。ガーナで何でこんなことしているのか、よくわかりませんね。
ひたすら揚げる。揚げる。揚げる。揚げるのって時間かかるんですね。知りませんでした。揚げる。揚げる。来るのはだいたい10人。それだけの人数分揚げるってつらいですね。揚げる。揚げる。最初、先輩隊員に手伝ってもらって後は誰も周りにいなくなって一人で地味ーにやっていても揚げる。揚げる。
結局、始まったのが2時。それが始まっても揚げ続けました。食べてキッチンに戻って揚げる。ほとんど終わるまで揚げてましたね。最後の方は、心ある先輩隊員が変わってくれましたが、結局4時間、5時間揚げっぱなし。
終わって片付けも手伝って、残っていた仕事を片付けたらもう5時過ぎ、・・・ぐったり。お見送りの時間の8時まで、最後の話にも参加せず、たまーに
「スギターーーー。」
と聞こえても寝てました。
んでお見送り。空港まで。
結構よく泣く人でしたが、涙を見せずに帰っていかれました。
しかし最後の自分に対するセリフが
「スギタはいいや。」
でした。たしかにそういう先輩ではありましたが最後の最後までそれは無いだろう。なんて思いました。
それまで何もいわずにお人好しの自分は苦労してきましたが、それを聞いて、もう体力的にも精神的にもぐったり。ただ普通に
「残りの(協力隊の)期間がんばって」
といってくれただけなら忙しい中、お見送りに来て今日一日労働したのも自腹で払ったのもすべて「あーよかった。」で終われるのに
「スギタはいいや。」
・・・
たしかにそういうキャラの先輩でしたし、帰る前にいろいろ残していってくれたし、家にみんなで遊びに行っても文句一つ言わず泊めてくれたし、悪い人ではなかったけども・・・
その先輩隊員にメールを送ることは無いでしょうな。送っても形式的なものでしょう。

「たった一言が人のここを傷つける」なんて言葉がありました。別に傷ついたわけでないけども、自分というものがこれでいいのか、というアイデンティティが揺さぶられた感じでした。
その後に近くに住む先輩隊員から電話があって何か買ってきて欲しいものがある。ということで何か仕事の話かと思ったら
「そば買ってきてくれない?」
ということでした。今までNoといったことがありませんでしたが、そのときばかりは
「やだ」
といいました。その先輩隊員もそんなことを言うと思っていなかったらしく、驚いていましたが、体力的にも精神的もぼろぼろである状態ではいつものように
「いいよー」
なんて答えられないのでありました。
その電話の後、すぐ寝て25日、任地に帰りました。7時間みっちり車の中。帰って2時。いろいろやって3時。昼寝をしたら夜の8時。夕食食べて寝て起きたのが5時。12時間以上の爆睡でした。

アクラに帰ったその日、体重を量ってみるとついに52キロ台に突入。52.9キロでした。ガーナに来て7ヶ月、65キロでガーナに入って12キロ以上の減である自分でした。

終わり


今日の一言
「恋に恋をする」

大学時代全くと言っていいほど本を読んでいなかった自分が最近は文学少年になったように本を読んでいる。言うまでもないことだが新たな体験をしていれば思うこともまた新しいわけで・・・

自分は大学時代くらいから決まった恋人をつくらずふらふらしていた。作らずというか、作れずであったのはここだけの話。
いったい何が足りなかったのだろうか?何が原因だったのだろうかと思うとそれは、「恋に恋焦がれていなかった」からだと本を読んでいて思った。
たしかに恋人は欲しかったが、飯を作ってくれて性欲を満たしてくれればそれでいいや。という意味で欲しがっていた。自分はそんな悪い奴だった。
自分の中で恋がいいものである。なんて思うことをいつの間にか忘れていた。
恋はいいものでそれをしたいという「恋に対する憧れ」そういうものが足りなかったからだめだったんだ。
なんて本を読んでいて思った。
もっと昔から本を読んでいたら、「恋に対する憧れ」恋に恋していたらまた違った大学生活だったのではと思う今日この頃であった。

自分の中で納得のいく文章が書けない理由

それなりに文章を書き続けている人間であれば、その文章の出来、不出来がわかるようになる。・・・それは誇張かな?少なくとも自分の中でよく出来た。良くなかった。そう思うことが多くなる。最近の自分の文はあまりいいとは思えない。・・・という話をしていたら言われてしまった。
「いる環境が良くないからだよ。」

そうなのかも・・・・


ガーナから一言
「なぜゆえに?」

協力隊でガーナに来て体重が急激に減りまして、来る前に65キロあった体重は一時は52キロ台にまで突入いたしました。
自分の身長は169センチです。こうなるとですね、背の高いある女性とほぼ身長、体重が同じになります。
さて問題です。女性と男性、身長、体重がほぼ同じだった場合、どっちが太っているでしょう?
1、女性
2、男性
3、同じ

理屈的に考えると男性の方が筋肉があります。筋肉のほうが贅肉より重いですから、密度として男性の方が重くなります。ということはきゅっと引き締まって重いのは男性ということになり、太っているのは女性ということになります。
しかしですね、実際は自分の方が太っていました。太っているという表現がこの体重では適していないかもしれませんが、肩幅や胸囲などは自分の方があるみたいです。
何ででしょうか?

その女性は任期を終えて帰ったのでいらないTシャツをもらって部屋着として着ているのですが、そのときにきついな。何でだろう?と思ったことからでした。


ガーナから一言
「先輩隊員と新隊員」

新隊員が来て、アコソンボ訓練という新隊員がガーナ人生徒の前で授業をする。という訓練が行われました。そこで数ヶ月前の自分も見ることが出来ました。そのことについて、今回は書こうと思います。
自分が来たのは、12月でした。任地に派遣されたのが1月の中頃、そのころ、理科実験ツアーというのが行われていました。自分は赴任したばかりでしたが、すぐ隣の町の隊員の学校でそのツアーをやっているというので見学に行きました。そこでみたものはガーナ人生と相手に、ある人の言葉を借りていえば、「いい感じ」で授業している先輩隊員でした。それを見て、当時、自分はできるんだろうか?と心配になり、その不安のあとはああいう授業が出来るようになりたい。と思ったもんでした。
そのことが今回のアコソンボ訓練でも起こったと思います。自分の授業を見て新隊員の一人が
「なんかいい感じじゃない?」
といったそうです。自分の授業なんて正直なところ、やっと見られるようになった。程度であるような気がしますが、それでもちょっとは自分も進歩しているんだな。ということが確認できた出来事でした。
あとの調整員の感想の中にも先輩隊員に気圧されながらもがんばっていた新隊員という言葉がありました。これを機に新隊員も自分と同じ、ああなりたいと思って過ごしてくれればと思います。また自分もあのときの初々しさを思い出し、・・・何とも言えない気分になった出来事でした。


8月12日。
すでに今日朝から、いや昨日の夜から、よき友人であり師であった女性はなく、小さくてがんばり屋の女性もなく、頼りになる親しみのある姉さんはなく、いつも笑っていた女性もなく、来たときから世話になっていた兄貴みたいな人もなく、いつも気軽に声をかけてくれた男性もいない。
今日からまた新たな協力隊活動が始まった。
これからは自分が彼らのように頼りになる人間にならなくてはいけない。
任地の周りにすぐ助けに来てくれる仲間はなく、日本人付き合いももうほとんどないだろう。
あったとしても立場が違う。

寂しい


8月10日。
ガーナより一言
「引継ぎ」
先輩隊員である14年度1次隊の皆さんが帰るということで今まで先輩隊員がやっていたことを引き継ぐことになりました。
最初はそんな気はさらさらありませんでした。しかしいろいろな話を聞いているとそれをすべきであると自分は思いました。というのもガーナに協力隊が派遣されて25年以上になります。それだけの長い間、派遣され続けていれば見えてきているものは見えてきています。いろいろな人の話を聞いてみるとどうやら同じことを言っているような気がしました。つまり協力隊員はみんながみんな、同じことを考えて、これをこうしたら良くなるのに。と思っているのだけれど2年間という時間で間にあわないということがあったり、上の許可がおりなくて出来ないなんてこともあるみたいです。というわけで仕事を引き継ぐということは2年間という時間を大事に使うことにもなり前にちょっとでも進めれば・・・なんてことも考えて引継ぎをしました。
具体的にやったことといえば、先輩隊員が作った問題集の引継ぎです。
これが前に進むことにつなげられるかどうなのかはわかりませんが、とりあえずそこで終わるということは避けられたのでいいんじゃない。って感じです。


アコソンボ訓練2004
○アコソンボ訓練について
ガーナ協力隊の理数科教師最大のイベント、アコソンボ訓練が8月の23日から27日まで行われた。
この訓練は一次隊がガーナに来る8月に行われる恒例のイベントでそれなりに知名度もあるらしい。(協力隊は1次隊、2次隊、3次隊と年3回派遣が行われる。)
ちなみにアコソンボというのは行われていた場所の地名である。
このイベントは基本的に一次隊にむけて行われる。
どうしてか?と問われると自分は説明できない。推測すると一次隊というのは新卒(社会経験がない)が多く集まる。(派遣前訓練が4月から始まるから)ガーナは、教員免許や先生の実務経験がなくても教師ができる。そしてガーナの一番派遣されている職種は理数科教師であり、次が家政隊員である。
つまり一番多くの人間が来るときであるのでこのような訓練が行われるようになったのではないかと思う。
概略を説明すると先輩隊員(旧隊員)の所属する学校から生徒をその場所まで連れてきて、そこで約一週間かけて授業を行う。基本的な目的は新隊員の訓練である。正直なところを書くと協力隊員は派遣される前に79日間の訓練を訓練所で受ける。教室型隊員はそこで模擬授業を行うのである。しかしそのレベルは日本人を相手にするために自分たちが活動で行うのはかけ離れている。そのためにこの訓練はそれなりに価値があると自分では思う。

○訓練の組織について
このイベントは教育分科会と呼ばれる会が主催して行われる。2004年の今年はその教育分科会に参加している人間が少なかったということがまず一つの問題の原因ではなかったかと思う。前述したが協力隊は3次隊まである。このイベントのことを考えると1次隊がメインで訓練を受ける。彼らはやってもらう側でありオーガナイズには最初の年は参加しない。
まずアコソンボ訓練2003は15年度1次隊の訓練のために行われた。オーガナイズしたのは13年度2次隊から14年度2次隊までである。(14年度3次隊は来て3ヶ月であるのでオーガナイズに参加しない)今年アコソンボ訓練2004をオーガナイズするのは14年度2次隊から15年度2次隊までである。つまり今年のオーガナイズをするメンバーの中で去年のオーガナイズを知っているのは14年度2次隊のメンバーだけということになる。そしてアコソンボ訓練自体を知っているのは14年度2次隊から15年度1次隊までになる。
今年の教育分科会のメンバーは、14年度2次隊に1人、14年度3次隊はなく、15年度1次隊が3人、15年度2次隊に4人である。去年の訓練を知っているのがたったの4人、それでいてオーガナイズにかかわっていたのがたったの一人であった。そのために(本当にそのためであったのかは自分は15年度2次隊であるため確かではないが)まず準備を始めるのが非常に遅く始まったらしい。(ここから15年度2次隊がオーガナイズに参加するというところまでは聞いた話である。)
このイベントは8月のイベントであるが毎年11月くらいから話を始めなくてはいけないらしい。まずこの訓練をやるのか、やらないのかから始める。今年、その話が始まったのが2月。しかも最初の話し合いが行われることなく、この時点ですでにやる場所の話になっていた。しかも場所をアコソンボではなく、アクラでやる。ということになっていた。
場所を変えるということは今までやってきたものが一つとして役に立たない。授業訓練自体は変わりないとしてもオーガナイズという面に関しては一からということになる。自分たちが泊まるところ、生徒が泊まるところ、食事。一日の流れなどである。
それに今年はいろいろ新しい試みとして家政隊員、コンピューター隊員が参加した。それに他国ボランティアを呼んだ。それに生徒だけではなく、カウンターパート(仕事の同僚)を呼んだ。
以上のようなオーガナイズはまず15年度1次隊が行った。ここで15年度2次隊の自分たちが参加しなかったのは、自分たちが派遣されたのが12月であるということ。それに教育分科会に参加するか、いまだ未定であったこと。それによって訓練に参加するか未定になったこと。があげられる。このことは今年、少し問題になった。
このあとのオーガナイズは、自分たち(15年度2次隊のこと。15年度3次隊は赴任され時間がたっていないためオーガナイズには不参加。今回15年度3次隊も新隊員として扱うこととした。)も参加した。しかしこの地点で多くのことは決定済みであり、あとは決定済み事項に従い、自分たちは仕事をした。
自分は会計であったので仕事はたいしてなかった。しかし手紙の係の人間は、非常に大変であった。まず各学校へのレター。他国ボランティアへのレターなどである。しかし全員が任地で普段の活動を行いながらのオーガナイズであった。そのために相互連絡が不十分となり問題が起こった。
そして訓練2週間前、広域外研修旅行がケニアにて行われた。ここでオーガナイズの主力であった15年度1次隊の3人全員がケニアに行った。シニアも行った。というわけでその間、空白が存在した。そこですでにガーナに派遣された新隊員が訓練の準備をしていいのか?トピックは何か?など少し問題が起こったがそれ自体はたいしたことがなくすんだ。
訓練前日、問題が起こった。自分は会計でありそこまでオーガナイズには参加はすくなかった。しかし人間が少なかったために駆り出されたときにそれは起こった。宿泊場所として予約してあった学校にガーナの教育省からダブルブッキング。学校側の対応としてガーナの教育省が優先され、生徒たちが泊まるところがなくなった。
最終的にその学校の寮とバンガローを借りて事なきをえたがその交渉をするのに校長を呼び出しそれを待って数時間、また交渉をするのに数時間とだいぶ苦労した。ここで自分が困ったのは自分でどこまで決めていいか?である。交渉の際、数人がこの対応に切れてしまった。それによって自分が決めるほかなくなったのだが、自分がそんなことをしていいのか?という疑問が起こった。それに行ったことがないのでイメージがわかない。
この訓練においてそういう問題は多かったと思われる。新隊員も自分はこれをやっていいのだろうか?と思う面があったのではないかと思う。

○訓練
訓練自体の話に移る。前述したがこの訓練のメインは授業である。訓練自体は5日間あった。その中で新隊員(15年度3次隊と16年度1次隊)は一人3時間、旧隊員は1時間の授業の受け持ちであった。空いている時間は他人の授業を見て評価をする。またはビデオをとる仕事なども分担されていたのでそのような事をしていた。
自分の印象としては旧隊員は最初の方に大半の人間が終わってしまった。新隊員に見せるという意味が含まれていたと思う。また他にも旧隊員には生徒が泊まっているところに泊まりに行く。食事を取りに行く。などいろいろな仕事があった。そのために授業は少なかった。しかし5日間でたった1時間であるというのは少なかったように思う。この理由は今回は他国ボランティア、およびカウンターパートにも授業を振り分けたのでこうなった。正直なところカウンターパートの授業については必要であったか、疑問であった。いやカウンターパート自体必要であったかも疑問であった。というのも彼らの授業はふだん見ることが可能であるし、彼らに仕事は生徒の引率、当日は授業の評価と授業だけであったので彼らは暇をして雑談をしているところが見かけられた。それにお金の問題についても検討に時間を費やし、自分たちと同じ日当を払ったが、結局もめた隊員も存在し、その隊員は自腹でいくらか払った。今回は個人負担にならないようにというコンセプトであったがそれは完璧ではなかった。
授業の話に戻る。自分も経験があるがガーナに来た直後に先輩隊員の授業を見ると驚く。すごいと思う。特に通常の授業ではなく、(自分の中でイベント授業と呼んでいる。前や後を考えずにその時、その時に行う授業。テストなどに出ることはないため、やりたいように出来る。理科実験ツアーなどもこの授業になる)イベント授業を行うときには隊員も生徒も何のしがらみもない。だから本当に楽しく出来るし、授業に使うマテリアルも首都のアクラで準備するのでますますいい授業ができる。そんな授業を来た直後に見ると自分はできるんだろうかと思う。それにあこがれてがんばる。
ということで16年度1次隊の新隊員は最初の授業は青息吐息だったが最後の3つ目の授業ではそれなりの授業をしていた。
しかし15年度3次隊は問題であった。というのも彼らは赴任されて一つの学期を終えている。しかもその学期は3つある学期の中で一番授業がきっちり出来る学期であった。(何かが起こって授業がなくなることが少ないという意味)彼らはすでに新隊員ではなかった。彼らに3時間の時間は必要なかったように思う。しかし彼らはオーガナイズには参加していない。立場としては微妙な位置であったと思う。
あとは細かい点に何点かふれることにする。
一つ、レッスンプランについて。当初、これは期限である8月20日に回収することになっていた。(訓練開始は23日)その間にいろいろな検討が行われ、レッスンプランの書き方などの話があると自分は思っていたし、シニアはこれをまとめ印刷し、これを見て授業評価すると思っていた。しかし実際のところ、期限どうりに提出した人間は少なく、ただ書いただけ。という形になってしまった。これについては、自分は派遣されてすぐの教育実習でしっかり教えてもらい、非常に役に立ったので教えるべきであると思った。
一つ、ビデオについて。これは撮るということにも時間を裂き、バッテリーの充電やビデオのダビングなど多くの時間を割いた。しかし全く活用されなかった。反省会が終わったあと上映されたが見ている人間は最初は数人だけ。中盤からは誰も見なくなった。これはしっかり見る時間をとり、その人の授業について検討すべきだと思う。そのための時間がとれないなら行う必要はない。そのための時間は非常にもったいなかった。
一つ、コンピューター隊員について。コンピューター隊員は15年度3次隊に非常に優れた人間がいてその人間がすべての面倒を見てくれたため、全く問題は起こらなかったが、彼が無責任な人間であったらもっと大きなトラブルになっていたのは明白であった。しかもその面倒見てくれた人間は正式な参加メンバーではなかった。(彼が教室型隊員ではなかったため)もっと彼を正式なメンバーにするなり、正式な要請をするなり、それについてのケアは足りなかったと思う。
一つ、家政隊員について。今回、家政隊員に参加してもらったが一番の問題はミシンなどの道具がないことであった。そのためそれを使わない授業をしてもらうということをしてもらった。この点についても少し無理があった。無理にアコソンボ訓練という枠に入れずワークショップとして別機会にやるという方が新隊員の教育という面においては良いと思う。しかし教室型隊員でありながら家政隊員と理数科教師隊員は交流が少ない。(基本的に他職種との交流は少ない)その中でお互いの授業が見ることができ相互交流になったのはこの訓練の良い点であったと思う。
一つ、隊員の宿泊場所が隊員宿舎(ドミトリー)であったことについて。これについてはこの訓練に参加しない隊員に迷惑ではないか?ということが最初から問題として扱われ、そのためキッチンの使用を訓練に参加する人は禁止。ある時間にはこの場所を使うという事前の告知などをおこなった。自分の印象としては特に迷惑をかけたという感じは受けなかった。周りの隊員は非常に協力的であった。しかし、そこに居る大半の隊員がアコソンボ訓練の準備や話をしている中で彼らは少数勢力、彼らは居辛そうであった。やはり違うところでやる方が良いのではと思った。
しかし今回の訓練、毎年出るという体調を崩す人間が少なかった。まずドミトリーではお湯シャワーが使えるというのが大きな要因ではという話を聞いた。あとは慣れているので気が休まるというのもあるだろうし、何かあってもすぐ対処できるという安心感もあったのではと思う。
一つ、食事について。朝はパンやビスケットなどであって問題はないと思うが昼、夜は共にガーナの現地食であった。旧隊員は文句も言わずみんな食べていたが新隊員にはつらかったのではと思う。これも訓練といってしまえばそれまでだが、時間も訓練が終わって2時に昼食。晩は6時半と時間的にも問題があったと思う。

○後日談
アコソンボ訓練が終わり、教育分科会の定例会と共に反省会が行われた。そのあとであったか、前であったかは覚えていないが15年度1次隊のメンバー3人のうち、2人が退会した。しかも教育分科会への新メンバーの参加もなかった。(15年度3次隊、および16年度1次隊)
そのようなことがあっていろいろ考えるところがあったのでそれについて書く。
まずそもそも教育分科会主催であり、教育分科会メンバーが参加しているアコソンボ訓練である。それに新隊員は半強制的に参加という形で加わっている。(訓練所のときからそのことはつげられているが拒否権はとりあえずない)終わってみると誰もその分科会に参加しなかった。反省では非常に役にたった。と言っていたにもかかわらずである。アコソンボ訓練がこの形でいいのか疑問である。
次に1次隊と2次隊、3次隊の話である。正直なところ1次隊のために行われるこの訓練。
オーガナイズも何もかもが彼ら任せになってしまう。そこが大きな問題だと思う。それに1次隊には隊員支援経費、行ってしまえば税金である。これを大きく投入し訓練しているにもかかわらず2次隊、3次隊は教育実習という形で先輩隊員の任地に行くだけである。その不公平感は否めない。
今までは一番多くの隊員が来るからという理由で認められはきたがこれから来る16年度2次隊、3次隊はガーナは多く来ることが決まっている。そのような事を考えるとこの訓練には検討が必要である。と思う。
そこから発展し、そもそも教育分科会が必要であるのか?という議論も起こっている。その話はまた後日・・・
最後に付け加えます。後日談、その2。新隊員の日当が出ませんでした。これは大きな問題です。しょうがないのでピースコーなどの立て替えてあったお金に旧隊員から10万セディずつ回収し新隊員に配ることにしました。出ないのはどう考えてもおかしい。
以上


8月・・・

今、今まで書いた文章をチェックしていたら、8月は一つの文も書いていなかったことが判明した。たしかに8月は忙しかった。先輩隊員の仕事の引継ぎから始まって、お見送りアコソンボ訓練などやることは目白押しであった。しかしまさか1文も書いていないとは・・・

30日間、思うことは多くあっただろうに頭の中に残っているのはもうほんのちょっとしかない。なんかもったいないことをしたな。なんて思ってしまいますね。
思ったこと、感じたことを記録に残しておきたい。そう思って自分は文章を書いているんですね・・・


8月6日。
「6時間」

今日は、人生で初めてのことがありました。それは「6時間待つ。」ということをしました。今まで23年生きてきてそんなに待ったのは初めてです。彼女ですら、そんなに待ったことがないにもかかわらず彼女ではない女性を6時間待ち続けました。

・・・と書くとだいぶ誤解が生まれそうであるので詳細を書くことにします。

協力隊でガーナに来て8ヶ月。これだけいると先輩隊員が帰るのは当たり前のことです。そんなときには何か使っているものをもらうのが常であります。ということで近くに住んでいる先輩隊員が帰るというので物をもらう約束をしました。
自分のうちはその先輩隊員が帰る帰路からちょっと外れたところにあるだけなので、よって帰ってくれると思っていました。しかしながらここはガーナ。予定通りにはいかないもので。
後で聞いた話によると送ってくれたガーナ人はとても忙しかったのでうちに寄る暇がなかったようです。しかしながらガーナの地方隊員には連絡する手段は無線だけ。携帯電話どころか、自宅に電話もないので連絡が出来ません。
その彼女は帰ってしまったにもかかわらず、自分は6時間、待っていたようです。
6時間待った後、いくらなんでもおかしいと彼女の家まで行ってみるとすでにもぬけの殻。というわけで自分が無駄に待ち続けたことがわかりまして、さすがにぶち切れ。
何とか飯をおごってもらうということで話をつけました。
帰る隊員にぶちきれていてもしょうがないからね。

しかしこれからまだまだ長い人生を送るはずな自分ですが、果たしてこれから先、6時間も女性を待つ。いや誰か他人を待つ。なんてことがあるのかな。なんて思うとちょっと貴重な経験をしたのかな?なんて思ってしまう今日なのでした。


ガーナより一言
「悩まない」

協力隊活動に参加して、「真剣勝負をすることがない」。ということを前書きました。それに続いてガーナでは「悩まない」ということに気づきました。
もちろん、仕事(教師)をしているときにどうしようか?と悩むことはあります。そういうタイプの悩みは存在します。しかし、人間関係とかそういう日本であった、なんていっていいか良くわからない、若さゆえの悩みというか、あるべき当然というなやみがないような気がする。
まず少なくとも人間関係で悩む必要がない。特に自分のように「つかず離れず」が出来る人間にはこの協力隊でたった2年という付き合いの中で人間関係に悩む必要が全くない。(つかず離れずとは、簡単にいうと自分の中のあるところまでは簡単に他人を入れることが出来る。しかしそれ以上はほとんど入れないこと。と自分ではしている)2年という短い間なのでいっさい変な気を使う必要がない。どうせたった2年だから。2年でここからいなくなって今度来るとしても旅行がいいところ。すごく悪く言ってしまえばここで大きな失敗をしても日本に帰ればいい。それに給料を学校からもらっているわけではないから与えられていることを最低限はこなすがそこから先はボランティア。というわけで変な気をいっさい使う必要がない。
具体的に先生はみんな親切で「つかず離れず」していれば問題ないし、別に文句をつける気はこっちは全くないから揉め事は起こらない。向こうから文句言われるようなことは、日本人の習慣からしてありえない。(時間正確、すっぽかさないなど)生徒とは授業という時間を送っているが関係はきわめて良好。先生というか、それこそ友人って感じ。
友人についても別に孤独でも暮らしていける人間には、特に親しい人間は必要と感じない。
あとは普通、日本では何に悩むかな?
恋か。ガーナでは何もありません。どうしても黒人さん相手に恋をする気にはなれません。たぶん自分は、自分の事を話すのが得意ではないというか、好きではないので同じ方向を向かっている人ではないと共通の話題がない人です。なんで黒人相手にはそれがない。っていうのが一番の理由ですね。
他の協力隊員とは基本的にあまり会わない。長期休みとかは会うけど普段は会わない。特に自分は任地の近くにいた人がみんな帰ってしまったのでどうしようもない。というわけで恋も悩まない。というか、それ自体ない。それがないことに関してもあきらめているから悩まない。
書き忘れました。他の協力隊員との人間関係。とりあえずいじられキャラの人畜無害キャラなので問題は起こりません。それにみんな協力隊をしている。ガーナで暮らしている。それだけで共通の話題があります。というわけで話すのにも困ることありません。ということでこれも問題なし。
うーん、こんなんで23歳の若造の自分は将来、大丈夫なんでしょうか。悩まないってことはなんか進歩が止まっているような気がしてちょっと心配な自分なのでありました。


ガーナから一言
「時間割決まった。そっからいろいろ」

驚いたことに今日29日、時間割が決まり発表されました。学校が始まったのが20日。日本から言わせれば
「なんじゃそりゃ」
ですがここはガーナ。周りの話を聞いていたら時間割が決まるのは10月の中頃みたいな話を聞く中で内の学校はこんなに早く決まりました。
周りの話では学校が始まってから時間割が決まるまで3週は見とく。みたいな話を先輩隊員から聞いていましたがたった9日間で決まりました。決め始めたのはもっと後ですから一週間くらいで作ったことになります。
非常に早い。やっぱりうすうすわかっていたことですが自分の赴任されている学校はオーガナイズがしっかりしている。他の学校は先生が辞めていって次の先生が決まらないとか、学期休みの後もずっと学校が始まらないとかいっていますが自分の学校はその中でもいつも早く始まり、自分は
「噂ほどひどくないじゃん」
と思うのですがそれはただ単に内の学校がオーガナイズがしっかりしている。それに尽きる。オーガナイズがしっかりしているイコール校長がしっかりしている。ということです。前年先生は2人辞めたそうですが今回先生は4人来ました。
2人しかやめないというところもすごいです。ガーナではいつも給料のことで先生と校長はもめていてひどい学校では半分近くの先生が辞めたところもあるそうです。また先生が5人しかいないという学校もあってそこは、年中、新しい先生を探しているけど見つからないそうです。
自分の学校は大都市と大都市の町で地の利がいいとはいえ、これはすごいことです。いやー、うちの校長はすごい。新しい校舎まで作っているし今年からクラス増やしたし・・・

しかし校長がすごいということはイコール協力隊員は特に仕事をすることがないということになってしまうところが悲しいところ。
勝手に口を出せばいいじゃん。と思うかもしれませんが、協力隊の本懐は「自助努力の促進」。簡単にいうと自分がやるというよりは協力している国の人々を引っ張り、彼らにやらせる。ということです。
彼らがしっかりしているのにその仕事を取るというのもどうだろう?と思いますし、いやー、どうしたもんでしょうか?

そう考えると一つの協力隊の問題点が見えてきます。自分のところは協力の要請が上がってから協力隊員が入るまで長い時間があったと聞いています。そうするとその間に校長とかが変わってしまって協力隊員が特に必要ではないかも・・・なんてとこに派遣されてしまうこともあるわけで・・・
かといって要請があがってすぐにそれに適した人間が見つかるかと言えばそんなことは不可能なわけで、これはこれでしょうがないのかな。と思います。

しかし自分の仕事はないわけではなく、通常授業のほかに今回は新一年生の担任を任されました。しかし担任といってもあまり何をやっているのか良く知りません。いつも授業しかやってないので・・・
あとは新しい校舎の中に実験室を作るのでその器具の調達を頼まれています。しかし自分、数学の先生で、化学に携わっていないと隊員支援経費(隊員がなにか活動するために出るお金)も出にくいというし、どうしたものか考え中です。

協力隊員は仕事は自分で見つけるもんで忙しくしようと思えばどこまででも忙しくなるし、暇しようと思えばどこまででも暇になる。
ちゅうっくらいがいいかな。
以上


ガーナから一言
「学校が始まる日のはず・・・」

9月20日。
今日から学校が始まる日のはずです。というか校長先生にこの日にはいてくれ。といわれた日です。授業はないとしてもスタッフミーティングくらいはあるのかと思っていましたがそれも明日であるとのこと。それでも生徒は10%くらいは着ていたような気がする。

ガーナではこんなもんです。何かを始めるのに前もってやるという考えがない。そこがそもそもの問題だと思います。
ガーナではこの学期が最初の学期になります。そのため時間割を作らなくてはいけません。しかしそれもこれから始まります。実質まだ始まってないんですよね。それなのに生徒に「来い。」という。生徒も何もないと知りながら学校に来る。

習慣というのは怖いもんですね。
そんな習慣を持ってしまうと日本に復帰できないんでしょうな。


今日の一言
「居たければいればいい、居たくなければ去ればいい」

仲間と友達って何?
自分の中では大きく違います。仲間っていうのは友達でしかも同じ方向を向いている人です。学生のときなら同じことをしている同じ学部、学科、研究室の人、などなどそんな人のことであります。友達はただ気が合う奴ってところでしょうか。
だから時によって仲間だった人が仲間でなくなってただの友達になってしまうことが良くあります。自分は、工学部の“仲間”から離脱したので今は彼らは友達です。だからといって別にたいした問題ではありませんけどね。
しかしたいした問題になるときもあります。それは簡単にいうとその仲間のグループに居づらくなったりしてしますことです。とりあえず大きな要因は共通のものがなくなることです。共通のものがなくなるということは共通の話題がなくなるということでそうすると一般的共通話題である恋愛の話とか家族の話とか、あとはいっしょに旅行に行ったり遊びにいったり共通の話題を自分から作り出すとかそんなことをすることになります。そういうことをしてみるうちになんとなく合わないな。なんて思うこともあります。たとえ昔、気が合うな。と思っていた人間でも、グループでも。
そしたら悩む必要なんかない。そこに居たければいればいい。居たくなければ去ればいい。ただそれだけのような気がするけど、ちがうのかな???

気になる。

大学って勝手に入って授業受けていいのかな?別にそこの学生じゃなくても出来そうじゃん。


気になる。

どうしてアリの巣は雨が降っても大丈夫なんだろう?