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今日のガーナより一言
「ガーナという国に来て何に一番飢えるか?」

さてガーナという国に来て、日本にあるもののどのくらいのものがあるのかはわかりませんが、間違いなく日本よりは物が少ないです、ありとあらゆるものが。そんななか、何に一番今、飢えているか?それについて書きたいと思います。

さて正解はなんでしょうか?一般的にあげると
1、食べ物(日本食)
2、女
3、娯楽
4、洋服
5、日本語
ですがどうでしょう?

まず食べ物、たしかにたまに日本のラジオとか聞いてて海老漁が解禁になったとか聞くと「海老くいてー、魚介類くいてー、生臭くない新鮮な魚でいいからくいてー」
などと思うことは思いますが、とりあえずここには韓国米と味噌がありますのし、それほど自分は普段の食にこだわりはないですからさほどの問題ではありません。

次に女。これはもちろん飢えていますが、それは別にガーナにおいてではなく、日本にいるときからそうでしたので特に何も変わりありません。ただ黒人さんの美しさはわかりませんし、日本人や白人さんを見ていませんので間違いなく、目のレベルは下がっているでしょう。あとはエロネタに困っているといえば困ってますね。でもそれほどでもありませんので・・・

次に娯楽。これはとりあえず日本語の本がありますし、何よりパソコンという強い見方が今はあります。パソコンのないときの隊員は本当に娯楽に飢えたでしょうね。しかし今はパソコンでゲームもできるし、それほどでも・・・

次は洋服。こっちではある程度の人になるとオーダーメードをして作ってもらったりしています。自分もやろうと思えばできますし、別に普通に町に行けば売っていますので、まだ一枚も買っていませんが特に困っていません。というか、普段の生活はまだパンツ一丁ですから。学校と町に行くときだけ洋服は必要で学校はスーツですし、町は行っても週2回。問題ではありません。

次、日本語。これは別に。というのもまずラジオで日本語のニュースが毎日聞けます。午前中でも午後でも。それにこれを書いていますし、時にネットカフェに行けば友達とチャットも可能。日本語ぼやいてもいますしね。

というわけであのなかには正解はありません。
自分の中で正解は
・・・真剣勝負です。

授業はたしかに真剣勝負だとはいえますが、ニュアンスが違う。あれは対等の真剣勝負ではない。こっちが教える。向こうが受ける。ですからね。立場が違う。また1対複数ですから。
自分が言っているのは対等の競い合いである。たえず日本人は対等の競い合いをしているものです。またしようと思えばいつでもできます。スポーツ、ゲームは対等の真剣勝負だし、日々の生活の中にだって勉強、仕事は対等のライバルがいます。
ここでは生徒とですから年もパワーもばねも違う。自分ができるものは向こうはできないし向こうができるはこっちができない。差がつきすぎている。かといって先生では今度は年取りすぎてて動けるようには見えない。スポーツは無理。ゲームはガーナのゲームは日本人には単純すぎてあまり真剣にならない。というか覚える気になれない。ちょっと考えればたぶん勝てるでしょう。
仕事は、土台が違う。真剣勝負にはなりません。

真剣勝負がしたいよーーーーーーーーーーーーー( ̄□ ̄;)!!


今日のガーナより一言
「神様はいる???」
ガーナという国はイギリスの植民地だったからなのかどうなのかは知りませんが大部分がクリスチャンであります。彼らは毎週日曜日になると教会に行き、何かをやっています。祈ったり歌ったり話を聞いたりだと思いますが、具体的に何をやっているのかは詳しくたずねたことはありません。
最初にガーナに来たとき、ホームステイ先でクリスマスに教会につれて行かれ3時間ボケーっと座っていてからというものどんなにガーナ人に誘われても教会にはいっていません。
日本人は日常生活に宗教というものがついてまわっている人はあまり多くはないと思うし、自分もその中の一人です。そもそも生きていくのに宗教なんか必要であったことはないし、真剣に考えたこともありませんでした。
しかしガーナに来て、授業中に突如、大雨が振り出し雨宿りをやっているときに話すことがないので生徒と宗教の話になりました。ほかの隊員に聞いても必ず宗教議論は必ずガーナ人とやる。と聞いていたのでついに来たか。と思いました。
正直なところ、キリストが神に生まれ変わったなんてことを理数科教師である自分が信じているわけはなく、話してみれば何か矛盾を見つけて議論に勝ってやる。と思っていました。しかし負けてしまいました。
いやー、自分が宗教について、いや、神についてあまり真剣に考えたことがないということがわかってしまってはずかしかったですね。
実のところ、キリスト教徒の友達がいたことはなく、いたのかもしれないけどそんなことについて話したことがなく、聖書の内容を本当にキリスト教徒が信じているのかさえ自分は疑っていましたがガーナ人は迷いもなく聖書を信じていました。

そのことで自分は懸命に矛盾をさがしました。しかし見つけられませんでした。英語であったのでうまく表現できなかったし微妙な言い回しをわからなかったのもあるかもしれませんがなかったです。
最終的には神はいるのか?いないのか?になりました。彼らの言っている神は絶対神なのです。すべてを創生した神はいるのか、いないのか?その神は自分は、ただ漠然といないと思っていたのでいないというと、逆に反撃をくらって
「お前を作ったのは誰なんだ?」
「父ちゃんと母ちゃんだよ。」
「その父ちゃんと母ちゃんを作ったのは誰なんだ?」
「その父ちゃんと母ちゃん」
「その父ちゃんと母ちゃんを作ったのは?」
「・・・」
さかのぼっていくと進化論にまで行ってそのあと海で生物が生まれたところ、地球ができたところ、ビッグバンが起こったところにまでさかのぼり、結局それを起こしたのは神だろう。言われてしまうのです。
うーん、勝手にできたんじゃないの?と思います。何か大いなる意思というか、宇宙そのものの意思、生命自体の強さ、そんなものから勝手にできたような気がします。神がそれらを創ったというのはそれらに対する侮辱とまではいかないまでもバカにしてると思いました。神が創ったなんてそんな簡単なことではなく、もっとずっと長い年月をかけて苦労して自分の意思で生まれてきたものだとおもいます。
だからすべてを作った絶対神なんかいないと思うのですが、彼らには通用しないでしょうな。

そもそもどうしてガーナ人に、いや、人間に生きていくうえで宗教が必要なのか、自分の中ではよくわかりません。少なくともガーナ人を見ているとみんなクリスチャンだから私もクリスチャン。親が生まれたときに洗礼してくれたからクリスチャン。みんなの中にいるためにクリスチャン。みたいにみえてしょうがありません。
(宗教を知らない無知な人間の素朴な感想なので怒らないでくださいね。)
でも宗教ってそんな風になっている部分もあるのかな。なんて思いました。やっぱりみんな仲間がそうならやっぱり仲間はずれになりたくないのが人間だし、あって当たり前のもの。そうであるのがまたすばらしい。産まれて歯を磨く習慣が当たり前のように宗教が当たり前ならそれはそれでいいと思いました。
ただしすべての不思議な事柄を神のせいにして思考の停止をするのはいい習慣だとは思えず、そこはもっと真剣に科学を勉強して欲しいと思う自分でありました。

最後に自分の神様感を書いておこうかと思います。自分は絶対神はいないと思いますが神自体の存在を否定するつもりはありません。いると思います。自分だって初詣に行ったり、お宮参りにいったりするからね。
でも自分の考える神様は絶対的な人ではありません。彼が持っているのは、ほんのすこし人を手助けする力があるだけだとおもっています。例えばすごい受験勉強をした人に対してちょっとだけその日の体調をよくしてくれるとか、気分の良くなるようなことを起こしてくれるとかその程度のことしかできないものだと思っています。しかも神は時間軸は自分たちと同じで暮らしていて神も失敗をする。すごい努力した人に力を貸すのを忘れてしまうこともあるのです。時間軸いっしょですから神はやり直せません。神だけどちょっと力を貸す力があるだけで人間といっしょだと思います。だから後悔することもあるのでは。なんておもっています。神がすべてわかっていられるほど人生や、すべての事柄は単純ではない。そう思っているのが自分の神に対する考え方かな。
以上

追伸


さかのぼってさかのぼって考えていくときのことを書いているときにふと思いました。では神を作ったのは誰?もとからいたのかな?今度、その議論になったときに聞いてみたいと思います。


今日の一言
「恋とは、愛とは」

協力隊に来てなぜか恋とは何?恋とは何?という話を聞く機会が2度もありました。一度目は訓練所が終わったとき。2度目は最近の話です。
訓練所が終わったときは自分が答えねばならない状態で、正直なところ全く自分は覚えておりません。それくらい、いい加減に答えていたみたいです。
2度目の最近聞いたときは、誰かがいった言葉なのですが、なかなかに名言であると思ったのでまんまパクリたいと思います。
「恋とは相手のすべてを奪いたいという感情」
「愛とは自分のすべてを相手に与えてもいいという感情」
だそうです。
心も体も全部奪ってしまいたいのが恋。・・・うーん、恋ですね。
心も体もすべて与えてもいい。・・・うーん、愛ですね。

ちなみにもう一段階進むと情になると思います。
恋愛って言葉があるように愛情って言葉がありますからね。
情っていうのはどんな感情になるんでしょうか?
「情とは相手のすべてを許すという感情」
ってとこでしょうか?
えー、恋とは?愛とは?情とは?募集します。

今日の一言
「恋とは、愛とは」

「恋とは、愛とは」今までいろいろ書いてきましたがまたひとつ面白いものを発見したのでそれを紹介したいと思います。
恋とは「下心」
愛とは「真心」
うーん、下に心。真ん中に心。漢字そのまんまですけど、うまい事言うねー。




ガーナより一言
「ボランティアって・・・」

―ねえねえ、ボランティアって無償って意味だよね?
―そうだと思うよ。
―別にさー、やってることに責任ってないんだよね?
―いや、あるんじゃない?
―でもさー、給料もらってたらいきなりやめられないけどさー、ボランティアだったらいきなり「やーめた」って言ってやめていいんじゃない?
―いやー、まずいと思うよ。やっぱりそれなりに責任ってあんじゃない。
―でもさ、サラリーマンは親の死に目にも会えないって言うじゃん。これはいきなりやめれないって事でしょ。でも別にボランティアは親の死に目に会いに行っていいんじゃないの?
―最近はサラリーマンでも親の死に目には行くんじゃないの?
―実際の話はどうでもいいけど、これはたとえ話。少なくともサラリーマンよりは責任少ないよね。
―まあ、そうじゃない・・・
―ボランティアって無償って意味もあるけど、自主的にやってるって気がしない?なんか進んでやってるって。
―うん、するね。
―自主的に、しかも無償でしょ。じゃあ、突然やれなくなったらやめるよね。
―まあ、そうだね。
―じゃあ、突然やりたくなくなったらどうしたらいいの?
―それは別にボランティアじゃなくたって会社員だっていっしょじゃない。突然やりたくなくなったってそれなりの順序を踏んでやめるべきじゃない。
―そっか、そういうもんか。
―そういうもんでしょ。いきなりやめちゃまずいよ。

自分は別にボランティアをやめたいわけではありません。ただ授業で怒って、そのあと思ったんです。ボランティアっていきなりやめてもいいのかな?って。

―知ってる?青年海外協力隊員ってボランティアってことになってるけどお金もらってんだよ。
―そりゃ、ボランティアでも暮らしていくには金がいるからね、いいんじゃない、別に。
―そりゃ、暮らしていくお金はもらうべきだと思うけど、それ以外にもお金もらってんだよ。ちなみにもちろん、日本からね。
―暮らす金以外になんかあんの?
―国内積み立て金とか言うやつがあるんだって。
―ふーん、それいくらぐらいなの?
―月に9万9千800円。
―また、微妙な数字やね。何で10万じゃないの?
―知らないけど、そういう話じゃなくて・・・
―え???そっか、それ何の金?目的は何?って話か。
―すごい平べったく言うと日本に帰ってきてから就職をさがすまでのお金。
―ふーん、まあ、この不況、いいんじゃない。
―でも月9万9千800円。めんどくさいから10万でいいや。それを任期の2年をやり通すと240万だよ。
―おー、すげー。
―そのお金って帰ってきてもらえるらしい。なんかだから2年終わって帰ってくると240万の貯金が出来ているらしい。
―あー、海外にいる間はもらえないんだ。
―目的が目的だからね。ちなみにピースコー、アメリカのボランティアやVSO、イギリスのボランティアはそういうのはまったくないらしいよ。何で日本ばっかそんなにあんの?この不景気でさ、国は金なくてODA減らそうとしてんでしょ。そこ減らせばいいやん。ボランティアは無償でしょ。
―協力隊員ってどのくらいいんの?
―2004年6月30日現在で2278人だって。今いるのがね。累計は24640人。
―常時、だいたいそれくらい、2300人として、月に10万、年に120万とすると・・・
―2300×1200000だから・・・
―2760000000円。毎年国からODAで出費。
―27億6000万!ぶへっ!・・・ODA予算ってどのくらいなの?
―2003年度のデータだと技術協力3228億円、無償資金協力2248億円、有償資金協力2003億円。国際機関への出資、拠出などに1099億円。
―でー。お金が大きすぎてよくわからんね。じゃあ、別に減らさんでもいいんちゃう???
―こういう細かいのを減らすのが大事なんじゃないの?
―そこは良くわからんね。代議士の人に任せましょう。
―それを人は思考の停止というんだよ。バカになる。バカになる。
―もうちょっと勉強しよう。そうしないとこんな話してもだめだ。
―国の国家予算がどれくらいでとかから始まってどこまで勉強するんだ?
―それは勉強していくうちにわかっていくでしょう。
―はーーーーーーーーーーーーい。
―本日以上




ガーナより一言
「どっちが幸せ?」

ガーナで協力隊員をしております。
どういう流れでこんな話になったのか、覚えていませんがスタッフルームで失業率の話になりました。
「日本では約5%の人が失業しているんだ。」
「ガーナでは30%、ひょっとしたら40%の人が失業しているよ。」
「でも日本では1億3000万人の人がいるんだよ。」
「えいっ!」(ガーナのビックリしたときのセリフ)

さて計算してみましょう。
130000000×0.05=6500000
650万人。
ガーナの総人口1970万人。失業率35%として
19700000×0.35=6895000
689万5000人。

ガーナの方が多い・・・

しかし思います。失業率が35%で仕事がない国。でも貧しいながらもそれなりに生きていけます。日本では失業率が5%でも20歳以上の3人に1人が軽うつであるとか言われ、自殺者が3万人を超える国。どっちが幸せなんでしょう。ガーナ人には絶対うつ病なんて言葉はないでしょう。自殺という言葉さえあるのかどうなのか?
そう考えると先進国のように発展するのはどうなんだろう?なんて思ってしまい、じゃあ、別に発展しなくていいなら、何で自分はこんなところに居るんだ?なんてことになってしますのでここで思考の停止。

話は変わって、失業率の話をしていて思ったのですが、ガーナ人は先進国には何でもあると思っています。そして行きさえすれば何とかなる。と。
思い出すのは漫画「スラムダンク」安西先生の大学時代の教え子、矢沢君の手紙
「バスケットの国、アメリカ。僕はここの空気を吸うだけで高くとべるとおもっていたのかな」
ガーナ人は間違いなく先進国の空気を吸うだけで豊かな暮らしが出来ると思ってますね。

誰か教えてあげて。




1年目
ガーナ人についてのレポート

不思議なことなのだが、基本的にガーナ人の大人はだめなのが多い。基本的に「お金」である。大人がこうなので子供も平気で「お金くれ。」という。
自分の中で一番気に入らないのは彼らがお金をもらって当たり前だと思っていることだ。日本人関連の会社の仕事をしているガーナ人がベースアップを毎年とんでもない額を言ってくる。とか森林のプロジェクトの専門家のところで働いているガーナ人が上から下までベースアップを要求してきて仕事にならないなどがいい例である。しかしこの問題は私たちにも責任がある。過去に物をあげるという援助を繰り返した結果、彼らは援助慣れしてしまったのである。また宗教的にも貧しいものに豊かなものはあげると思っている。彼ら自身で何とかしようというところがない。だから彼らには勤勉さがない。
お金ついて彼らの頭にあるのは白人のところに行って掃除でも何でもしてお金を稼いで、それでガーナに戻ってきて車などを買ってお金を儲ければよい。と大半の大人は思っている。だから自分もしょっちゅう、「日本にいきたいんだけど。」とか「結婚して日本につれてって。」と言われる。
ガーナ人はそもそも黒人を捕まえて白人に売っていた民である。だから彼らはプライドが高い。日本や他の先進国にいけばそれなりにやっていけると思っている。先進国が発展しているのは物があるからで自分たちがだめなのは物がないからだと思っている。だから物があるところに行けば自分たちはできると思っている。ことあれば「知り合いは日本にいる。日本で働いている。」といっている。そもそもガーナからそんなに簡単に日本にいけるわけがない。ガーナの人口1900万人から2000万人。自分の感じだと10人に一人は知り合いが日本にいるといっている。100人に一人日本に言っていたって19万人。そんなにいるわけがない。たぶん、友達の親戚のお兄ちゃんとかも入っていると思われる。それに日本に行く資格が取れるのなど非常にまれであると思う。だから行くような人はガーナでも非常に優秀な人であると思う。少なくとも日曜日の日中にボケーっと椅子に座ってはいない。勤勉であるはずである。時間を守るはずである。うそはつかないはずである。逃げないはずである。予定を予定通りに行うはずである。
しかし問題は海外に行ってしまう優秀な人材はそのあとガーナに帰ってこないこと、つまり人材流出である。国連事務総長コフィ・アナンさんも同様、ガーナには帰ってこない。いろいろ話を聞いたところでは便利な生活になれてしまい、ガーナの不便な生活には戻りたくなくなってしまうらしい。愛国心というものがないのか。と思う。
・・・とここまでガーナ人の悪口を書いたがなんだかんだいってガーナ人は平和主義者だし、親切だ。これは世界に誇れ、世界でまれである。それにガーナ人でもすごい人はいる。ある隊員のいた場所の近くに住んでいた女性はピュアウォーターを毎日勤勉に売りさばき60万セディためたとか、ある隊員のいる任地の生徒は自分たちでクラブを立ち上げ毎週何かしらの活動を行っているらしい。掃除をしたり、保健の話を聞く会を催したりと。(ただし話をするはずの人が来なかったらしい)そのための準備ならなにやら本当にしっかり行っているらしい。またある隊員のカウンターパート(女性)は勤勉で将来は学校を作り、一貫教育をするということを考えているらしい。
ガーナでは女性、特に主婦はやはり生活を支えているだけあって勤勉であり、考えも現実的でしっかりしている。海外に行って一山当てようとは思っていない。ガーナこそ女性社会にするべきでは。とさえ思う。それに自分の生徒を見ていて思うのだが、高校生くらいの生徒はまだまだこれからではないか。と思う。
そのために何かできることはないかと考える残りの一年でありたいと思う。




ガーナより一言
「援助慣れを経験する」

ガーナに来て1年。最近はガーナの悪いところばかりが気になるようになり、だいぶモチベーションが下がっている自分です。こんにちは。
そんな自分がまたモチベーションが下がりました。その話を書きます。
このターム休みに折り紙をいろいろなところからもらいました。自分の任地で近所の子供と遊ぶときに折り紙をやっていたからです。でもその前までは日本の折り紙ではなく、ただA4の白い紙を正方形に切ってやっていました。それなりに子供もうまくなったので本当の折り紙できれいに作ろう。と思ったことからいろいろなところに頼んで折り紙をもらいました。
そして今日です。彼らは折り紙がきれいに折れなかったからといってぽいっと紙を捨てました。その場で空き缶を捨てるように。
別に今まで気にしていなかったのですが紙はただであげていました。自分で買ったものをただあげていました。今回の折り紙もただあげていました。
これが援助慣れです。彼らにとってはただでもらったもの。うまくいかなかったらただ捨てればいいのです。だって先進国の人はただでくれるのだから。先進国の人は何でもでてくる。くれると思っているのです。それを持ってくるのにどんなに苦労してようが税金から援助にまわってきていようが彼らはそんなことは考えません。先進国の人はただでくれる。だからだめになったら捨てればいい。次くれるはずだから。
こんな援助を続けてきた結果。彼らの意識は上記のようになりました。それが彼らの発展を、そしてモラルをさげてきたのです。
以上



ガーナより一言
「国際協力は官の仕事か、民の仕事か」

ガーナで協力隊員をしております。
協力隊員は現地での活動をメインとしております。現地の人と同じものを食べ、同じように暮らす。ということが他の国際協力の人たちとは大きく違うところであります。しかしながら自分は、その任地での活動もさることながら他の立場で国際協力をしている人たちにも大変興味があり、専門家や調整員の方々といろいろ話します。
1年活動が終わって、話を聞いてみて思うことがあります。果たして「国際協力は国がやるべきであろうか、否か」ということです。
基本的に国でやる仕事というものはどういうものであるか?道路を作ったり電車の路線作ったりなど最初に莫大な予算がかかるもの。あとは教育などもそうであります。要するに
儲けが出ないもの。
儲けが出るまでに時間がかかるもの。
儲けというものを度外視して行うこと。
以上の3点であると思います。そう考えてしまうと国際協力というのはすべてに当てはまってしまいますね。ということはやっぱり官の仕事であるということです。

自分がなぜ官の仕事であることに疑問を持ったのか?それを書かないといけませんね。まずいえることはただ物をあげるのはためにならないということです。常識的に考えればわかることですが「ただのもの」は所詮「ただのもの」です。なくなったらまたもらえばいい。スーパーのビニール袋をいっぱいもらっていくおばちゃんの心理です。感謝はない。もらって当たり前。だからただで物をあげるのは絶対にだめです。それはもらって当たり前という「援助なれ」を発生させる原因になります。そうすると彼らとしては自分たちは努力しない。なくなったら頂戴。ただそれだけになる。そしてもらえなくなると何でもらえないの?という。こっちとしては感謝しろとは言わないまでも、もらって当たり前という態度に出られては頭くるのは当然でしょう。
しかしながら、国の実績というのはいかにお金を使ったかが実績になります。何人隊員を送ったか。ここに何かを作った。その案件が多ければ多いほど彼らにとっては仕事したことになります。そこに大きな矛盾があるのです。
「ただ金を使うのは良くない。でも金を使うのが実績だ。」
これは国際協力だけではなく、国というものがお金を使うということに関してぶつかっている矛盾ではないか?と思います。地方ではもらえるお金は全部使ってしまわないと次の年に減らされるだからたいして必要でもないものを作ってしまう。金を使うのが仕事なのです。それが「官」の仕事。
「民」の仕事は逆です。できるだけお金を使わないようにする。それは企業として最高の利益を上げるために行うのですから当然のことです。
さてここで整頓しましょう。隊員などをただで送り込む。家の提供をしなくてはいけないとはいえ給料は払わなくて良い。つまりほぼただで人材をあげていることになる。
「草の根」援助などで何か建物を作ってあげる。これは半分近くは必ず相手に出させることになっている。じゃあ、いいのかな?でもいらなくていいものまで作ってないかな?本当に必要なところに建てているかな?
と考えていくと競争がなく、ただお金を使うことが目的の「官」では限界があるのでは。ということです。
では「民が行う」ならいいのでしょうか?
できるだけ民はお金を使わないようにする。そうするとここでは利益が上がらないから撤退ということになるのは必定。
「官の委託で民がやる。」
プロジェクトの見積もりなら何ならは全部民にやってもらう。管理も民。その謝礼に官がお金を払う。
プロジェクトをする。使えない奴はドンドン首が切られていく。そうすると結局、誰も残らない。でもそういう厳しさは当たり前ではないのか?しかし人材は育たない。それでいいのか?
しかも謝礼は決まっていて仕事をどんなにがんばっても変わらないなら何も変わらない。競争が起こってない。だめである。

上記に書いたことは国際協力が今、ぶち当たっている問題です。(支離滅裂気味ですが・・・)
独立行政法人化されて多くのことが現在改革中です。ガーナ事務所も最近、いろいろ変わっています。専門家も結果主義といわれているそうです。しかし国際協力なんて仕事でそんなに早く結果が出るわけがなく・・・
どうしていいか、よくわかりませんね。
勉強不足ですいません。



青年海外協力隊活動3分の2を終えて書く。

「何のためにここにいる?」

最初は良く見た。ガーナも。学校も。協力隊活動も。その感想は幻滅だ。
学校は自分なしでもよい。お金の元としか見られていない。隊員活動はただの自己満足だ。組織としても未熟極まりなく、問題集作成、実験ツアー、アコソンボ訓練、トロトロ編集(ガーナ機関紙)など活動に対して疑問が残る。問題集はただ年代別に並べるだけ。実験ツアーはただ楽しい実験をしてまわるだけ。効果のほどはどれほどか疑問だ。アコソンボ訓練も大々的にやる必要はなく、教育実習で十分だし、トロトロもこれを出している意味がわからん。
実際の所属先での実働時間やその他見ても、こんなに楽でいいのか?義務はほんの少し。活動がなくて自治会やらなにやら、隊員活動のみに力を入れる隊員。授業サボって旅行しまくる隊員など。これがいったい自分にどんなプラスになるというのだ。授業だって高校からではもう手遅れ。が結論。屋根が飛んで学校が一週間休みになって帰って来たら修理のあとがほとんどないようなガーナに何がある。
優秀な人間になってもヨーロッパにいってしまう国民。その他人間が動かない国に発展などない。
国際協力も環境に関すること、および最低限の社会権が満たせない場合にのみ行うべし。コンピューターなど必要ない。そんな隊員も必要ない。ガーナは食糧自給が足りてないし、土地生産性も低い。もっと野菜隊員など食料関係の隊員を山ほど入れるべきで、高校より下の小学校、中学校に隊員をいれることを認めないガーナに理数科隊員も必要ない。
そもそも教職を持っていない、持っていても経験もないような人間を理数科教師として入れてもだめだ。教えるという壁と英語を使うという2つの壁に同時にぶつかる。半年もすれば何とかなるが、その半年生徒がかわいそうだ。
そもそも隊員を入れるのはお金のためかもしくはただで働いてくれるただの人としてしか見ていない学校がほとんどだ。ますます必要ない。
現在のJICA、アフリカ重視。ガーナは治安が安全だからいっぱい入れましょう。冗談じゃない。税金を何だと思っている。国際協力ってのはそんなもんか?
文句を言う自分だって何をしているやら。1日5時間も6時間も読書して8時間以上寝て暮らしている。授業に対して情熱ももてない。ガーナという国に慣れ、驚きもない。まだ8ヶ月あるのに帰る間際の隊員と別れを惜しみながら同じ立場でガーナの文句を言い、日本に帰りたい。を連発しながら、やりたいことが終わっていないから実行できないし、その勇気もない。他隊員とガーナの悪口を言い合って心を慰め、またふがいない自分を慰めている気がする。
来た当初言われた腐らないこと。今、自分は腐っているかもしれない。大学の同期は院をでて社会人となった。彼らと自分との差はどれほどだろう?
先に帰った隊員のほとんどは就職しない、出来ない。出来ているのは一握り。これで大丈夫か?
腐ってないといってくれ・・・




協力隊員たちへ

やりたいようにやったらいい。
どうやったって所詮協力隊活動など自己満足だ。
誰も評価しないし
やったところで報奨もない。
2年間でたいした成果などだせる分野はごくごくちょっとだ。

教育は百年の大計だ。
結果なんか出るわけない。
だからこそ、
こうしたいからこうした。という完全な自己満足を得るべし。

流れに流されるな。
惰性で進むな。
自分の意思で
自分のやりたいことを
やりようにせい!!!

以上



ガーナより一言
「協力隊員はすごいのか?」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
1年半がたちまして、後半年であります。
これだけいれば協力隊員がたいしたことないのはわかりましたが、よく考えたら選ばれたときはどうだったんだろう?いったい隊員をしている間にどうなっていくのだろう?と考えました。
自分は理数科教師です。理数科教師の青年海外協力隊員になるには2倍だか6倍だかの倍率を通り抜けなくてはいけません。
自分の高校入試のときの偏差値は60くらいです。その自分から見ると周りの理数科教師は理数に関してたいしたことはありません。まあ、多分偏差値50中盤くらいの理系の大学出身者平均して来ているのではないかと思います。
偏差値がそのくらいではまあ別にすごいというほどすごくないですね。理数系の人間としてはたいしたことないってことですね。
倍率が不自然に高いのも頭のせいではありません。健康と性格で多くの人が落ちるのです。まず2年間何が起こるかわからないところで健康に生きていける人、それに何がおきても適用できそうな人、そういう人が合格するのです。
だから別にたいしたことはない。とっても健康でしぶとく生きそうな人がきているのです。そういうのをすごいっていえばすごいような気もするけどどうなんだろう?

さてそんな状態で理数科教師としてくる。だいたい大学を卒業した新卒。大学院を卒業した新卒。後は数年企業で働いた人。くらいが理数科教師としてきます。平均して26ってとこでしょうか?
そんな協力隊員経験者は活動が終わったあとの日本の就職、決して楽ではありません。企業には協力隊経験者の評判は芳しからずってことです。理由は最初に書いた隊員がたいしたことないにつながりますが、要するに協力隊は競争社会ではないのです。それで何をしても評価はかわらない。つまり何をしようがしなかろうが隊員は責められないということです。してもしなくてもよい。その状態ですから自分に厳しくない人間はやはりだめになってしまいます。(自分はどうなんだろう?たぶんだめになってますね。)それは日本にいる状態と比べてということです。日本で2年間生きるというのは、しなくてはいけないこと。もあるし、また周りがしっかりやっているというプレッシャーもあるでしょう。発展途上国で隊員。やらなくてはいけないことはごくごくちょっと。(理数科でいえば授業だけ)周りの人間は勤勉に働くなんて人はいません。ちょっとまじめにやっていれば周りよりはすごいのです。日本人より働く発展途上国の人を見てみたいもんだ。
人間は弱い生き物。こんな環境にいるとやっぱり差がついてしまうんですね。

結論としましては隊員は「健康な変わり者である。」
終わったときは「自分に厳しい人間だけすごくなっている」ということですね。

追伸 自分の話は理数科教師の話です。ほかの職種はわかりません。村落開発や、青少年活動などの倍率がとんでもなく高い人たちはすごいのかもしれません。
ただガーナにいて見ている限り、そんなにすごいとは思えないけど・・・


ガーナより一言
「誰かに期待する自分が悪いのだ。」

ガーナで協力隊員をしております。
4月はバケーション。しかしガーナは旅行に行くようなところは数少ない。というわけでガーナの協力隊員はバケーションの間に仕事をしてしまいます。(ケニアなどは仕事をせずバケーションはバケーションするらしいです。)
私のほうも協力隊はあと7ヶ月。私も俗人ですから何かしら日本に帰って自慢できるものをと思ってしまいまして、というわけで基礎計算力問題集を作りました。
基礎計算力が低いのは昔からの隊員の悩み。ちょっと前の隊員は公文式から問題を持ってきてやらせようと思っていたみたいですが、著作権の問題とかでもめるのは嫌なので一から作ってしまえ。と思ったわけです。
それに加えて生徒はTextを持ってない。などという悩みも隊員は持ちます。持ってないなら作っちゃえばいいじゃん。という安直な発想を加えて基礎計算と簡単なCore math部分の問題集を作りました。最初は計算ドリルという話だったのですが、そんなただ問題を並べただけではなく、解説つきの教科書兼計算ドリルという非常に欲張った問題集を作りました。
しかしまず内容の構築(これは何とか終わっていた)、へたくそな英語で解説をつくり、問題を作っていく。自分ひとりでは不可能に近い。というわけで多くの人のヘルプを借りました。
最初のほうはまだよかったのです。自分の指示も細かく、相手もしっかりやってくれたから。しかし日がたつにつれて、正直言ってもう泣きそうでした。やっても、やっても終わらない。ヘルプ頼んだある人は仕事を期限までにやってくれない。やってくれてもそのままでは使えない。結局、自分が一から作ったほうが早いのではなんて人もいる始末。そんな風になるから自分の指示もいい加減になっていく。使える人には正確な指示が必要。使えない人は頼まないほうがよい。その区別をしている暇がなくなってだれにでもこんな感じで。と仕事を頼む。それがまた悪い循環を生む。
それに加えて仕事をできる人間が引き抜かれる。あまりの終わらなさに何人も離脱していく。
・・・・・・・・
そんな中、読んだ本の一説を思い出しました。
「誰かに期待するからいけないんだ。」
やっぱり自分の仕事は自分でするに限る。頼むにしても期待してはいけない。その仕事を手直しするのは当たり前だと思ってやればよかったのだ。離脱しても引き抜かれても気にしてはいけない。期待していた自分がいけないんだ。
そう思うとちょっとは楽になりました。というわけで160部の製本はほとんど自分で。誰にも期待しない。金貸すのと同じだ。
「あげるつもりで貸しなさい。」

何とかその問題集は完成しました。自分のチープな英語で作り、内容確認は十分にできてないので欠陥だらけだと思いますがそれでも無から有を作ったって事は大きなことだと思います。これから協力隊で使っていけるもとができたのですから。改善していけばいいのですから。それも理数科教師だけではなく、青少年活動やクラフト関連の人でも使えるし。

最後にこの問題集の宣伝を。
基本的にすべて手でできるように作ってあります。つまり計算機なしでできるようになってます。しかも解説がついていますから先生がいなくても、自主学習でできるようにできています。範囲は足し算筆算という本当の基礎から始まって高校で習う基礎数学のいくつかのトピックを扱うところまで。
これはすべての理数科教師隊員にただで配りました。発展のために。
あとは高校から隊員を入れても無駄。もっと小さいころからの正しい学習を。
との意味をこめて作っています。理想としてはこの問題集を持った生徒が親になってその子供にこの問題集をもって教える。そこまで考えて作ってみました。これが隊員によって改変され、すばらしいものになり、安価で供給され、ガーナの基礎教育を変えてくれたらいいな。なんておっきなことも考えちゃったりして。


今日の一言
「期待するからだめなんです。」

最近、「群ようこ」の本を読みました。作家になる前の働いていたときの話です。そこにある一説がありました。
「期待するからいけないんだ。」
読んだときは別になんとも思いませんでした。なんてことはなく、へーというか、当たり前だろう。なんて思ったかもしれません。しかし最近になってその意味が大きくわかるようになりました。
何でもそうだけど、他人に期待することがなければがっかりすることはない。
他人に対して期待するから、それがだめだったときがっかりするのです。彼氏、彼女、恋愛問題だってそう。期待があるからがっくりする。何だってそうです。他人に対して期待することをやめると人生、がくっとくることはありません。
「期待しない。」
人間が生きていく上でひとつの大きなシンリのような気がします。



ガーナより一言
「国際協力における大きな勘違い」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
協力隊を志望するに当たってよく聴く言葉
「必要とされているところで働きたい。」
自分もだいたい2年前、これに似たことを志望動機の中の1つとして言ったような気がします。必要とされているところで働きたい。そう思うのは何も国際協力に限ったことではなく、どこででも同じだと思います。そう思うのは人間として当然のことでしょう。しかしですね、この言葉に大きな勘違いがあります。
実は協力隊であなたは必要とされていません。○○という個人はまったくといっていいほど必要とされていないのです。必要されているのは「最低限のある能力を持った日本人」だけです。自分の例で言えば「理数科のできる健康な日本人」が必要とされているだけで私という個人は一切必要とされていません。
たとえば企業なら試験を受けて面接をしてその企業の人事部がその個人を必要と認めてその会社に入ります。個人が認められて入るのです。必要とされているのは「個人」です。
あなたが何か法律で困ったときに相談するのは弁護士でしょう?このとき必要とされているのは「弁護士」です。さっきよりだいぶ枠が大きくなったことがわかりますか?
国際協力ではもっとずっと大きな枠「最低限のある能力を持った健康な日本人」が必要とされています。この大きな枠で必要とされている。その状態で「自分が必要とされている場所で働きたい」は大きな勘違いでしょう。
協力隊員はどのように決まるか?1次試験で「最低限」を確認する。これをパスした地点でだいたいこの人はここ。とあてはめられているそうです。よく考えるとただ最低限がわかっただけで大体の場所が決まっている。おかしな話です。(必要とされているレベルがそんなものだ。ってのがここでもわかりますね。)そのあと2次試験で健康と何か・・・たぶん健康と・・・タフかどうか、海外の変なところで生きていけるかどうか?それを見ているんだと思います。

うーん、確かに多少は必要とはされていますよ。協力隊は現在は40歳まで。ただ若いんだからそんなに自分を安売りしなくてもいいと思うけどなー。
というわけで自分の必要としてくれるところで働きたい。という志望動機は協力隊においては大きな勘違いです。気をつけてください。



ガーナより一言
「協力隊のイリュージョン、マジックについて考える」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
協力隊、年に1000人くらい多くの国に人間を送り込んでおりますので、その中での独特の言葉というのができてしまうことは特に不思議なことではありません。中でも有名な言葉に「イリュージョン」「マジック」などという言葉があります。2つの言葉は厳密に言うと違うみたいですがその辺はネットで調べてみてください。
簡単に言うと任国に送られる前の訓練所でできてしまうことを言います。訓練は79日間。土日以外はほとんど外に出られず共同生活をしますからその中で男女がいる以上カップルができてしまうのは普通なことですよね。

自分の中での感想としてはたった79日間、相手のことがわかったと訓練所では思うのですが、結局のところ何もわかってない。というのが本当のところだと思います。
協力隊にいくというその特殊な状態の中でのことなのですから、イリュージョンやマジックと呼ばれるのも当然だと思います。とまあ自分ではこのように否定的にとっていたわけです。
ところが最近、ある隊員のところに言って非常にうまく付き合ったのをみて感心しました。イヤーびっくり。その人が言ったのは
「その人とは2年後に一緒にいたいと思った。だから今はお互いほとんど干渉なく暮らしている。」(協力隊の任期は2年)
うーん、これは見事。
普通のサイクルは
特殊な状況の中で付き合う→結局お互い何も分かり合ってない→任地で2年間離れていて冷静になってしまう→うまくいかなくなる
上記のカップルは
特殊な状況の中で付き合う→結局お互い何も分かり合ってない・・・のは当然だから2年後からはじめましょう。
これはうまくいくような気がしますね。ドーッと勢いよく燃えるのであっという間に燃え尽きてしまう。しかし燃え始めるのを2年後にはじめれば燃え尽きることはないでしょう。協力隊のその場で考えるのではなくて2年後を考えて付き合う。あの特殊な環境でそう考えることができたその人に拍手を送りたい気分ですね。



ガーナより一言
「志の差を感じる。」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
最近ピースコー(アメリカのボランティア)の方と話す機会がありまして、そのことについて書きたいと思います。
彼は自分と同様で大学4年間が終わってガーナにきています。終わったあとは医学部に行くそうです。(アメリカは4年制大学が終わってから医学部に入る)アメリカではそのように大学4年間が終わったあとボランティアをしたり、一般企業に入ったりそういうことをしてから医学部に行くのが普通になってきているようです。彼らは将来を考えた上でそのワンステップとしてボランティアに来ている。それを考えると青年海外協力隊はどうなんだろう?と考えてしまいますね。もちろんなかには将来を考えてここにきている人間もいます。それでも8割から9割の人間はここにいる2年間の間に将来どうするのか考える人間が多い。先を考えて先を見据えて生活をするのと道に迷いながら生活するのでは大きな差がつくのは当然でしょう。



ガーナから一言
「いい加減、自分達を棚に上げることをやめたら」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
今回の話は隊員総会(隊員全員が集まる会)であった話。

協力隊全部に送られてきているのかどうなのか、詳しいところはわかりませんが「新聞ダイジェスト」というのが毎月送られてきています。ガーナにいたら日本の詳しいことがわかりませんからこれを読むと日本で何があったのか?ということがわかるので日本を離れている人間にとってこれは非常にありがたいアイテムです。
隊員総会で何が行われたかというとその新聞ダイジェストをどこに送ってもらうか?という話し合いが行われました。
しかしそもそも送ってもらうというのは事務所の善意で行われていることです。それに対してここに送ってくれ。という要求を言うのは正直なところ正しいとは思えません。そもそも新聞ダイジェスト自体が善意により送られてきているものです。それを欲しい欲しいとわがまま勝手に言うのはどうでしょう?
日本の情報が欲しかったら自分で工夫したらいいのです。ラジオを聴くことだってできますしどうしても欲しかったら自分で注文して毎月送ってもらったらいいのです。それを善意に乗っかって「自分は個人的に欲しいからひとつ注文を増やしてくれないか?」などと自分勝手言うのには言葉がありません。

自分達はボランティアでここに来ています。その善意に対してガーナ人はこれが欲しい、あれが欲しい。と言いたい放題言います。それに対して自分達はいい感情を持てるわけがなく自分達の話の中でちょくちょく出てきて批判をします。
しかし上記のことは、その批判しているガーナ人と同じことを自分達はしているのです。善意をありがたいと思わずに当たり前と思い、その上に要求をする。

協力隊って偉そうに現地の人批判するくせに自分達のこと棚に上げていること多いんだよね。やだやだ。
自分もたまにそういうことをたまにしているみたいです。気をつけないといけないよね。



ガーナより一言
「抗えるか、否か」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。もう1年と10ヶ月やっていまして残り2ヶ月であります。
最近、家族がきたり、新隊員が任期短縮をしたりして考えるところが多かったのでそれについて書きたいと思います。

新隊員が任期短縮をしたことについては本人から話を聞いたわけではなく、人づてで聞いただけなので正確ではないかもしれませんが書きます。その人の職種は「感染症対策」。青年海外協力隊の中では「村落開発」「青少年活動」と並ぶ村型の隊員であります。(村型なんて言葉はないですけど・・・)活動は名前どおりです。
その人は任地にいってみて自分のやりたかったことと違う。といって帰っていったそうです。ほかの同僚職種の隊員がちょっとキャンペーンガール化している。会議があっても現地語で言っていることもわからず、何も発言できない。それに仕事場にいくときにおいていかれることもしばしば。
その状態で調整員(隊員の管理をしている人です)に何の相談もせず自分でさっさと引き上げてきてしまって任期短縮をして帰ってきてしまったそうです。
それを聞いて正直なところを書くと
「なめとんのか!」
と思いました。最初の3ヶ月などそんなことは当たり前です。異文化にきて3ヶ月でいきなり全部あっという間になじめるわけがない。大体意見を言ったところで信頼がなければ、それが如何に正論でも通りません。やりたいことと違った???いったい何がやりたかったのでしょうか?
それも3ヶ月でどれほどそれに抗ったのでしょうか?言葉がわからないなら必死になって勉強したらいいのです。基本的に単純な言語なのですから努力の度合いによっては何とでもなります。おいていかれる?おいていかれないようにしたらいいのです。時間通りにいったら置いていかれた。それなら何時間も前から車の前で待っていたらいいのです。
これがこうだから嫌だ。たった3ヶ月でそれに対抗することをどれほどできたというのでしょう。
日本でもたぶん同じだと思う。会社など入って3ヶ月でいったい何ができるようになるか。何かを改善したかったら徹底的に戦わなくてはいけません。特に発展途上国はその徹底がいい加減になるとだめです。そのためには自分をそれだけ律しなくてはいけない。それを3ヶ月でどれだけ実行したというのか?
自分もここで悪口ばかり書いていますがそれなりにやっています。計算力がないならと何十時間、いやもっと時間をかけて自分で問題集を作って生徒に毎日やらせました。時間が余る。と思っているのでそれに対して、遊ばないようにビデオデータを消去してゲームデータを消去して、英語の勉強をしたり、本を読んだりそれに対して抗っています。
それに何もしないで何がわかるというのか?努力もしないで見切りをつけて帰る。これはほかの協力隊員を馬鹿にしてるように自分は感じます。
こういうやつこそ税金の無駄遣いだ。それこそ訓練費、旅費など返還させたらいいと思う。

自分が納得いかないことに関して抗う。それが根本的な協力隊の活動であると思う。これはどこででも必要とされる力の1つであると思う。
協力隊員なんかくだらない。たいしたことない。なんて思っていましたがそうでもないのかも。それに対して抗えないであきらめて帰ってしまう人間などもっとくだらない。日本でだって通用するわけがない。
「忍耐」
ガーナで亡くなった千円札、野口英世さんの言葉です。それができないならこんなところに来るな。

追伸 彼の「忍耐」の書はガーナのコレブ病院と言うところに保存されているのです。



ガーナから一言
「協力隊員って1人でいる時間ってのが大事なんじゃないかな。」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。活動もすでに1年と10ヶ月が経過。残り2ヶ月であります。
この1年と10ヶ月。いろいろなことがありました。青年海外協力隊の親組織JICA(国際協力機構)も独立行政法人化したのが約2年前ですからいろいろ変わったと思います。協力隊員も変わったと思います。もちろんガーナの隊員も。
1番変わったと思うのは「1人」でいる時間だと思います。自分が来たころは携帯電話が貸与されているのは非常にまれな例であって、持っている人はごくごくちょっとでした。今は持っていない隊員の方が少なくなっています。それにパソコンの方も非常に発展しました。自分が来たころはDVDがまだメジャーになりたてのころでしたので持ってくるのも結構大変で、DVDが見られないパソコンというのもありました。今は間違いなくみんなDVDが見られますし、いろいろな映画のビデオデータも隊員の中で出回っています。それにパソコンゲームや漫画までがパソコンで見られるようになったので、娯楽がほとんどなかった時代とは雲泥の差があるような気がします。
昔は隊員同士だって連絡がとれず日本人として孤独だった。することがないから自分を見た。日本語がしゃべれない孤独の中でのた打ち回った。その中でガーナ人と本当に心を通い合った人。自分と向き合った人なんかがいた。そういうことが隊員は大事なんじゃないかな。って思うんですけどそれは古い隊員のエゴでしょうか?そんな中からハングリーパワーが出ていたような気がするんですけど・・・
せっかくこんな偏狭の異国の地にまで来てDVD見ていてどうする。ゲームやっていてどうする。と思うわけです。自分はそう思って半年でゲームを消去、1年でビデオを消去しました。特に自分はこの文章を書いているからなお思うのですがこんなに落ち着いて、孤独の中で自分と向き合って考えることができるのって協力隊の時だけだと思う。日本に帰ったらそんな余裕なんかないと思う。
せっかくこんなところまできて日本と同じ生活をしてどうするんだろう。と思う。ただ自分が孤独を愛するからそう思うだけかな。



ガーナより一言
「協力隊における天才の行い」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。
ガーナにおいて隊員は多くが地方に住んでいます。治安が安全だから。その一言に尽きるわけですが地方に飛ばされるということはそれなりに大変であるのは言うまでもありません。そこで行われた「天才的行為」について今回は書きます。
その天才的行為を行った人の住んでいるところの1番の問題は水です。とにかく水がない。その人は雨水を集めるために屋根に雨どいを作りました。近くにある水源はその雨水よりも汚い水です。というわけで大変水に苦労しています。というわけでなるべく水を節約して生きなくてはいけません。水浴びに使った水をためてそれをトイレに流すのに使う。そんなことは当たり前です。
その人の行った「天才的行為」はそんなところから生まれました。彼が考えたのは皿などを洗う水がもったいない。ということでした。毎日、毎日、それを洗うのがどれほどの水の無駄になるか。そこで彼が行ったのは・・・
使った皿をそのまま冷蔵庫に入れる
おおおおおおおおおおおお、ワンダホー。これぞコロンブスの卵。それによって水は多く節約されました。この天才的行為は水で困っている隊員全部に広まっているとさ。めでたし、めでたし。

追伸 日本に住んでいてこのすごさがわかるかな?現場にいないとわかんねーかな?すごいことなんですよ、これ。



日本より一言
「帰ってきて思うこと」

協力隊から帰ってきて、しばらくが経ちました。いろいろ思うところがあるのでそれを記したいと思います。
ブログなどには散々協力隊の批判をしてきました。友人たちにも帰ってきた後、
「あれだったら協力隊に行ったら?」
と言ったら
「あれだけぼろくそブログで言ってたのに行けるかい!」
との反応をもらい、またブログをまとめてみてやけに批判的なことばかりを書いていて、協力隊に関して褒め1批判9で書いてきていたことに驚きです。

たしかに向こうにいたときの心境は、そんな感じだったことは認めます。半分、行った事に後悔気味だったことも認めます。


でもね、何だってそうだけど、経験して損なんてことはないと思います。もしそれが損になるなら、それはそれが終わったあとにそれが生きなかった場合だと思います。だからそれが損であるかどうか、後悔しているかどうかはまだわからないのです。というか、それが損にならないように、後悔にならないように生きなくてはいけないと思います。

現在、私は協力隊というものが無駄であったとは思っていません。散々、批判してきたJICAだってそれなりに認めています。本当の話でJICAも日々進歩しています。外務省管轄だから変わってない。なんて思うかもしれませんが、私がブログで示したように現場は悩んでいます。苦しんでいます。 そんな状態であるのに、人間が進歩しないなんてことはありえません。
これを読んで協力隊というものに失望するのは間違っています。もしJICAだめだなー。協力隊員だめだなー。と思うのならばあなたが行って変えてください。日本の会社では1人の力でそんなことをするのは何十年とかかるかもしれませんが、協力隊ならもっと早く変えられます。上が変えられなくても現場で変えちゃえばいいんです。上のお役所は発展途上国の現場をそんなにしっかり見てるとは誰も思わないでしょ???だから何とでもなると思いませんか? ということで、私はこの経験が無駄にならないよう気をつけて生きていきます。それでは。

追伸 基本的に現場に対して批判が多くなるのは当然だと思いませんか?それが協力隊でなくても、日本の会社でも文句は言うでしょ?この文章はそんな若気の至りだと思ってくださいまし。