ガーナトップ青年海外協力隊ブログ>その15マラリアにかかる

今日の一言
「年齢論、先輩論、男女論」

ガーナで協力隊員をしております。
青年海外協力隊に参加して、今までだいたい同世代の中で暮らしてきた自分にとって年上の人と話すことが出来るようなりました。それは大きな勉強となります。特に
「いろいろ言ってもらうことを期待してる。」
見たいな発言をしたところ、遠慮のない結構な言葉を頂戴することもたびたびであります。そこで言われたことについて書きたいと思います。
自分は学生上がりなのでよく先輩後輩という言葉を使います。それに加えて年上、それに自分より先に来た隊員(先輩隊員)には敬語を使う。という傾向があるみたいです。あとは隊員宿舎にいるときはなんとなく、女性が食事を作ってくれるのを待っている。見たいなところがあるみたいです。
そんなところを近頃、2人の人に注意されました。
「いったいいつの時代の人間だ?先輩後輩なんてのはもう死語だし、女性にやってもらおうみたいのやめたら。」
との言葉をもっときつく言われました。ちょっと書く前に言わせてもらえば自分が敬語を使うのは上記の時だけではなく、よく知らない、仲がさほど良くない人間には年下だろうがあとから来ていようが敬語を使うし、逆に仲良くなれば年上だろうとなんだろうと愛嬌の無礼な発言をしたりもあるわけです。
女性が食事を作ってくれるのを待っている。というのは自分が率先して動かないだけであって食事の準備を誰かが始めればほぼ間違いなく手伝っている。これは料理というものに自分が自信がないからきていると思っております。
しかしながら言われて見れば古いッちゃあ、古いような気がする。
自分の心をほじくってみれば、年上の人間や古株の隊員は自分よりも優れたものを持っていることがほとんどで自分が学ぶことが多くある。もちろん、そうでない人間もいますが探してみればだいたい何かしら持っているものであります。だから敬語を使うわけです。
自分がそう思っているわけでありますから、自分が逆の立場になったときは向こうにとってそういうものだ。と思っている節があるのは事実です。あとはなんとなく、絡みが少ないところにはどのような人間関係もないわけですから先輩面しているのが一番簡単な人間関係なのでそういう風な安易な考えで暮らしている向きもあります。
あとは隊員として言わせていただければ、自分が今までやってきたことは決して誰にも文句を言われることではないと思います。誰よりもいろいろなことに参加し、話を聞き、下積みをやった。そういう自負もそのような態度になるのかと思われます。それも下に下積みをやれ。見たいなところがあってだめだなー。
あとは女性食事事件に関しては自分の中では適材適所というのは長い年月をかけて築き上げられたもののような気がしていまして、今までやはり女性が料理をしてきたのはその面で女性が優れているからだと思うからであります。たしかに男が働いて女性が家を守るという形になったのは男尊女卑の面から来たのは認めますが、それでもその蓄積は大きなことを言ってしまえば遺伝子の中にもあるはずだし、料理は(家庭料理)は絶対に女性が作る方がおいしい。と思っているから待っているのであって別に他意はありません。現にほかの隊員が自分のうちに遊びに来たときはその人がたとえ女性でも自分で料理しますし。
とまあ、長々といいわけを書いてきて、またかっこ悪い男をさらしております。
それが誰かにとって気になる。ということはやっぱりいいことではないのでしょう。
年齢、先輩、男女、これについての根本的な考えは改める必要があるみたいですねー。


今日の一言
「聞き上手」

「聞き上手」こうなりたいな。と思う人は多分多いはずだろうと思います。じゃあ、いったい聞き上手って何?って考えちゃいますね。
相槌がうまいとか、話しやすそうな雰囲気を持つとか、口が堅いとかそんなところでしょうか。そんな風に思っていました。最近、その要素を見つけたのでそれについて書きます。

話を聞く場合、相手はただ聞いてほしい。と思っているだけが多く、別に意見を求めていることは少ない。ということはただ親身になって聞いてりゃいいのです。
「我慢強く聞くことができる」
話がやだったら聞かないで席を立ってしまえばいいのです。席に座っている以上は我慢強く聞く。これもひとつの聞き上手のひとつではないかな。なんて思った自分でありました。


ガーナより一言
「無線が味気ない・・・」

ガーナで協力隊員をして1年と3ヶ月がたとうとしております。
ガーナの協力隊員には「定期更新」というものがあります。夕方だいたい5時半に「元気です。」ってことを事務所側が確認する。というのがメインの時間です。そのほかに隊員同士、または事務所の調整員との連絡などに使われております。
私が来た当初は、平日毎日行っておりました。隊員がまだあまり多くなかったし、別に評判は悪くなかったから。
しかし来てから数ヶ月、まず水曜日がなくなりました。これは事務所側が水曜日が早く終わるという都合からという話でしたが、隊員の立場からすれば特に問題はなく、ま、いいや。という感じでした。しかし時が経ち、この無線、出る人はほとんど毎回出ますが、でない人はまったくでないということが起こり始めました。一週間に一度は必ずでよう。と決まってしばらくやっていたのですが、隊員の人数が増えてとにかく長い。評判が悪くなってきました。
というわけで最近、事務所側が方針を変更。火曜日と金曜日のみ行う。しかし必ずでること。ということになりました。
今まで自分はほぼ毎回出ていました。夕方になると自分の時間を持つことにしていて、この時間は食事を作る時間だったので何の苦もなく出ていたのです。そんな自分にとってこれは非常に・・・味気ない。というか、よくない。まず自分の順番までほとんど人がでないで、すっとまわってきていたのに、自分の晩が来るまで長くなった。
それに全員が全員出るからとにかく長い。30分近くやる。定期更新が終わったあと連絡お願いします。なんていわれた日にはたまったもんじゃない。料理しながら無線聞いてまた料理。とにかくうざい。
うーん、自分の気持ちが入ってないな。この文章。
なんていうか、毎回でてる人には出ている人の連帯感みたいなものがあったわけですよ。事務所側も誰も出ないときによく出てくれた。ありがとう。みたいなそういう目に見えない何かがあったわけですよ。それが何かこの合理的にするという変化の中、失われてしまった。その味気なさを書いてみたくなっただけなんですが・・・


今日の一言
「信用できん。」

裏切り者め。
最初に仕事を頼んだのは俺だ。俺の仕事を後回しにしてそっちの仕事を選んだのか?
オレがお前が適任だと思ったから頼んだのに。
どっちがお前を必要としていると思っているのだ。
「ほかの人に出来るんですか?」
だと!ふざけんな。お前が断ったからほかの人に頼むしかないじゃないか。
断り方も気に入らない。
なぜ他人が断る。なぜ自分で断らない。
しかもその夜、
「この仕事はインターネットで画像をとってきて・・・」
夜、俺の仕事できるじゃねーか。
お前がしてるのは、ただだべってるだけ。
オレがお前を裏切り者と呼ぶのはしょうがないことだな。
一度失った信用は2度ともとには戻らない。
じゃあな。


青年海外協力隊活動3分の2を終えて書く。

「何のためにここにいる?」

最初は良く見た。ガーナも。学校も。協力隊活動も。その感想は幻滅だ。
学校は自分なしでもよい。お金の元としか見られていない。隊員活動はただの自己満足だ。組織としても未熟極まりなく、問題集作成、実験ツアー、アコソンボ訓練、トロトロ編集(ガーナ機関紙)など活動に対して疑問が残る。問題集はただ年代別に並べるだけ。実験ツアーはただ楽しい実験をしてまわるだけ。効果のほどはどれほどか疑問だ。アコソンボ訓練も大々的にやる必要はなく、教育実習で十分だし、トロトロもこれを出している意味がわからん。
実際の所属先での実働時間やその他見ても、こんなに楽でいいのか?義務はほんの少し。活動がなくて自治会やらなにやら、隊員活動のみに力を入れる隊員。授業サボって旅行しまくる隊員など。これがいったい自分にどんなプラスになるというのだ。授業だって高校からではもう手遅れ。が結論。屋根が飛んで学校が一週間休みになって帰って来たら修理のあとがほとんどないようなガーナに何がある。
優秀な人間になってもヨーロッパにいってしまう国民。その他人間が動かない国に発展などない。
国際協力も環境に関すること、および最低限の社会権が満たせない場合にのみ行うべし。コンピューターなど必要ない。そんな隊員も必要ない。ガーナは食糧自給が足りてないし、土地生産性も低い。もっと野菜隊員など食料関係の隊員を山ほど入れるべきで、高校より下の小学校、中学校に隊員をいれることを認めないガーナに理数科隊員も必要ない。
そもそも教職を持っていない、持っていても経験もないような人間を理数科教師として入れてもだめだ。教えるという壁と英語を使うという2つの壁に同時にぶつかる。半年もすれば何とかなるが、その半年生徒がかわいそうだ。
そもそも隊員を入れるのはお金のためかもしくはただで働いてくれるただの人としてしか見ていない学校がほとんどだ。ますます必要ない。
現在のJICA、アフリカ重視。ガーナは治安が安全だからいっぱい入れましょう。冗談じゃない。税金を何だと思っている。国際協力ってのはそんなもんか?
文句を言う自分だって何をしているやら。1日5時間も6時間も読書して8時間以上寝て暮らしている。授業に対して情熱ももてない。ガーナという国に慣れ、驚きもない。まだ8ヶ月あるのに帰る間際の隊員と別れを惜しみながら同じ立場でガーナの文句を言い、日本に帰りたい。を連発しながら、やりたいことが終わっていないから実行できないし、その勇気もない。他隊員とガーナの悪口を言い合って心を慰め、またふがいない自分を慰めている気がする。
来た当初言われた腐らないこと。今、自分は腐っているかもしれない。大学の同期は院をでて社会人となった。彼らと自分との差はどれほどだろう?
先に帰った隊員のほとんどは就職しない、出来ない。出来ているのは一握り。これで大丈夫か?
腐ってないといってくれ・・・
2005年4月2日


スギタのマラリア奮闘記」を掲載いたします。
さる3月第3週。私、熱帯特有の病気であるマラリアにかかりました。そうそう、私、今、青年海外協力隊員としてガーナに来ております。マラリアにもいくつか種類がありますが私がかかったのは一番症状がきついといわれる「熱帯熱マラリア」というものです。潜伏期間は1週間から20日くらいといわれています。
病状にありながらせっかくかかった病気なのでその記録を残そうと書いております。最初はさすがに余裕がありませんね。時間と共に更新し行きたいと思います。

3月20日午前8時著。
朝2時に目が覚める。なんとなく暑い。とにかく顔が暑い。おかしいなと思って、熱を計ってみる。38度9分。人生で2番目に高い熱である。マラリアキット(マラリアを調べる検査キット。クロマトグラフィのような仕組み。陽性は2本線がでる陰性1本線)は陰性。実はその日、晩御飯で揚げ物をやってその下ごしらえをやって疲れたのではないか。と思った。あとは口内炎が出来ていたので、そこがだいぶ腫れていて、そこが化膿し熱が出たと思った。
朝、6時。再び目が覚める。熱があったので●さんに病人食を頼む。おじや。結局、この日は3食おじやで過ごす。熱は少し下がって38度5分。この日はずっとこのあたりの熱でうろついていた。主な症状としては頭痛。ちょっとふらふらするくらい。すごかったのは汗。Tシャツから始まってシーツまでぬれるほどの汗をかいた。あとは特に症状はなかった。

3月21日。午後12時30分著。
どうも朝から調子が悪い。しかも昨日、多く寝たから眠れない。朝の4時ごろから漫画を読む。朝6時。某隊員がシニア隊員と任地に帰る。その音を聞いてベットからでる。熱は38度1分。昨日から全く改善がない。仕方がないのでマラリアキット。
・・・
タカハシ隊員曰く
「なんかでてるんじゃない?」
もう一度
やっぱり出てる。▲隊員にやってもらうがこっちは出ない。
マラリアいきーーーーーーーーーーーーーー
しかし体調は昨日と変わらない。まだまだ動けるので■隊員や●隊員を呼んで珍しい二本出ているマラリアキット見学会写真撮影もしました。
ちなみに
■さん:やっちゃたねーって言う顔
●  :大興奮
MC(旧Medical coordinator。現在はHealth administrator。HAは略称として呼びにくいのでみんなMCとよんでいる。)に電話をすると8時半にニアホクリニック(ガーナのJICA関係者がお世話になる病院)に集合とのこと。

3月21日。午後12時30分著の続き。
実は2月から3月にかけてガーナではマラリアから始まってJICA関係者多くの病気にかかりMCキレ気味。後から聞いた感想。
「1+1を1ヶ月に1度教え続けて、生徒ができなかったとき、あなたが思うことを私は思っている。」
とのこと。・・・・ごめんなさい。
話は戻ります。8時半までは時間があります。風呂に入り、ベッドを片付け、プラスモトリム(マラリアの薬)を飲んでいざニアホへ。他にも前日に隊員が入院していたのでその隊員のためも含め本などを持っていく。ヤマシタさん荷物もち。
ちなみに私はそれなりに元気。頭がいたいのと汗が大量にでる以外は。なので記念撮影、体重チェックなど詳細な記録をとろうと決める。朝食はヨーグルト、コーンスープ。食欲は衰えず。
さてニアホ。MC機嫌悪し・・・・すいません。いろいろな手続き(お金を払う。発展途上国ではお金などは先払い)をすませ、血圧、体重、体温を計る。血圧156-106。体重54.6。体温37.1・・・なんか計っている途中でやめちゃった。それでいいのか?問診、血液検査のあとは病室へ。しかし現在、他隊員2人が個室に入っていて自分は大部屋。大部屋クーラーない。部屋の端っこだからファン意味ない。暑い。あつーーーーーーーーーーーーい。
どうやらMC、●さんとも他隊員のところへ行って自分がこっちに来たことを気づかなかった様子。この間、ナースによる点滴。しかしチョー下手。
入れたりさしたり何度もすんなー
Sorry.10回も言うなー
結構、痛かったです。点滴は生理食塩水とブドウ糖(元大塚の営業の姉ちゃん談)。しかし何でこっちの点滴手の甲にさすんでしょうか?手の甲は血管が見えないのでそりゃむずかしいわ。と思うんですけど・・・
さてベットで寝ているとMCと●さん来る。入院など日本でもしたことない自分。今日の夜には吐き気が出るだろう。と言われていましたが関係なく、ここぞとばかりにわがまま放題(ただ退院後、わがまま言ったら●にしばかれた)
「MC、氷嚢がほしい。」
「●、プリンが食べたい。メロンが食べたい。」
自分の中ではもう昼だと思って
「他隊員の所から飯ぱくってきて。」と●に依頼。(食欲がなくてMCが作ったおにぎりを食べていない隊員がいた。)ゆかりおにぎり2個。ポカリ500ミリリットル完食。しかし実のところこのとき10時半だったらしい。体内時計狂ってますな。
そうしているとT隊員が退院。涼しいクーラー部屋に移れると思いきや、専門家が1人マラリアで入院らしい。女性でしかも症状が悪いという・・・仕方ないね。12時半にMCが謝ってました。お詫びに冷えピタを持ってきてくれるそうです。話によるとマジで●がプリンを作ってくれるかもとのこと。●、マジですいません・・・・
追伸 目標は隊員最短、入院2日。これ以上悪くならないと暗示をかけてます。
症状は熱、頭痛。あとせきが出てます。これはマラリア関係ないと思う。

3月22日。午前7時半著。
さて昨日12:30に書き終わってから今日までのことを書きたいと思います。とりあえずあのあと2時間ほど寝ました。起きてみると汗びっしょり。しかし、それが病気の汗であるか、部屋の暑さからきているかは不明。起きてみるととにかく暑い。どうしようもない・・・とおもっていた矢先、あるアイデアが
「他の入院している隊員のとこ行って、涼んでくればいいんだ」というわけで個室にお邪魔。それでも暑いのでバケツに水を汲んで足を突っ込んで涼みました。・・・病人、そんなんでいいのか?ちなみにその部屋の隊員は元気になっておりました。1時は40度あったらしい熱が37度台。もう普通に「ドラゴンボール」読んでいました。それなりに涼んで部屋に戻り、熱を計ってみる。
・・・・39度7部・・・・え!
もう一度計ってみる。
・・・・40度ジャスト
でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さすがにやばいと思い始めました(しかし今考えると40度で普通に動いていた自分にビックリですな)。しかし症状は頭痛と熱、別に悪寒はなし。とりあえずMCに電話。
「あのー、何も治療が始まらないんですけど・・・そしたら熱が40度になってしまったんですけど・・・」
もう入院してから時間は4時間くらい経っていたのですが、検査と点滴をしてもらっただけで何もしてない。解熱剤すらもらってない。MC曰く
「看護婦を呼んで薬もらってください。プラスモトリムを飲んだからしばらくほって置かれてるのかも。」
とのこと。よく考えたらMCにも指摘されましたが、検査で37度1分と誤診されてから、熱があるということを彼らは知る機会がなかった。
ということで看護婦を呼んで
「やばいです。薬ください。」
とお願いしました。しかし生まれてこの方、40度などという熱を出したことが1度もなく、脳がいかれてしまうのではと心配になり、タオルで頭を冷やすと同時に●さんにメール
私:「何度以上になると脳に影響が出るの?家庭の医学で調べて。」
返事:「40度で種無しになる。」
でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
急所を冷やす道具・・・そんなのない。どうしようかと思っているとJICA担当ダルメダ先生がわざわざ診察に来てくれて、しばらくすると看護婦が注射を持って登場。ケツに注射だという。1本。
どういうことだ?

3月22日。午前7時半著の続き。
実は聞いていた話では2本ケツにうつ。という話を聞いていたのでとりあえず聞いてみる。
「マラリアの注射?」
「うーん、熱の注射」
え、ちょっと待って。熱があって薬くださいって言ったけど、飲み薬じゃないの?と言ったら看護婦さん確認に戻りました。しかし40度、きつい。もう何でもいいから早くして欲しい。戻ってくるまで何分だったんでしょう、ボーっとしていたんでわからないけど長かったなー。戻ってきたらすぐ打ってもらいました。しかし
ケツ注射。
いてーーーーーーーーーーー
ちょーいてーーーーーーーーーー
痛さで力が入ってしまったらしく、そのせいで余計痛くなったらしい。ちなみに書いている次の日の朝8時でもまだ痛いです。
打った直後にMC登場。もうちょっとでケツ見られるとこでした。MCが聞いたらそれはマラリアの薬と解熱剤が混ざっていたものらしい。マラリアの薬「アーティスネイト」は3cc。打った量は明らかにそれより多かったので間違いないでしょう。そうそう、注射はそんなに太くありませんでした。ホントに普通くらい。でも痛い・・・・
それが終わってMCに懸念事項の質問
オレ:「40度超えると種無しになるってホントですか?」
MC:「それは大丈夫です。」
オレ:「脳はいかれないんですか?」
MC:「それは子供」
ふーーーーーーーーーーーーーー、一安心
まだ僕、パパになれるし、この頭も使えるみたいです。
病気で40度ありながら真剣にこんなことを考えていた自分に乾杯!!!
さて注射を打った直後、MCから「冷えピタ」をもらい、頭に貼ったのもあって元気になります。MCといっしょにA隊員のところへ。彼は元気でした。私もバケツ水に足を突っ込み、涼んで一心地。熱も注射を打って30分で39度。1時間で37度8部。3時間後には平熱まで戻りまして、症状はケツが痛いだけとなりました。そのケツが痛い中、ついに自分も個室に移動。やっぱり涼しい部屋はいいですね。
しかし元気になったA隊員、薬が切れたのか、一時40度5部まで熱が再び上がったらしい。まだまだ要注意ですね。
もしA隊員と自分に子供がうまれなかったら間違いなくこのせいですな。
しかし晩御飯も普通に食べられ、朝ごはんも大丈夫。朝、熱もありません。現在元気です。
追伸 病院で「How are you?」と挨拶すんのはどうだろう?

3月23日。午後1時著。
さて、昨日ケツに注射を打ってからというもの絶好調とまではいかないまでもそれなりに好調。・・・入院してて好調でいいのか?しかしとりあえず「How are you?」の質問には「Fine.」と答えておりました。だって悪いとこないんだもん。熱もないし。あえて言うならケツが痛い。注射の後が痛くて痛くて
マラリアの症状 - ケツ筋肉痛only
というわけのわからない状態。ま、しかし元気なのでいいんですけど・・・
そうのこうのしているうちにMCや●さんが見舞いに来ました。プリンをもって。いやー、まさかホントに作って持ってきてくれるとは・・・おいしかったっす。これからしばらく「●さん」と呼ぼうかな。なんて考えてしまいました。
しばらくは診察待ち。その間にA隊員、退院が決定しました。彼は夜来て、注射2本打って、次の日に血液検査。一泊。その前日の結果がnegative陰性だったのでめでたく退院です。正直なところ、彼よりも自分の方が元気なので自分もだしてくれないかなー?と思っていたのですが自分の方はたいした治療をしないまま血液検査(入院するとき)をしたのでまだ退院は先だな。と思っていたのですが医者が回診に来て、
「どこか悪いとこない?」
「ない」
「じゃ、退院ね」
えー、早過ぎない?
聞いてみると検査はnegativeだったらしい。ということは朝7時に飲んだプラスモトリムが10時には効いてnegativeになったってことでしょうか?というわけで●さんがこの日、持ってきたくれた着替え、差し入れなどはそのまま隊員宿舎ドミトリーにとんぼ返り。すぐにまたT隊員がマラリアで入院することが決まっていたのですが、置いておくことはできないので撤収。
●:「つまんなーい。でもよかったじゃん。」
とのありがたい言葉をいただき、退院です。マラリア入院1泊2日。最短記録を更新してしまいました。
長野の山猿万歳!!!!(長野出身なのです)
MCはマラリアキットの正確さ98.1%が本当に信用できるのか、怪しがっていました。帰ってみてマラリアキットをやったらやっぱりpositive。ただしいっしょに退院してきたA隊員ははっきり出たのに自分のは薄かったです。本当にマラリアだったのでしょうか?この早い回復について1つ思い当たるのは予防薬「クロロキン」「パルドリン」です。
(注 ガーナの隊員には予防薬としてこの2種類が配られる。クロロキンは週に一回。その血液濃度を保つためにパルドリンを毎日飲む。しかし飲んでいる隊員はごくわずか。だいたい新隊員の時はちょっと飲むが半年も続けばいいほう。副作用もある人にはあるみたいで具合が悪くなるらしい。自分はこういうところで不運な事に出会う質なので死なないために任地にいるときはほぼ間違いなく飲んでいた。)
これを飲んでいたので回復が早かったのではと思います。他にも早期発見で治療が早かったのか、オレがタフだったのかわかりませんがとにかく元気です。帰ってきても元気です。MCに
「スギタさんは療養室に入らなくていいわよ」
といわれるほど元気です。(療養室:隊員宿舎にある病人部屋)自分より1日早く退院した人より元気です。というわけで22日はずっと1日元気でした。しかし明朝、基本的にドミトリーで熟睡できない自分、ちょっと調子悪い。熱37度5部と頭痛。朝6時に頭痛薬を飲んで再び寝る。
・・・
8時だいぶ頭痛は治まったのですが、今度は吐き気が。発病して以来1度も起こらなかった症状が発症。でもしょうがないって言うんでそのまま寝まして、これを書くにいたって降ります。他の事に集中しているとあまり頭痛も吐き気も気になりませんね。あと「元気、元気」とかいていたらちょっと元気になりました。

後日著
そのあと数日、吐き気に悩まされました。全快するまではここから3日くらいかかりました。ホントに症状が軽く済んでよかったであります。他の隊員は症状が苦しいから2度となりたくない。といっていましたが、自分はケツ注射が痛いから2度となりたくない。がホントのところです。
MC、および●隊員、あとは帰国間際の忙しい中、洗濯物を洗ってもらった■隊員ほか、迷惑をかけた隊員の皆様、お世話様でした。
追伸 ほかの隊員が軒並み入院で体重をさげる中、食欲の落ちなかった自分は0.5キロ増。すいません。ただ退院してからしばらくの間に1キロ痩せました。そうじゃなくても痩せ気味なのでよかった、よかった。


ガーナより一言
「あと7ヶ月もある。か。それとももう7ヶ月しかない。か。」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。2003年12月にガーナに着きました。期限は2年間なので現在1年と5ヶ月が経過したことになります。
基本的に協力隊最初の1年でガーナのことがわかり、残りの1年でやりたいことをやるってのが協力隊員の基本姿勢。と3ヶ月くらい前までは思っていました。しかし最近はちょっと考え方が変わりました。今までは2つ区切りだと思っていましたが実際は3つ区切りのような気がします。というか、そうするべきである。ということを思い始めました。
具体的に書くとまず8ヶ月でガーナのことがわかりガーナという国、ガーナ人に振り回されなくなる。次の8ヶ月でやりたいことを見つけ、それを実際に実行に移す。残りの8ヶ月でやったことの評価をする。
2つ区切りで帰っていく隊員を何人も見ました。しかしそこを批判している人の話を聞きました。何かを作ってその評価をせずに帰っていく。それではいけないと思います。というわけで3つ区切りでやるべきだ。ということで前回の学期休みでやりたいことをやりました。残りの期間でその評価をすることに自分の中ではしています。
しかし、しかしですね、評価だけする。・・・面白くもなんともないんですな。本当に申し訳ない話ですが、ガーナでどんなに手柄をあげようと何もない。協力隊ってのはそもそもそんなものなんです。やるだけやって帰ってしまう人の気持ちがよくわかる。評価、そんなものをしたところで何もない。自分の中の自己満足が満たされていくだけなんです。協力隊全体の活動がそうであるといってしまえばそうなんですが、自己満足をただ深めていくだけのむなしさ・・・
今まではガーナという国に驚きました。新鮮でした。
これをこうしたほうがよいのでは?と考えました。可能性は無限でした。
やりたいことを実行し、あとは評価。なんか守りに入っちゃったみたいな・・・希望がない。新鮮さがない。面白くない。
祭りは当日よりも準備のほうが楽しい。そんな感じです。
というわけで
「あと7ヶ月もある・・・」
と憂鬱に思っていたところ、一年後にきた後輩隊員に言われました。
「あと7ヶ月しかないんですね・・・」

一年前は自分も同じことを思っていたんだろうな・・・。何かいろいろ教えてくれる古い隊員が帰っていく。今までは責任は全部取ってくれていた人たちがいなくなって自分たちで責任ある仕事をしなくてはいけない。要するに頼りになる人がいなくなるんだから、そりゃ、心細いよな。
それにその人のことを知る機会がそれしかないというのもある。別れの時期が確定している出会いってのも何か変な感じです。
でもあと7ヶ月。あっという間のような気もしてきた。とりあえずやるべきことはしっかりやって、あとは日本に帰る準備しようっと。

追伸 新しいことをもう一回やったらいいじゃん。という人もいるかもしれません。そのとおりなんだけどね。ただその負担たるやすごいことになるし、なによりやっぱり自己満足が増えていくだけ。むなしさが増えていくだけなのでもう何もやりません。
ちなみにもうガーナ隊の中で隠居宣言をしています。


ガーナより一言
「これからのJICAの進む道」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。自分達はJOCV(Japan overseas cooperation volunteers)と呼ばれております。そんな自分たちは独立行政法人 国際協力機構(Japan international cooperation agency;JICA)に所属しております。このJICA、自分たちが訓練所の入っているとき、ちょうど2年前ですね、(2003年10月)に独立行政法人となりました。というわけで自分たちが隊員になってからいろいろな変化が起こっているようなのでそれを書きたいと思います。といっても隊員に見えるのはほんのちょっと。本部の方は結構改革が進んでいるらしいのですが、こっちが感じるのは基本的に経費削減の部分と言ってもいいのではと思います。というわけでここに書くのはほんの一部なのでご容赦ください。
具体的に書いてきますとまず延長。昔は延長希望のほとんどが通っていたみたいでした。だから任期は2年であるのに3年いるのが普通。みたいな時もあったみたいです。しかし独立行政法人化してから延長申請も大半が通らなくなりました。一番かわいそうだったのは14年度1時隊。10人隊員がいてほとんどが延長申請をしていたのですが、1人を除いて全員が全員1ヶ月延長で切られてしまいました。今までが今までだったので彼らの驚きは相当なものであったでしょう。一ヶ月までだと現地の事務所の判断で何とかなるらしいのですがそれ以上になると本部の伺いをたてなくてはいけない。そういう兼ね合いもあったみたいです。それに隊員の面倒を見る調整員。これもちょうど変わったところで、その人の方針がなのか、そういうことを言われてきたのか知りませんが、隊員は来る前に2年と言われているのだから2年で終わり。ということだったらしいです。
それ以来、延長申請はあまり通らないということがわかり、隊員もあまりしていません。JICAの方針としては多くの人に隊員を経験してもらいたい。というわけで2年で。ということになっているみたいです。
次の旅行。隊員には「任国外旅行」というのが認められていました。名目上は隊員をしているときにその国に関係のある国に行って勉強をしてくる。ということでその旅行費用、飛行機代など全部JICAから出ていました。その費用が実費になりました。正直言って当たり前です。名目は所詮名目、みんなただ旅行に行っていただけです。そんな費用を国が面倒見るなどおかしな話。そこの費用が削減になりました。
次に帰路変更旅行。これは隊員活動が終わり、日本への帰り道どこかほかの国によっていい。という制度でした。この費用も実はJICAから出てたんですねー。これが実費になりました。当たり前ですね。旅行の費用が出ていた昔がおかしかったのです。国ってのはこんなに金を無駄にしていたのか?と思われるところです。
隊員を志すときはこんなことはまず知りません。隊員になってみて初めてこういうことを知るのです。そんなことはカットすべきです。
ちなみにもうひとつ。これはカットするべきだ。と自分は思いますし、カットされるという話もありますがどうなんだろう?それは国内積立金です。値段が安くなっているみたいですけどどうなんでしょう。隊員をやっている間、日本に勝手に積み立てられているお金です。現在は月10万弱です。つまり隊員が終わると240万円くらいが待っている。ということになります。日本は厳しいから。とかいうわけのわからない理由だった。と思います。アメリカのボランティア「ピースコー」、イギリスのボランティア「VSO」はそんなものはありません。これも隊員になったときに聞く話です。なくたって隊員志望者が減るとは思えない。減ったとしてもそんなお金目当てで来るようなやつは隊員として不適格だと思います。なくてもよい。と思います。ちなみに自分はもらいますけどね。くれるものはみかんの皮でももらいます。
ピースコー、VSOの話が出たのでちょっとそれにかかわる話を。日本のボランティア「JOCV」も過保護をやめてそっちの国よりになってきたと思います。しかしながらJOCVにも彼らにないマイナスの面があります。それは日本に帰れない。他国の旅行は日数が限られている。ということです。ピースコーやVSOは任期中に自国に帰ることができます。旅行も実費ですので制限なくいけます。帰路も実費ですからいつまで外国を旅行し続けてもいいわけです。JOCVはそれに制限があります。ピースコーやVSOにはない「得」を削っていくだけ削っておいて彼らよりも「損」の部分は残る。そんな改革だと隊員は納得できないと思います。

さてJICAの進む道の話に戻りましょう。
最近のJICAは緒方貞子さんが理事長になって「アフリカ重視」ということが打ち出されました。言うまでもなくガーナもアフリカです。そんな現場にいる自分たちがどうなのか?ということを書きたいと思います。
何度か書きましたがガーナは現在隊員が増えています。アフリカ重視だから当然。と思うかもしれませんがそこは外から見た考えです。中から内事情を知ると・・・
ガーナに隊員が増えている理由。それはガーナが非常に安全な国だからです。西アジアで一番安全な国といっても過言ではありません。女性が夜一人で歩いていても危険がない国なんてなかなかないでしょう?安全度で言うなら日本といい勝負ができるくらいの国です。というわけで地方に隊員を一人で置ける国というのはガーナだけみたいです。ほかの国は近くに何人か一緒に入れるみたいです。というわけでガーナの隊員が増えているのです。本部からはもっと増やせ。特に青少年活動を増やせ。といわれているみたいです。(青少年活動は何の資格もなしになれるから)
・・・なんか違うよね。隊員が増えるのはまあいいとしましょう。安全というのはガーナという国が持つ良い文化。良い文化に対しての褒美とでもいいましょうか?そんなもんだとしても本部から増やせ。しかも職種を指定されて増やせ。って違うよねー。だいたい要請を作ってこいって話はおかしい。それにただいれりゃーいいのかよ。とも思う。そんなアフリカ重視でいいのでしょうか?しかし現場ガーナの事務所はそういう話を突っぱねているそうなのでなかなかやるじゃん。という感じでしょうか?

こんな感じで「JICAを現場から切る。」(題名変わってる???)をお伝えしました。


今日の一言
「ヒット数が上がっている」

最近ですが、ヒット数が上がっております。ここ3ヶ月くらい前まではだいたい更新しない日は10弱。更新すると50から100ヒットというのが普通でありました。しかし最近は何もしない日でも20ヒットを超えている。そうすると一日平均14ヒットというのが自分のホームページでありました。
しかし最近は20ヒット以上。これはいったいどうしたことだと思うわけであります。
注 そうそうこの楽天のブログはヒット数を見ることができますのでこんなことがわかってしまいます。
と書いてみたんですが実は答えは明白。ガーナから帰った旧隊員の皆さんが見ているからだと思われます。あとはリンク張られたりもしているからかもしれない。
今まではだいたい大学時代の友人、地元の友人、あとは少数ながらホームページ仲間。協力隊仲間?家族?でだいたい10弱。ということは帰った人が10人以上???それもちょっとおかしいな。
ま、とにかく見ている人が多くなっているということはめでたい。うーんめでたい。
そろそろ1万ヒットも見えてきました。
一日20ヒット×30日=600ヒット。
今月か、来月には1万ヒット・・・かな???
こういうこと書くとどかっとヒットが減ったりして・・・


今日の一言
「ぼやきたい放題、ぼやいてくれる。」

あー、ガーナ飽きた。日本帰りてーな。だいたいやることやったしいいじゃねーかな?っ気もする。俗人みてーでやだけど、この休みに後世に残るものも作ったし、別にうちの学校隊員いらねーし。なんかもうガーナで特に新しい発見もなさそーだし、いろいろとわかっている人間はやっぱりみんな日本モードだし。
あとは日本人の間で疲れたのもあるなー。
ただなー、今帰っちゃっていいものか。2年間やり遂げたっていう充実感が違うような気がするなー。それに人生我慢って大事だっていうしな。帰ることはいつでもできるもんな。それに仲間意識もある。仲間がんばっているのに自分だけ帰るのもなー。それにひょっとしたらひょっとしたで何かすごいことを学ぶ機会があるかもしれない。ガーナまで来てそれを逃しちゃったら悔しくて悔しくてしょうがないもんなー。任短するっていう勇気がないのも事実だなー。
ただ日本帰ってからどうしよ。だいたいやりたいことは決まってるんだけど、時期がなー。しばらく待たなければいけない気がするんだよなー。そうすると1年くらい空白が生まれちゃったりするんだよねー。その間なにしよ?世間体ってのもあるしなー。せっかく今まで浪人もせずに順調にきてるからなー、人生無駄にしたくないよなー。12月に帰って4月から何かしたいよなー。順調にきてるからちょっとくらい立ち止まってもいいような気もする。そこは難しいところだな。あと7ヶ月で何とかしないとな。ただガーナだと情報が入らん。手に入れたい情報は誰かに頼むしかない。かといって友達みんな今、就職して研修真っ只中。頼みづれー。親に頼んではみたものの遅いし、不正確だし頼りに何ねー。困ったもんだ。
1年だからJICAに残っちゃおうか?いや、だめだ。競争社会が働いていないところにいたくない。なんか自分が競争を避けるようになっちゃったら終わりのような気がするから。

これだけぼやいたら満足か?俺。

いや、まだだ。ガーナ生活あと7ヶ月ある。なんかおもしれーことねーかなー?
面白き、こともなき世を面白く
と唱えた高杉晋作さんは偉かった。27で死んだんだもんな。24、5のときなんか楽しくてしょうがなかったんだろうなー。でも無理に変なことするんだったら自分の勉強しているほうがためになるような気がするしな。そこもまた難しい。無理しねーで地味ーに自分を高める訓練をしてたほうがいいんでないかい?ただそれであと7ヶ月持つんだろうか?自分の戒め役や癒し役は7月には帰るしな。
12月は長いなー。あと7ヶ月。
帰りたいのに帰れない♪

本日以上


ガーナより一言
「悪口言うのももう飽きた。前向きに考えよう①」

さて最近、言いたい放題言ってきました。協力隊に関すること、ガーナに関すること、いいたい放題いってきた結果、なんとなく悪口放題ということになってしまい、協力隊そのものにきたことを疑問に思うようになってきました。しかし貴重な青春の20代で2年間も過ごしたところが
「悪いところでした。」
などという結論で終わってしまうにはあまりにも惜しい。と思うようになりました。というわけで今までは悪口放題でしたが、気持ちを変えて
「ここにきてよかった。」
そう思うことをこれから拾っていきたいと思います。

やはり自分にとって一番のことは多くの年上の人に教えを請えた。ということだと思います。調整員、専門家はもちろんのこと、社会経験のある隊員にいろいろと教えてもらったのは大きいと思います。もっと一般的にいうとちょっと日本ではありえない人間関係を作れるってことでしょうか。
協力隊はいろいろな職種の人間が来る。いろいろな年齢の人間が来る。正直言ってこんなところにきてしまうような人は自分を含め、変人ばっかりです。やっぱりなんか普通と違う人たちが多い。そんな人たちからいろいろ教えを請う。ということは自分の視野の広がり。自分というものの考え方の偏りの発見。などなど多くのプラスがあります。
具体的に書けば、ある会社の取締役、普通ならこんな若造が話せないような人だったり、森林の専門家、森林に興味がなければ話さないようなことを教えてもらったり、国際協力の現場というものの大変な点、問題点なども学ぶことができました。ほかにも特許事務所に勤めていた人、デザイン関係の仕事をしていた人。営業のお姉ちゃん。放射線技師。コンピューターのプロフェッショナル。もちろん国際協力を志し、その関係にずっといる人、これから目指す人。などなど人間は多種多様。勉強にならないわけはない。

そんな人たちと何の遠慮もなく話せるということも協力隊のすごいところです。基本的に身分に大差はない。調整員だろうが専門家だろうがほとんどが契約で2年とかそのくらい。協力隊員も2年。そんな状態なら偉い人だろうが怖くない。ぶっちゃけ、大使の人との会食とかだって隊員は怖くない。終わってしまえば終わりですから。多少の無礼も多めに見てくれる。という雰囲気もある。たぶん、文明とは遠い生活をしているがさつさ。というものがあるような気がしてるんですかね?
お互い隊員となればその雰囲気はもっとです。特に隊員同士は「小学校の時の友達」そんなイメージがあります。というのもお互い損得ない。競争ない。つまりライバル意識がない。ただ同じ場にいるだけ。やっていることは同じようなこと。仲間意識はあり、共通の価値観が出来る。中学校まで行くと優劣は如実に分かれますが、隊員の優劣は小学校の時の出来不出来くらいな感じ。というわけで20過ぎとは思えないような特殊な人間関係が出来ます。
というわけで年上だろうがなんだろうが敬語をまったく使わないような人もいる。それは実は社会人経験ある人には嫌われるんですが・・・自分は最低限の敬意は払いますし、顔が老けているので年上には覚えがよろしいです。というわけでそういう人からよく学んでます。ただ同世代とかとの話は薄いかな。
とにかく、遠慮なく話せるってことです。そして多くを学べる。これから先はまだわかりませんがこれから先の人間関係にもつながっていくといいと思います。これが良い点一つ目。


今日の一言
「モノのシンリは単純である」

このホームページというか、ブログの題は「心真理裏」でありまして、「シンリ」と読みます。人間の「心理」「真理」「心裏」を追究するということで始めたものであります。
とはいえ、その中で「心理」は複雑です。でも「真理」は単純なものです。人間の「心理」は目標として「真理」を求めているはずでということは「心理」も単純?でも「心裏」があるからさー・・・・
なんてただ読んでるだけだと聞いている人はさっぱりわからない文を書いてます。わざとです。ごめんなさい。
でもちょっと複雑に考えすぎかなー。と思うわけです。人間なんてやりたいことなんて決まってるんだから。わからなかったらそれをはっきりさせることからはじめたらいいのです。やりたいことがわからない。そんな贅沢はこの厳しい世の中、許されません。
あとは金がほしいなら働ければ言い訳ですし、自分のつきたい仕事につきたい。でもできない。じゃあ、勉強するか、自分で起業したらいいわけです。女口説きたいなら毎日まめにうざくない程度に電話したりメールしたりすればいいわけですよ。奪い取りたいならがんばればいいんですよ。それが出来ないんならあきらめればいいんですよ。
日本に帰りたい。でもガーナでやりたいことがあるんだから帰らないでそれをやればいいんですよ。
面白くない。楽しくない。じゃあ、面白くしたらいいんですよ。楽しくしたらいいんですよ。何で面白くないの?楽しくないの?その原因さえ探れば楽しくなるんじゃないの?

そんな感じで考えていけばすべては単純だ。結局、目標、行き着く先を見る。現状を分析する。それだけで自分のいく道は、進む道は決まるんでないのかい?


今日の一言
「わかるよ。の重さ」

自分がよく・・・というほどよくでもないけれど使っている言葉を相手に使われたときにこの言葉ってこんなに重いのか。と思った言葉について書きたいと思います。
その言葉は
「わかるよ。」

これこれこういう話をしてこうだからこうだ。というときに
「わかるよ。」というわけです。一種の相槌ですね。
大体この言葉を使うときは相手はわかりやすいことをしゃべっているわけではありません。使う自分のほうもこの言葉のあとにこれこれこういうことでしょ。と確認をとり、大体相手が納得するのですから間違いではないのでしょう。

しかし相手に使われてみて思いました。重いなー。と。
わかりづらい話をしていてわかってくれる。ありがたいことだしいいことだとは思うけどこの言葉には話したこと以上のことがわかってもらっているような気になる。全部わかった。という感じ。大げさに言ってしまえば自分の大半をわかってもらった。そんな感じがしてしまった。

多分、自分にこの言葉を言われた人間は同じように感じただろう。自分がそういった人間たちはみんななんとなく自分に傾倒していったような気がする。
いや、もう傾倒している人間にしか使っていなかったかもしれない。いずれにしてもこの言葉は重い。
発言が重いのは考えもんだ。いくつものトラブルをひょっとしたら引き起こしているかもしれない。解決できたかもしれない。
いいのか、悪いのか、よくわかんねえなー。